第17話
信頼って本当に難しいなと思う。一度疑念を持たれてしまったらそれを晴らすのは、まるで果てしない砂漠を歩くようなものだ。
相手が納得するまでひたすら誠意……つまりは相手が望むであろう「正解」を提示し続けなければならないのかもしれない。
たとえそれが自分の本心とは少し違っていたとしても。まあ、そもそも自分が原因で信頼を損なったのなら、それは自業自得だから文句は言えないのだけれど……。
生きれば生きるほど、解決できない問題ばかりが目の前に立ち塞がってくる気がして、思わず石川啄木のように「じっと手を見る……」なんて、センチメンタルな気分になりそうになるけれど。いや、今はそれどころじゃない。
目の前の小鞠さんの表情としてはそこまで怖くないのに(元が反則級にかわいいので)なぜかその身に悪鬼羅刹でも憑依させたのかと思えるほどの、凄みのあるオーラは一体何なんだろう?
「あ、あの……私が何か、気に障ることでも言ってしまいましたでしょうか? もしそうなら、全力で謝罪いたしますので、どうか詰め腹を切らせると言った行為だけは、せめて人気のない山の中とかで実行していただけますでしょうか……」
私は、恐る恐る尋ねてみた。
「え、わたしそんな怖い顔してた!? ご、ごめんね!?」
私の物騒すぎる言葉に小鞠さんは逆に驚いて、慌ててぶんぶんと両手を振った。その反応を見る限りどうやら私の考えすぎだったようだ。よかった……。
「違うの、ちょっと考え事してて……ごめんねえ、上と下に兄弟がいるんだけど、どっちもまあ、なんていうか、しっかりしてないもんだから。何か問題が起こった時に、いかに効率よく、かつ穏便に二人を黙らせるか……じゃなくて、事を収めるか、それが目下の懸念事項でね」
彼女は、はにかみながら、少しだけ家庭の事情を打ち明けてくれた。
「へえ……大変なんだ……ですねえ」
私は相槌を打つ。
「年下の方はともかく年上のお兄さんは下の子から注意される前に、ご自身で気づいていただけると良いですねえ……」
彼方ちゃんの目から見て年上の姉であるこの私自身が、どれほど立派な人材と見受けられているかは、大いに疑念が生じるところだけれども。
……でも、なるほど。小鞠さんが時々ついうっかり鬼気迫るようなオーラを放ったり、妙に手際よく物事を収めようとしたりするのは、そういう家庭環境も影響しているのかもしれない。
だとしたら輝夜さんが小鞠さんに頭が上がらないというか、どこか遠慮しているように見えたのも納得がいく。長年の経験から、下手に反論すると後が怖い、と学んでいるのだろう。
「そんなこと直接言われたことなんて一度もないよ」
小鞠さんは少し照れたように頬を赤らめた。内心ではめっちゃ動揺しているんだろうな、と察せられる視線の泳ぎ具合だったけれど、私はあえてそこに気づかないふりをして小さく首を傾げるという、極めて婉曲的な表現に留めておくことにした。
今までの人生では、主に妹の彼方ちゃんから「ガチャ当たった! お姉ちゃんすごい! ご褒美のハグー!」とか「このお菓子美味しい! 一緒に食べよ!」といった形で直接的な好意や感謝を受け取ることが多かった。
だから自分が無意識のうちに、相手が喜ぶようなポイントを突いてしまう癖があるなんて、考えたこともなかったけれど……。
クラスメイトから……それも輝夜さんや小鞠さんのような、雲の上の存在から「夏野さんが魔法を使ったみたいに輝夜の様子が変わった」とか「遥ちゃんは本当にいい子」なんて言われると……さすがに、ほんの少しだけ、自分のことを肯定的に捉えても良いのかもしれないなんていう、むず痒いような気持ちが芽生えてくる。
ここで頑なに「いえ、私なんて……」と否定し続けるのは、かえって彼女たちの言葉を疑うようで、失礼にあたってしまうだろうし。
「あ、そうだ」
小鞠さんが思い出したように言った。
「もっと砕けた口調で良いよ? わたしもほら、こうして結構、距離感近い感じで話しちゃってるし、そっちの方がわたしも話しやすいなって思うから……もちろん、無理はしない程度にね」
彼女は優しい笑顔でそう提案してくれた。
「いえいえ無理だなんて、とんでもない! むしろ世間一般の価値観からしたら、この状況は光栄と称して然るべきかと存じます!」
教室内でも、いや、おそらく校内でも、多くの生徒から「美少女界の二大巨頭」と目されている柊小鞠さん本人から、直々に「もっと気軽に話してね」なんて言われるなんて! もし、この瞬間を他のクラスメイトが見ていたら、「おい夏野! お前、ちょっとそこ代われ!」と詰め寄られても、私はきっと「だよね! 分かる!」と、共感のハンドサイン(そんなものはない)を送りつつ、すごすごと後退するしかないだろう……まあ、実際に彼女が代わらせてくれる可能性は、限りなくゼロに近いとは思うけれども。
「…で、」
和やかな雰囲気になったところで小鞠さんは再び、少し真剣な表情に戻り、本題を切り出した。
「聞きたいんだけど……輝夜に、一体何をしたの? あの後、なんだかすごくスッキリした顔してたみたいだけど」
口外することの是非か……輝夜さんのオタク趣味については小鞠さんの方が私なんかよりずっと詳しく把握しているだろうから問題ないはず。
教室でしかも授業が始まる直前に、スマホゲームのガチャを10連回す、という行為の是非については……まあ、若干、依存症を疑われても仕方ない行動かもしれない。ともすれば後で小鞠さんから輝夜さんへ「めっ!」と厳しくたしなめられる可能性は十分にあるだろうけれども……。
私は、なるべく事実に即して、簡潔に説明することにした。
「輝夜さんが欲しがっていたゲームのキャラクターがいまして。そのガチャを代わりに私が10連だけ回したら、ちょうどピックアップされている一番レアなキャラが当たったという、ただそれだけですよ」
「え?」
柊さんは、きょとんと目を丸くした。
「ピックアップってことはそれが当たる確率が、他より少しは上がるってことだよね? でも、ガチャってのを回す機会が、わたしもさほどないってのは知ってるけど、基本的には、何回も回してもなかなか当たらないものなんじゃないの? それって、ちょっと詐――」
「自己責任で! あくまでも自己責任で! 回すので! ですから、いかなる不利益を被ろうとも、それは全てプレイヤー自身の覚悟の上で! 回すので!」
私は思わず身を乗り出して、必死にガチャの(というより、運営側の?)正当性を主張していた。
もちろん、天井……つまり、一定回数以上回せば必ず目当てのキャラが手に入るシステムがあることは、先ほど輝夜さんに簡単に説明したけれど「そこまで何万円も引かせるのって、やっぱりちょっとあくどくない?」と、彼女からは至極まっとうなマジレスをかまされてしまったのだった……。




