4 惚気話
学生の仕事は惚気だけではない。
高校三年生、浅野冴は重い瞼を持ち上げながら、体育の授業に勤しんでいた。
「いっち、にー、さーん、しっ」
「「「ごーろっく、しっち、はーち!」」」
威勢のいい女子達の掛け声がグラウンドに響き渡る。
今日は百メートル走のタイム測定。
人間界において冴が最も苦手とする体育競技であった。
「やっほー!よろしくねっ」
「あっれ〜?ぼーっとして、どうしたの?冴ちゃん」
こやつは人間界において冴が最も苦手とするニンゲン、十六夜まつり。
日向者中の日向者、言い換えれば、陽キャラというやつだ。
「ぼーっとなんかしてないよ」
差し出された手を振り払いながらそう言うと、
「あっそ」と拗ねたふりをした。
(申し訳ないけど、そういうところが苦手なんだよ)
オーバーリアクションに振る舞い、こちらの心をかき乱す。
こちらもその大袈裟な態度に合わせなければこの世界では置いていかれる。
もう、高校三年生だろう。
もちろん笑顔は大切だ。
だが、ぶりっ子のような、わざとらしい演技が冴は好きではなかった。
正直言うと、同年代の男子は釣り合わない人が多すぎる。
見た目がどうのこうのではなく、精神面の問題だ。
男性でも、リアクションの大きい人よりはクールで冷静な人の方が好きだった。
そう、あのオープンキャンパスで出会った、准教授みたいな…
「早く走るよ〜冴ちゃん。あれ?もしかしてまた惚気てた?」
「の、惚気てなんかないってば」
「なになに〜隠しちゃって〜!好きな人でもいるの?」
「う、うるさい。早くしないと遅れるよ」
「もう〜誤魔化しちゃって」
リレーのペアは自由に決められる。
しかし今日は、冴の日陰友達、桐谷伊月がちょうど休みだったため、冴が余り物になっていたところ、まつりが自らのグループを抜けてまで冴とペアになったのだ。
こやつの真意は、よくわからない。
冴の走る番がきた。
まつりはタイム測定のため百メートル先のラインに立っている。
「いくよ!」大声で叫ぶ。
「オッケー!」
前足を大きく手前へ出す。そして、両足を高速で回転させる。
高速といっても彼女の出すその速さとは人並みなものだ。
両腕も大きく動かす。
全速力で走り抜く。
「はあ、はあ、」
冴が息を切らしている横で、まつりはほほーと、納得した様子でいる。
「18秒!!なかなかいいんじゃない?」
「そう。ありがと」
「じゃっ!あたしも行ってきまーす」
次はまつりの番だ。
スタートの笛が鳴る。
一斉に駆け出す女子高生たち。
突如。
威勢よく駆け出したまつりの姿が消えた。
「???」
違う、こけたんだ。
ふらふらと起きあがるまつりの膝からは血が流れている。
こりゃ派手にやったなー。
慌てて冴が駆け寄ると、まつりは顔を真っ赤にしてぼろぼろと大粒の涙を流していた。
傷口はかなり深い。膿んでいるところからは流血している。
冴はまつりの痛みがわからないため、トマトジュースが溢れているみたいだな、と思いながらぼーっと眺めていた。
「み、見ないでよーー!」
「保健室行くよ。ほら、肩つかまって」
「わかった…」
冴はほぼまつりを背負った状態になりながら保健室へと向かった。
「うわーん…痛いよう…」
まつりはまだ半泣きでベソをかいている。
たまにこやつの心が計れなくなる時がある。本当に痛いのか、演技なのか。
「もう、高校生だよ?そのくらいで泣いて、どうすんの」
「お母さんみたいなこと言わないでよお」
そうこうしているうちに保健室に着いた。
「大丈夫?あらー、派手に転んだわねえ」
保健室の先生が消毒と絆創膏を持ってくる。
絆創膏は傷口が一回り隠れる程度の大きさだ。かなり大きい。
「しばらくこのままにしておいたら治るから、安静にしててね」
「はーい」
グラウンドへの帰り道。
冴とまつりは二人並んで冷たい廊下を歩いていた。
沈黙が続く中、空気を切り裂いたのはまつりだった。
「冴ちゃんの好きな人ってどんな人?」
「い、いないよ、そんな人」
「うっそー!絶対いるでしょ!」
「なんでわかったの?」
「見てたらわかるもん。人間って結構単純だよ?動作とか、声のトーンにも現れるもの。冴ちゃんは、『恋をしましたよーっ!』て、全身に出てたよ笑」
まつりのくせに妙なところで達観している。
冴は自分が単純なことを認めたくなかった。
「その感じは一目惚れだな?」
「わ、私の場合、一目惚れみたいな単純なのじゃないから」
「へえ〜、そうには見えないけど?」
「ちゃんと彼の優しさを理解してのこと…だから…」
「で、相手はいくつなの?」
これは言うべきか、冴は迷った。
まさか恋をした相手が大人なんて、高校生に、しかもまつりに、言えるわけがない。恥ずかしい。
「まあ、そこそこの年齢の人?っていうか」
「そこそこー?気になるなあ。じゃあ、当ててみていい?」
これは想定外だ。
「いいよ」
まさかまつりが当てられるはずがない、そう意気込んでいたのも束の間。
「う〜んと〜、相手は三十代くらいのおっさんなんじゃない?だってクラスでも大人びている冴ちゃんくらいのレベルの子が恋するくらいだから?まあ、そうだとしたらかなり脳内にお花畑咲いちゃってるけどね〜」
げ、図星だ。
なんでこやつにはわかるのだろうか。
恋愛経験が豊富なのか?
