多分私、婚約破棄される2
魔王トロイの咆哮が風に乗って聞こえてくる。
かのおぞましきものの牙城、西の荒野まであと一里ということを示す古びた塚の前で、二人の勇者がこれまでの旅路をしみじみと振り返っていた。
「ここまで、長かったな……」
「ええ……」
「お前のせいだけどな」
「何ですって」
今時の男前勇者エメと、王国の花と謳われた公爵令嬢勇者リュシー。二人は国王直々に魔王討伐を命じられ、長い苦難の旅をしてきた。
王都から西の荒野へは、やんごとなきご令嬢が乗る馬車であれば、およそひと月ほどの旅程であろうか。だが、二人の勇者が王都を出てから費やした日数は、実に百九十九日であった。
ここまで色々あった。
そして今、勇者リュシーをセンターに、いずれ劣らぬ美少女たちが寄り添うように侍っていた。
「イヤだってお前が寄り道ばっかするから」
「「「「「お姉様は悪くありません」」」」」
美少女たちは声を揃えてエメに抗議した。
メンバーを紹介します。
騙されて森から連れ出され、奴隷として売られる寸前に、天窓突き破ってオークション会場に乗り込んできたリュシーに救出され、「どこへでも好きなところへ行くといいわ」と解放されたら、逆に懐いてついてきたツン耳儚げエルフ。
支配の呪文で山賊に隷属させられ、心ならずも彼らが強奪した金品の管理をさせられていたが、リュシーに絡んだ山賊たちが秒で殲滅、結果、解呪され、「どこへでも好きなところへ」以下略を経て、今の姿は童顔巨乳眼鏡っ子な伝説の守護竜。
狂った女主人の館の地下に監禁され、今にも生き血を搾り取られそうになっていたところを間一髪でリュシーが救出。「どこへでも」以下略でここにいる天使キューティクル清純派美少女メイド。今もメイド服。
などです。
魔王を倒す旅に出た勇者が、その過程で形成するという伝説のハー……を、リュシーもまた形成していた。
「やれやれまったくこんなつもりじゃなかったのに、どうしてこんなことに?」
「お前の場合は本当にそうだな」
「この先は危険だから連れていけないわ。この近くに城を買ったから、そこで待っていてくれる? ちょっと狭いけど……」
「「「「「はい、お姉様」」」」」
美少女たちはリュシーに従順だった。
「行くわよ」
「ああ」
勇者リュシーと勇者エメは西の荒野へ向かった。
これより先、死地――。
おどろおどろしいかなくぎ文字が刻まれた西の荒野の入り口は、数多の騎士や荒くれ者たちでごった返していた。
「何か、賑わってないか……?」
「観光地みたいになっているわね。ここ西の荒野で合ってる?」
「合ってるぜ、お嬢さん」
通りすがりの巨漢が不敵に笑う。エメが人好きのする笑みを浮かべ、人懐っこく尋ねた。
「何でこんなに賑わってんの?」
「知らずにきたのか。これだからお上りさんは……。仕方ない。この俺が教えてやろう。討伐を命じた勇者がなかなか討伐しないってんで、王様がしびれを切らしてお触れを出したのさ。魔王トロイを倒した者は、褒賞として何でも一つ望みを叶える、ってな。ま、法が定める良識の範囲内でだけどな。ガッハッハ」
じゃあ急ぐんで、と親切な巨漢が立ち去る。エメが半笑いのまま、ぽつりと言った。
「どう考えてもお前の寄り道のせいだよな……?」
(((((お姉様は悪くありません)))))
「はっ」
「どうしたの?」
「いや、幻聴が……」
「あなた疲れてるのよ」
「絶対疲れてるよ! 気苦労多かったもん!」
「気分転換に体を動かすといいわ」
「軽めのエクササイズかよ。魔王討伐」
