第12話
私の働いているこのコンビニは店長の趣味なのか経営方針なのか、閉店時間が夜の9時と、一般的な24時間営業の店舗と比べるとかなり早じまいだ。
とはいえその分、閉店間際の作業は慌ただしい。ホットスナックの廃棄時間を計算しつつ、揚げ物の最終オーダーを確認し、おにぎりやお弁当の棚は廃棄ロスが出ないように奥から商品を詰め直し、一年中置いておかないと一部のお客様から厳しい苦情が来るし、さして売れるわけでもないホット飲料の補充と清掃……などなど、やるべき仕事は文字通り山ほどある。
真面目に黙々と働いているから、次から次へと仕事が舞い込んでくるのだ、なんて自慢げに言うつもりは毛頭ないけれど(そもそもバイトに来ているのだから働くのは当然だ。他の誰かがやるだろう、なんて考えで仕事をサボるパートさんも稀にいるけれど、私は誰かに責任を押し付けるくらいなら自分でやった方が早い、と思ってしまう性分なので)、店長からは時々、それはもう真顔で、
「お前が24時間このコンビニにいてくれたら、私も安心して24時間営業にするのにな」
などというどう考えても労働基準法に抵触しそうな"拉致監禁"の可能性を匂わせる、物騒極まりない脅迫……いや、お褒めの言葉? をいただくことがある。
その度に私は「わー、嬉しいです!」と、白々しいことこの上ない調子で、わざとらしく万歳三唱でもする勢いで喜びを表現するのだが、それが果たして正解のリアクションなのかどうかは、正直なところ全く考えていない。
ただその時の店長の目が、冗談ではなく、明らかに本気の光を宿しているように見えるけども。
「夏野、なんか今日、景気の悪い面をしているな」
夕刊紙の納品時間を正確に覚えていないパートさんの代わりに、お客様からの問い合わせに「さようでございますか。大変申し訳ありません」と愛嬌たっぷり(当社比120%増し)の対応を終え、ひとしきりバックヤードでの作業も片付け、さて、そろそろ床掃除でも始めようかとレジ近くに戻ってきたところで、発注作業用の端末を睨んでいた店長に、不意にそう声をかけられた。
「え? そ、そうですか? もしかして、おでこに『閉店セール7割引』とか書いたシールでも貼ってありました?」
ドキッとして、思わず自分の額を確認してしまう。
景気が悪い……? もしかしてこの店の経営状態が、私の知らないところで悪化の一途を辿っているとか? そういえば、最近、近所の別のコンビニがガッツンガッツン閉店していて、駐車場も店内も空っぽのがらんどうになった跡地を見ると「ウチの店は大丈夫なのかな……」なんて漠然とした不安を感じていたところだったのだ。
よもや私がシフトに入っている時間は、実はお客様の数が8割引とかになっていて、それが私の顔色にまで影響を?
「まあ、夏野がいない時間は、店員の顔面偏差値が著しく下がる、ってクレームが常連の数人から来るのは確かだが」
店長は、こともなげにそう言ってのけた。
「ぜ、全従業員から仕事をボイコットされかねない問題発言は、謹んでおやめになった方がよろしいかと存じますが!?」
思わず、私は店長を諌めるような言葉を口にしていた。いくらなんでも、他のバイトさんやパートさんに失礼すぎますので!
「ほう? お前もボイコットする側か? 夏野」
店長は発注端末から顔を上げ、じろり、と鋭い目力をふんだんにご活用なさってこちらに圧力を加えてくる。
ひっ…! と内心で悲鳴を上げつつも、私はここで引き下がるわけにはいかなかった。
たとえ相手が上司(店長)であろうとも、明らかに失言であり、他の従業員の方々に非がない状況で、その因果応報にまで味方をするつもりはありませんよ……! 権威や態度で精神的な優位に立とうとしても、そう簡単にはいきませんからね!
