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6 準備

冴の学校は夏休み明けに文化祭があるため、文化祭の準備から帰っていた。

家に帰るとまず、母の怒号が聞こえた。そして、ブツンとテレビの消える音。

例の人に会いに行こうと決心してルンルン気分で帰った冴は、一気に気分が氷点下まで冷めた。またこれか、とも思った。


「お盆の13日と14日は空けておいてって言ったよねえ?すぐ仕事入れてさあ。浮気って疑われても文句言えないよ、これ」


「……」


母がその瞳に静かな怒りを浮かべている。父の方を見ると、母の圧力に押されて何も喋れない。父は怒られるといつも逃げる。無言を逃避だと勘違いしているのだろう、自分に向けられた明確な怒りを受け取ろうともしない。しかも、冴が父に怒った時は笑って真に受けようとすらしない。ずるくて、卑怯だ。我が家の力関係をも態度で示そうとする父を冴は心底嫌っている。だから今回は、心の底で母の味方になってあげた。


喧嘩の主な原因は、母が13日と14日は予定がないから家族でどこかへ出かけに行こうと言っていたのを無視して父が予定を入れていたことだった。前にもそんなようなことがあり、今回こそは許さんと思ったのか母がブチ切れたのだ。


冴は、喧嘩を聞いていないふりをして自分の部屋に逃げ込んだ。まあどうせ、母が後からネチネチ愚痴ってくるんだろうけど。そんな母にいつも冴は付き合っている。


スマホを開くと、親友の桐谷伊月とラインをした。彼女は滅多に学校を休まないので、逆に何かあったのか不安になる。


『この前大丈夫だったー?学校休んでたよね。どうしたの?』


『ちょっと体調悪かったんだ。でも今は大丈夫ჱ̒⸝⸝•̀֊•́⸝⸝)』


返事はすぐにきた。彼女はいつも黄色の芋みたいなのに顔が書いてある絵文字を使っていて、とても可愛い。

顔もそこそこ可愛い。大人びているというか、凛としているというか。

背は冴よりも十センチほど高くスタイルも抜群だ。

そんな伊月がなぜ日陰者という立ち位置にいるのかは、彼女が中国人であり、小学三年生の時に日本に引っ越して来たため、馴染めなかったからだろうかと冴は踏んでいる。

愛想がよくて可愛く、日向者にも友好的な伊月が、どうして冴と一緒にいてくれるのかはわからないが、彼女は一緒にいるだけで楽しい。

親友が今日も幸せである、それだけで冴の心は満たされた。


冴は喉が渇いたのでリビングへ水を取りに行くと、父が不在で母だけがそこにいる。下からドーンとか、ガーンという音が聞こえたので父は趣味のビリヤードに打ち込んでいるようだった。冴の家の一階にはビリヤード台があるのだ。

(どうせまた逃げたんだろ…)


冴はある予感がしてならなかった。母が愚痴ってくる予感だ。母がこっちに近づいて来た。もうすぐくるぞ、もうすぐ…


「冴はあの人と別れたほうがいいと思う?」


ほうらきた!!


冴は心の中で叫びながら、私はこういうのが嫌なんだ、と思った。

なんで女性は人の悪口を他人と共有したがるんだろう。母が感情的ですぐに行動に移すタイプということは承知の上である。母のことも嫌いになりそうだったが、今回ばかりは父に苛ついていたのでやむなく母の味方をした。


「さあね。でもお父さんも大概だよね。前もこういうことあったじゃん?」


「そうなのよ。もう勢いに任せて13日と14日はお母さんと私と冴の三人で旅館予約しちゃった」


「え」


どうやら母はそのことをラインで父にも共有しているようだった。今後こういうことがあったら別れます、と打ち込んでいる。ラインが終わると母は制服に着替え仕事の支度をしていた。


「じゃあ、お母さんは仕事に行ってくるから。冴はいい子にしててね」


「行ってらっしゃい」


冴は別に父と母が別れてもどっちでもよかった。離婚したら母の方についていくだろうけど。父はたまにムカつくだけでそれ以外は家事も掃除も淡々とこなすタイプだったから、家庭には必要な人材だとは思う。でも父の性格が好きかと言われれば、最近は冴を無視したり、話をろくに聞いてくれなくなったからどちらでもなかった。

