1転機の訪れ
「結花、俺ら、合わない。」
鈴木結花のまん丸く特徴的な目が大きく見開かれる。
「ちょっと待って、ありえないんだけど」
お互いに同い年ではありながら、喧嘩は少ない方だったが、こんなに彼女を激昂させたのは初めてだった。
「ごめん。結構前から思ってた。」
正面に立って涙を流す女は、大学に務め初めに付き合って四年目の彼女だった。
「宏幸のバカ。じゃあ思わせぶりなことしないでよ。私、まだ宏幸のことが好きだよ。別れたくない。」
見た目は悪くないが、少し幼いところが手に負えなかったのだ。
三宅宏幸は言葉を訂正しようとは思わなかった。
「俺はもう冷めてる。それに、昨日も同じこと言った。別れよう。」
「もう、知らない。」
ガチャ、バタンッ
そう言うと結花は、鞄を放り投げて出て行ってしまった。
散乱したバッグの中身を拾い集めながら、宏幸はふと思う。
これで、よかったんだろうか。
女性関係には慣れているはずである。
容姿端麗であり、小中高のクラスではトップを争う成績の優秀さだった。東京都内の最も頭のいい大学に合格し、宏幸は幾人もの女と交際した。どこか影を帯びているような雰囲気が人を惹きつけたのかもしれない。昔から、どことなくミステリアスであり、同性よりも女に好かれやすい性分だった。
でもどの関係も特に深いものではなかった。
結花は優しく、それでいて繊細で、器量のある女だった。しかし、子供っぽかった。よく言えば天真爛漫、悪く言えば、感情をすぐに表に出してしまうめんどくさい女だ。
物事を深く考えすぎてしまう宏幸にとって、結花という存在は救いだった。悩み事の相談相手にもなってくれたし、時には悩みを打ち明けあったりもした。
ただひたすらに好き合っていた。
その恋は賞味期限切れ、ということにも気が付かず。
恋は愛よりも情熱的だが長続きしないものらしい。
吊り橋効果のような、何か、ちぎれそうな紐があったとする。紐がピン、と張り合っている状態を恋と例えるなら、そのひもを補強する金具のようなものが愛だ。しかし、2人にはその金具が足りなく、そのまま紐がちぎれてしまった。
繊細な女性を傷つけてまで別れて得られるものは一体何なのだろう?
宏幸は、自問した。
結花との生活を思い出す。
ユニバにも連れて行った。誕生日には花も毎回渡していた。体の相性も良かった。
別れても、別れなくても、どちらでもよかったのかもしれない。
でも正直、着実に、宏幸は結花との生活に疲弊していた。
一途に1人の人を愛するというのは彼には向いていなかったのだ。
面倒臭い関係など、はなから望んでいなかったのだ。
生活から、刺激的なものがなくなってしまった、とは思わない。
喉が渇いていない時にカフェなどで毎回出される水のような役割をしていた。
それくらい、何でもないようなことだった。
ベランダに出ると、独り、煙草に火をつけた。
長いため息をつく。
宏幸にとって至福の時間だが、何故か今回は気分が晴れなかった。
吸いおわると、テレビをつけた。コメディ番組特有の、芸人の大きな笑い声が静かな部屋に響き渡る。チャンネルを変えると、オリンピックがやっていた。卓球だ。
「強ーい」
何日か前に結花と卓球の予選争いの番組を見た。その時、こう言っていたことを思い出した。
一瞬、自分の性欲のことを遠回しに行っているのかと思い(きっと卓球の強さを言っているのだが)、どきりとした。
宏幸は自らの性欲について言われることに謎に敏感なところがあった。まるで思春期の子供のように。