……と、まあ、そこまではっきりと言えるはずもなく、冷や汗を背中に感じながらも、私はその思いを、最大限のオブラート…それこそ、何重にも重ねた高級和紙レベルのそれに包み込みながら、どうにかこうにか店長に伝えようと試みるのだった。
私の(おそらくは伝わっていないであろう)オブラートに包んだ抗議に対して、店長はフン、と鼻を鳴らした。
「まあ、我が店舗には、従業員全員に最新の美容整形手術を全額負担してやるほどの経営的な余裕は無いしな。仮に、なけなしの金をはたいて美人にしてやった途端に『じゃ、もっと時給の良いとこ行くんで辞めます~』とか言い出したら、そいつは夜中にこっそり拉致して、そのまま青木ヶ原樹海あたりで放置プレイしてくるが」
笑顔で、さらりととんでもなく物騒なことを言う。
「ちょっ…! それ、ちゃんと帰ってくる前提での放置プレイですよね!? まかり間違っても、おまわりさんにバレて店長が美味しくないご飯を食べさせられる結末になったりしませんよね!?」
私は必死にツッコむ。笑顔を作ると心理面においてもプラスの効果があり、その表情につられて自身の感情も周囲への影響も良い方向に向かう、なんて話をどこかで聞いたことがあるけれど、この人の場合、あからさまにおっかない発言をしながら浮かべるその笑顔は「私もつられて笑顔に」なんていうポジティブな感情を1ミリも誘発せず、逆に私の心拍数の急上昇と、冷や汗と、アドレナリンのドバドバ分泌の布石にしかなっていないんですが!? せっかくひと仕事終えて、ちょっと休憩、みたいな感じだったんですから、もう少し心を休ませてほしいですよ、本当に!
「……で、」
そんな私の内心の叫びなど全くお構いなしに、店長は急に真顔になり、じっと私の目を見て言った。
「なんかあったんだろ? 今日。恐らく職場じゃなくて、高校の方で」
その、全てを見透かしたような視線を受けて、「逃げたい!」という強い衝動が私の脳裏を駆け巡った。なぜ分かったのだろう。私の顔には「何か隠してます」とでも書いてあるのだろうか。
普段なら、店内に流れる有線放送のBGMを聞いても「ふーん、これは最近人気の楽曲なのかな」みたいなどうでも良い感想くらいしか抱かない私の脳みそが、今はまるでパブロフの犬がベルを鳴らされた時のように、特定の反応……つまり「どうしよう、逃げなきゃ!」という思考しかできなくなっていた。
「まあ、別に無理に話せとは言わんが」
私が返答に窮していると、店長は意外にもあっさりとそう言った。
「仕事中にするような話でもないだろうからな。もし、誰かに聞いてもらいたい気分になったら、LINEででも送ってくると良い。年中無休、24時間体制でメッセージは募集しているぞ」
まるでどこかのコールセンターのようなセリフだけども、そのぶっきらぼうな言葉の中には、不器用ながらも確かな気遣いが感じられた……気がした。
私が、その予想外の言葉にどう反応すれば良いか思案していると、店長も何かを思い出したかのように、「っと、いけね」と呟き、手にしていた発注用の端末を操作しながらレジの外へ出て、商品棚とのにらめっこを再開した。どうやら、これでこの話は終わり、ということらしい。
予想外の出来事に遭遇しても、もっとあっけらかんと平然としていられるような人間になりたい、と常々思ってはいるけれど。
残念ながら、注意や忠告、あるいはこういう不意打ちのような指摘を受けて、平然としていられるほどの強靭なメンタルと度胸は、私には備わっていない。
なんとなく背筋がまだこわばっているのと、口の中がカラカラに渇いているのを感じながら、私は思考を切り替えることにした。
そうだ、仕事だ。探せばいくらでもある、コンビニバイトの仕事に邁進することを決意し、こんな時ばかりは「あ、そうだ、あれもやらなきゃ」と次々に見つかる大量のやるべき仕事に、心の底から感謝をしたく存じ――
……いや、やっぱりそうじゃない! 探せばいくらでもある、っていう仕事量自体がおかしいし、それは絶対、店長よりさらに上の、本部の偉いスタッフとかが、現場の利便性よりも効率とかコストとかばっかり重視して、末端の下っ端のことなんかこれっぽっちも気にせずに仕事を押し付けているに違いないんだ!
と、いるのかどうかも分からない顔も知らない相手に対して、心の中でつらつらと文句を述べながらも、それでも黙々と手を動かしていると、不思議とさっきまでの重かった気分が、ほんの少しだけ上向きになってくるのを感じていた。
単純作業というのは、時に心を無にする効果があるのかもしれない。