西の荒野への侵入は困難を極めた。
荒野の入り口付近が、殺気立った男たちの群れで塞がれていたからである。
彼らは互いに剣を抜き、或いは棍棒を構え、一触即発の雰囲気であった。
「おい、見ろよ。今から共倒れが起ころうとしているぞ」
引いている二人の目の前で、醜い乱闘が始まる。
「魔王を倒すのは俺だ!」
「させるかぁッ!」
キンキンキンキン。
キンキンキンキン。
「伝説のキンキンキンキンをこの目で見られる日が来ようとは」
「馬鹿にしてるだろ。先人たちが育んだ文化だぞ」
しばらく待っていると、共倒れで道が出来た。二人が屍の上を歩いて先へ進もうとした時だった。
「どけどけぇー! 魔王トロイを倒すのはこの私だぁー!」
「助けて! イヤァーーーー! 誰かッ誰かァーー!」
四つの車輪を駆使し、物々しい五階建て攻城櫓が西の荒野に乗り込んでくる。エメとリュシーは左右に跳び、すんでのところで踏み潰されるのを回避した。
「あれは……」
可憐な少女が櫓の最上階から縄で吊り下げられている。誰あろう、アイリーン・プレスコットであった。魔王トロイがまだ人間だった頃、婚約者であるリュシーを差し置いてイチャイチャイチャイチャしていた相手である。
最上階で櫓を駆動させているのは、アイリーンの真実の愛のお相手こと、宮廷魔術師であった。
「さあ、トロイ、出てこい! 餌に食いつけェ!」
「降ろしなさいよ! こんなことしてタダで済むと思ってんの⁉」
「黙れクソビッチ。王は私にお約束くださった。魔王トロイを討伐した暁には、第二王女様と私の結婚を認めてくださると。私は真実の愛を見つけたのだ!」
二人の会話を聞いていたリュシーがふっと笑った。
可笑しかったらしい。
エメは交通整理をする人のように手を上げ、櫓を止めさせた。
「待て。お前、騙されてるぞ」
「何だと」
「そもそもの話、トロイ王太子が闇落ちして魔王になった原因はお前らだろ。いやいや何? そのキョトン顔。いいか、お前らが忘れても王は忘れてない。王は単に、お前ら二人を死地に送っただけだ」
アイリーンが金切り声を上げた。
「絶対そうよ! 王の覚えもめでたく、とか何とか昔ほざいてたけど、アンタなんて実は全然大したことなかったじゃない。隠れキャラの有能美形卑屈弟くんを搾取して、いいように使ってただけのくせに!」
「うるさい! あいつが私の役に立つのは当然だぁ!」
アイリーンはキッと血走った目をエメに向けた。
「ねえ、あなた勇者でしょ! 早く私の縄を解いて!」
「何っ。勇者だと⁉ さては貴様、作り話で私を足止めし、自分が倒しに行くつもりだったな⁉」
「ちがっ、本当だってば。魔王を倒すには魔力だけじゃ駄目なんだ。最後は物理必須だけど、お前絶対それ教わってないだろ」
「騙されないぞ! どけどけぇ!」
爆音を上げて車輪が動き出し、エメは舌打ちして横に飛び退く。
攻城櫓は起伏の多い地面を物ともせず、思いがけぬ速さで荒野の中心に突進していった。
「小回り利いて意外と速いな」
「弟さんは優秀なのね」
「さあトロイ! 出てこい! お前の好きなおもしれー女はここだぁ‼」
リュシーが物憂げに顔を曇らせた。
「まずいわ……。アイリーンさんのことは正直どうでもいいけど、このままでは彼らに先制されてしまう」
「そんな競技だったか?」
勇者二人も懸命に走るが、人間の足では攻城櫓に追いつけない。そうこうするうち、魔王トロイが遂にその姿を現した。
ふしゅう、と彼が吐く息は、瘴気に満ちて青黒かった。