元々父はそんなに人に興味がないだけなのかもしれない。でももし母ではなく父についていけと言われたらそれだけは絶対に嫌だった。人に興味がなく、何も考えていなさそうだけれど人生を存分に楽しんでいる母が冴は割と好きだった。



夕食。今日は魚料理だった。いつも夕方に母はおらず、夕食は父が作る。父が作るご飯は、憎いけれど、とても美味しい。

しばらく無言で箸を進めていると、父が口を開いた。


「旅館はどこに泊まるんだ?」


ラインのことだ。冴は一瞬、箸を運ぶ手が止まる。無意識にその話題には触れないようにしていたからだ。気まずい。固く閉じた口を無理やりこじ開け、なんとか何かを喋ろうとする。


「知らない。高級なところ」


父は冴の気まずさを感じ取ったのか、高級かあ、ええなあといささか大袈裟にリアクションしているように見えた。


「高級旅館だったら行きたいなあ」


冴は思わず笑ってしまった。乾いた笑いだった。高級旅館だったら、という部分に対してではなく、あんなに怒られてよくそんなことが言えるな、という意味の。父は冴が笑ったことに気がついていないようだった。もしくは、気がつかないふりをしているのか。


「行けるといいけどね」冴は皮肉を込めて言った。


夕食を食べ終わると、そそくさと自室に戻った。明日は土曜日で、なんとしてでもあの准教授に会いに行かなければならないのだ。そのための準備をした。

京都へ行くまでのお小遣いは貯金してある。

冴はバイトをしていないので、貯金は全て無くなってしまうが准教授に会えるならそんなことなんでもなかった。

会ったらどうする?

家まで連れて行ってもらう?

流石に家は早いか。

ならカフェでデート?

まず准教授に会えるかどうかも分からない。

冴は少女漫画の読み過ぎのためか、少し身構えすぎていた。

下着は可愛いやつで行こうとも考えた。

もし家に泊まった時のことも考え、リュックに着替えと洗面用具を詰めた。


そう、いたいけな少女の行き過ぎた儚げな願いだった。


まだ彼の性格や人となりを見極めなければならない。

運命の人だと確信しているけれど話してみると実際は違うかもしれない。

ひょっとすると、すごくオタクで喋り方までもがすごく早口で冴の嫌いなタイプかもしれない。そういう時は、カフェへ行って家に帰った後はその人のことを記憶から抹消し、何事もなかったかのように過ごすのだ。


相手がもしも同じことを思っていたら?

冴の喋り方は至って普通の高校生という感じだが、オタクかどうか聞かれたらオタクな面もある。アニメは新作を必ずチェックしているし、ジャンプも毎週買って読んでいる。


引かれたらどうしよう。彼も冴を子供だと見なしたら?


そもそも、人と会うことなんてこんなに緊張することではないのだ。

私は少しおかしいのかもしれない、と冴は思った。


もしくは、彼に一目惚れをした?

生まれてこの方一度も恋をしたことがない冴にとって、恋は一大イベントだった。


冴は一目惚れという行動が嫌いだ。

自分がまるで単純な女みたいだからだ。

だからこそ、実際に会って話してみて自分が本当に恋をしたのか判断する必要がある。一目惚れでなかったら、運命の出会いとか?

准教授は、前世での恋人か夫婦だったのかもしれない。

私は乙女か?


明日の出かける準備が終わると、そそくさと風呂に入って足早に自室に戻り床に着いた。


私なんかが大人の男性に恋をしたところで相手にしてもらえるのか不安だ。

そもそもまつりが言った通り、脳内にお花畑が咲いているのかもしれない。

年齢は関係ない、と自分に言い聞かせたところで所詮大人と子供。

付き合ってもらったとしてその先どうする?

最終的に行き着くところは結婚なのか?

お母さんはまだしも、うちの頑固頭なお父さんなら、絶対に反対する気がする。

友達にだって三十代の人と付き合っているなんて言ったらどう思われるか分からない。


そんな心配事がグルグル頭の中を駆け巡り、なかなか眠れないまま夜を過ごした。


深夜2時になると父が仕事で起きてくるのと同時に冴はトイレに行き、ベッドに潜りしばらくすると静かに寝息を立て始めた。

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