5 お盆の帰省
久々に実家に帰ると、床の上で大の字になってスマホをいじっている姉の美玖がいた。金色の髪の毛をギャルのように巻き、ネイルは長く、ピンク色にしている。近くのキャバクラで働いているらしい。元々その素質はあったのだが、大学生になってから爆発したのだ。小学生から高校にかけてはよく母の用意してくれるお菓子をかけて成績を競ったものだが、もうその頭の良さそうな面影もない。
「宏幸じゃ〜ん。どしたの?」
変に間延びした声で宏幸に問う。しかし、本人は答えなかった。
「……母さんは?」
「今出かけたとこ。彼氏のところにでも行ってるんじゃない?」
宏幸の母はシングルマザーで女手一つで育てられた。父は会社が倒産したため蒸発したのだった。僕がいるとあなたたちを不幸にします、という書き置きを残して。
でも最近母には若い男ができたらしい。会社の後輩だという。
「宏幸はどーなの?大学で先生やってるんでしょ。私、こんな道に進むくらいだったら先生になりたかったなー。いやでも、流石に小学校とかのだよ?大学生なんてみんなシケてんじゃん」
あーしまった、という声をスマホの画面越しに漏らした美玖は、机の上にそれを置き、宏幸に向き直る。その顔は化粧が崩れ、髪も乱れている。しかし顔だけは宏幸と似て整っている。これは父の血で、いらない土産をよこしてくれたものだなと宏幸はいつも思っている。
「お母さんが今日の夕飯、カレー作るって言ってたんだよねー。具材買っといてって言われたから、宏幸買ってきてくんない?メモ帳そこにある」
美玖は、そこそこ、と机の上を指差し、再びスマホに向き直る。
全くその場から動こうとしない美玖に苛立ち、おもむろにエコバッグとメモ帳を手に取ると、近所のスーパーへ出かけた。
「ただいま」
母が帰宅し、宏幸も買い物が終わると二人でカレーを作った。美玖はスマホに飽きたのかテレビで映画に夢中になっている。家事の手伝いもしない美玖は、とうてい姉とは思えない。小さい頃は、宏幸が膝を擦りむいたりするとすぐに駆けつけ、持参の「お薬セット」を持ってきて怪我の手当てをよくしてくれたものだ。「これで大丈夫」と美玖が微笑むたび、姉がいてくれてよかったと思っていた。
「そこのカレールー取って」
悲しげに美玖を見つめていた宏幸はハッとし、母にカレールーを渡した。今年で60になる母にできた男は宏幸より年下で、たぶらかされているようにしか思えない。しかし人生も折り返し地点の母に宏幸ができることといえば、好きなことを好きなだけしてもらうこと以外になかった。常にハキハキしていて人に媚びない母が唯一見つけた居場所なのだろう。宏幸は母の恋を密かに応援していた。
切ったにんじん、ジャガイモ、肉、玉ねぎの入った沸騰した湯にカレールーをドボドボと入れていく。じんわり広がる焦茶色は、人の心がだんだんと汚れていく様のように思えた。そう、姉のように。
大学生は皆、シケている?本当にそうだろうか。
宏幸が授業をしている生徒は真面目で、熱心にノートを取っている生徒が多い。表情が乏しくクールすぎるとも言える彼の授業でも、とても真剣に聞いてくれているから有り難い。
しかし、一つだけ嫌な記憶がある。授業後、二人の女生徒がひそひそ声で「あの教師、いつもエロい目で見てくる」と話していたのを聞いてしまったのだ。
いくら彼でも、自分より10も歳の離れた相手をそういった目で見たことなど一度もない。ましてや自分の生徒など。
一体どこがそう思わせたのか?俺の裏垢がバレたのか?
様々な反論や疑問が頭に浮かんだが結局、思われたことはどうしようもなかった。
その女生徒二人は今でも変わらず彼の授業を受けに来ている。
「「「いただきます」」」
三人で食卓につくとカレーを食べ始めた。宏幸は早食いのため早く食べすぎると家族団欒がなくなるのを恐れ、できるだけゆっくり食べ始めた。
「宏幸は最近仕事どうなの?」母が訊ねた。
「まあ、なんとか」
「タバコ臭ーい。大学でも吸ってるの?」美玖が訝しげに言う。
「美玖はどうなの?」
「え?なにが?」
「仕事よ、仕事。あんたは宏幸と比べて給料も安いし、心配してるのよ」
「え?お母さん、あたしのこと舐めてんの?これでも指名数ナンバーワンだよ?」
「あら、そう。美玖はお父さんに似て美人だものね」
母は父のことを思い出したのか、はあ、と長いため息をついた。
心の底から家族団欒が楽しいと思えたのは何歳までだろうか。思い出せない。
少なくとも小学生の時までかもしれない。中学も高校も受験が忙しく、学校で遊ぶために家での時間はほぼ勉強に費やしていた。そのため早食いになり、食卓につく時間なんて数分くらいだったし、話している余裕すらなかった。
「母さん、今日どこ行ってたの」宏幸は聞いた。
「え?別に、ちょっと友達の家行ってただけよ」
あからさまに母は、彼氏がいることを隠そうとしている。まるでやましいことでもあるかのように。
「私は応援してるよ!お母さん」」
疑いの雰囲気を晴らすかのように、美玖が明るくそう言った。
「応援ってなによ…!そんなんじゃないわよ」
母は顔を赤らめながらそう言った。これは完全にクロだ。
「それより、宏幸は彼女とかいるの?」美玖は聞いた。
「…いない」
女性関係については、一番聞いて欲しくないところだった。彼女も作らずダラダラとツイッターで性行為をする人を見つけているなんて、誰にも言えない。
「じゃあ、好きな人は?」
「……」沈黙。宏幸はどきりとした。
「え、うそ」
「いない」
「いや、今のいる間だったでしょ」美玖は、誰、だれ!どこの人!どうやって知り合ったの!と質問攻めをする。
「付き合ったら、記念日とかはちゃんと押さえておかなきゃだめよ」母までもが便乗している。
宏幸が無言でいると、美玖は「え、なんでー、教えてよ〜!」とうなだれながら言う。
「昔からあんたってなに考えてるかわかんなかったし、全然靡かないから、どういう人に心動かされるのか知りたいんだよ」美玖は付け加える。
「俺にもよくわからない」
「ええー…」
「いいんだよ。人を好きになるのに理由なんていらない」母が言う。
「…そういうもんかなあ?」
「そういうもんよ」むしゃむしゃとカレーを頬張りながら母は言う。
宏幸はカレーを食べ終わり、「ごちそうさま」と言った。できるだけゆっくりと食べられたはずだ。ただ、肝心の楽しい家族団欒ができたのかと聞かれると、それには頷けない。