既に人ではないトロイの体は、アイリーン付き攻城櫓よりも更に大きく、皮膚は緑色に変色していた。
頭の両側には尖った角が生え、白目の部分は底のない漆黒、瞳孔は勿論、鮮血の赤である。
トロイが攻城櫓を視界に捉える。アイリーンが人間離れした悲鳴を上げた。
その時、ギャォォォォゥという咆哮と共に、白銀の竜が泳ぐように空を飛んできた。
「ステファニー!」
それはリュシーが旅の途中で保護し、先ほど後方の城に残してきた童顔巨乳眼鏡っ子の真の姿であった。
陽光にきらめく白銀の肢体があっという間に攻城櫓に追いつき、側面にガァンと体当たりを食らわせる。
「あ~~~~~~」
攻城櫓はゆっくりと直角に倒れていった。
「ステファニー、来てくれたのね!」
ふわりと地面に舞い降りた竜の背にリュシーとエメが飛び乗る。リュシーが彼女の背をそっと撫でた。
「可哀相に、こんなに震えて……。怖かったでしょう。勇気を振り絞って来てくれたのね」
「お前にはそれがちっちゃいモフモフに見えてんのか」
「ステファニー、このまま突っ込んでくれる?」
ステファニーは咆哮を上げ、魔王トロイめがけてまっしぐらに飛んでいく。
リュシーがきりっと前を向いた。
「褒賞はもう決めてあるの。エルフの不当捕獲及び売買を禁じる法律を制定してください、か弱い雌竜たちが安全に暮らせる保護区を指定・管理してください、使用人の生き血を搾り取る当主を極刑にしてください、宮廷魔術師の弟さんを保護し、適切な環境を与えてください……」
「おい、叶えてもらえる望みって一つ……」
「――という諸々の提言をお聞き入れください」
「わぁ。一個になった?」
空を滑るような飛翔ののち、魔王と勇者は互いの間合いに入る。ステファニーがトロイの毒息を避けながら旋回し、エメが魔法鎖を放ってトロイの動きを徐々に封じていく。
「もうよさそうだぜ」
「ええ」
リュシーが空に手をかざし、聖剣ゴールデンレガシーを呼んだ。リュシーしか扱えない伝説の剣である。
「黄金の輝きをまといし聖なる剣よ、今こそ我が手に来たれ!」
リュシーの手に聖剣が現れる。リュシーは鞘をすらりと抜き放ち、魔王トロイの頭上から、ありったけの魔力と全体重をかけて振り下ろした。
聖なる剣の白の力により、魔王トロイの体は真っ二つになった。
「やったか⁉」
「ええ!」
崩れゆくトロイから薄青の煙が放たれ、辺り一面を覆い尽くす。視界ゼロの中、ステファニーが慎重に着陸した。
煙が消え去った後、そこに横たわっていたのは、人間だった頃のサイズを取り戻した緑色のトロイだった。
魔王トロイはまだ生きていた。二つになった体がひくひくと痙攣しながら、不器用に言葉を発している。
「リュリュリュリュリュリュシー……」
呼ばれたリュシーが彼に近づいていく。これが今際の際の言葉なら、聞いてやるだけの情はなくもなかった。
「リュリュ、リュ、シー、クククククククレイトォォォッォン……おまおまおまおまえとの……ここおこここここんやくを……はくはくいはくいはきするぅゥゥゥッ……」
「……」
魔王トロイが、最後の最後にそうまでして言いたかった言葉。
リュシーは聖剣ゴールデンレガシーでトロイの口をグサリと突き刺し、彼を永遠に黙らせる。
エメがトロイの角を折り、収納ボックスに入れる。魔王トロイを確かに倒した証である。
トロイは言いたかったことを言い終えて、満ち足りた顔をしていた。
彼の体がゆっくりと溶け、土に還っていく。
勇者二人が静かにそれを見届けた。
(完)
おれたちの たたかいは おわった!
そしてまさかのタイトル回収。