異世界の伝説
「渉さん。先ほどはありがとうございました。部屋まで貸していただいて……」
ちゃぶ台を挟んで座椅子に座るルートが、本当に申し訳ない、ありがたいといった様子で頭を下げる。なんて丁寧な子どもなんだ。
「いやいや、気にしないで。それにあのまま放置していたらあの変……大家さんが逮捕されそうだったし、そうなればこの木陰荘も無事ではなかったかもしれないし」
「ありがとうございます」
ルートはまた頭を下げた。異世界転移が本当だとすれば、見知らぬ世界に来たばかりでこれだけ落ち着いていられるのはすごい。
「それより……異世界から来たって本当?言葉も日本語だし、何だか現実味がない話だけど……」
正直、疑いは消えない。魔法だって何かの手品かもしれないし、突然すぎて簡単にはいそうですかと理解できる話でもない。
「多分、間違いないと思います。大気中に魔力が無くて、大きな魔法は使えそうにないですから。こんなことは元の世界ではまずありえませんし、聞いていた伝説とも一致します」
「伝説?」
「はい。ボクが元いた世界に伝わる伝説です。かつて人類が悪魔によって滅ぼされかけた時、異世界から現れた英雄たちがそれを討ち果たし、人間が住める環境を一から作り直したというものです」
「へぇ。環境を一から作った」
「そう聞いています。悪魔の力によって、世界の総人口が村一つ分になるまで追い詰められたと。文明も、渉さんがニホンゴと呼ぶこの言葉も、かの英雄の信奉者となった人類の父母が学び広めたと言われています」
「……」
やはりにわかには信じられない話だ。村一つ分の人口から世界を作り直すなんて、ほとんど神話じゃないか。
「……すごい話だね。きっとめちゃくちゃ昔の伝説なんだろうけど、それを信じてたってこと?」
ルートの素性を明らかにしたいこともあるが、純粋に話の内容が気になって、問いただすような口調になってしまう。
「何千年前とも、何万年前とも言われる話で、証拠も何も残ってはいません。ですが異世界人の伝説はそれだけではないんです」
「ほう」
「ボクらの世界には、歴史上何人も英雄が登場しています。常に悪魔を打ち滅ぼす存在として、ニホンから来たと口をそろえながら」
「……なるほど」
突っ込みどころはある。長い時を経れば言語は変化するものだが、ルートの話す日本語はあまりに違和感が無さすぎる。それに……
「頻繁とまでは言わなくても、それだけ日本人が異世界に行っているなら、こっちの世界に何の情報も無いのは不自然に思えるけど」
「ニホンから来た英雄は、決してニホンに帰ることはないそうです。こちらの世界に情報は無いかもしれませんが、ボクがいた世界にはニホンの話がいくつも伝わっています。魔法が存在しないというのもその一つです」
ルートはずっと必死な様子だ。助けはしたものの、僕だけじゃなく木陰荘のみんなが半信半疑でいるのを察しているのかもしれない。
天井を見上げると、ふー、と息が漏れ出た。
「わかった」
ルートがぱっと顔に期待を浮かべる。
「ひとまず、その話を信じるよ。ルートが異世界から日本に来た初めての事例だ、ということも含めてね」
「!」
目を見開いている。ひょっとすると気づいていなかったのかもしれない。現状が、変わらず簡単には納得できない異常事態であるということに。
なんにせよ、僕一人では荷が重すぎる話だ。無い頭でよく頑張ったと思う。早く小鷹に話して何とかしてほしい。小鷹……小鷹ぁぁぁ……
「お風呂は沸いてるから、もう入っちゃいな。服は洗っておくから、着替えを貸すよ。サイズが大きいと思うけど一時的なことだし、我慢してね」
「あ、ありがとうございます!」
ルートは雰囲気が柔らかくてとても良い子に見える。そのあと風呂場を開けて、心底驚いた様子で「えっ……」と漏らしたことは目をつむってやろう。悪いがここはボロアパート。狭さには絶対的な定評があるのだ。
……ルートから聞いた話はあとでLIMEでみんなに共有しておこう。