それにしても、脳内がお花畑とはなんだ。
カチンときた。なんて失礼なやつだ。
「…あってる」
「え?」
「そうだよ。相手は三十代くらいのおっさんだよ!」
「まじ?え…まじ?」
まつりは小声で言った。まるで正気かどうか疑うように。
「まじだよ。別にお花畑じゃないし。ハンカチ届けてくれて優しそうだったし…イケメンだし、大人びてそうだったし」
「冴ちゃんって、かなり悪趣味だね!ちょっと年上すぎじゃない?」
「恋すれば年とか関係ないものだよ?」
「その人はどんな人だったの?おっさん臭かったりして」
「ぜんっぜんそんなんじゃないから。もうほんとに優しくて…」
「冴ちゃんさあ、ほんとにその人と喋ったの?絶対見た目で惚れたんじゃん」
これも図星だ。
あの准教授は、御尊顔を拝んでいるだけで心が晴れやかになるのだ。
恋の動機は中身だけでなくてもいい。
そう思いつつも、プライドの高い冴は自身を単純だと認めたくないがために一目惚れを認めなかった。
「まあ、そういう要素もあるけどね」
「ていうかさ、なんでまつりは私とペアになったの?」
冴は話を一刻も早く変えたかった。
「冴ちゃんって私のこと嫌いでしょ?」
「なんでわかったの?」
「なんでわかったのはひどいよ笑。ど直球すぎない?」
「続けて」
「私さ、昔から自分のこと嫌いな人をほっとけないんだよね」
「ほほう」
「そりゃさ?十人十色の人がごまんといるわけだからさ。自分のこと嫌いな人も一定数生まれるわけよ。その分だけ自分が嫌われてる要因があるわけじゃん?」
「なるほど」
「社会を円滑に進めていくためには、対人関係においての努力も必要かな、と思うだけ」
「素晴らしい」
「ありがと。冴ちゃんってさ、言葉には私のこと嫌いな要素が出ないよね笑」
「そうかな?出してるつもりだけど」
「なにそれ笑」
「私は嫌いっていうより苦手だっただけだよ。オーバーリアクションなところとか。演技なのか疑っちゃう」
「それはね…演技なんだ。昔から感情が表情とか態度に出にくい体質でね。ママから気をつけなさいって言われたの」
「へえ。本当に努力派なんだね」
「でも、演技でなにが悪いの?私って気持ち悪いかな」
「悪いとは言ってないんだけどね。わざとらしいから、喋ってても本当はつまんないのかなって思う時があるんだ、たまにね」
「そういうことかー」
「でも今わかったよ。表情に出にくい体質だって。それなら自然体でいた方がいいと思うけど?」
「でも、無愛想だと逆に嫌われちゃう」
「…私はクールな子の方が好きだよ」
「ほんと?冴ちゃんって、見かけによらず優しいんだね」
「人は喋ってみないとわからないものだよ。私も今、初めてまつりちゃんの本性を知った」
日の沈みかけたグラウンド。夕日が真っ赤に輝いている。まるでトマトみたいだ。
いつの間にか、まつりは冴の肩に体重を預けていた。
振り払おうとしたが、まあ、もう少しこのままでもいいか、と思う冴であった。




