第七回 張郎中 三
益徳さんはしばらく固まったままでしたが口を開きました。
「なるほど、オイラが中郎将ならお嬢ちゃんは光禄勲だな。それでどうやって遊ぶんだい?」
ズコー! ですわ。
光禄勲は、中郎将の上司。そんな大臣ごっこ遊びだと勘違いしてらっしゃるのです。くぬぅ……ですわ。
「違いますよ、張飛さま。現実に中郎将に出世していただきたいんです」
「へえ!」
そう言って益徳さんは私の前に跪いて、武官の礼をとりました。
「オイラの主君はお嬢ちゃんであります。それがご命令ならばその通りに致しましょう!」
と、やはり遊びのお付き合いをなさっております。そうじゃないのに~!
でもそうね。私の言葉が命令みたいになるならば、このままでもいいのかも?
「そうねぇ、それじゃ行きましょう」
「へい、ご主君!」
というわけで多少噛み合わないものの、私たちは市中の見回りに出ました。
ええと、出世、出世~。出世はどこかいな?
市中をずんずん前へ前へ。辻を曲がって東へ西へ。
うーん。出世ってどうすれば出来るんだろう。
大通りに差し掛かった時、曹操さまの仕事場である司空府のほうから立派な馬車が走って参りました。
私たちは道の脇に避けると、ゆっくりとその馬車が止まりました。席には曹操さまがおり、私たちに話しかけて来たのです。
「おう三娘や。今日も市中を出歩っておるな。張郎中、そんな三娘の護衛を務めご苦労である」
と益徳さんを官位名で呼んでおりました。益徳さんは頭を下げてお礼を言っております。
「時に張郎中。劉備は客舎におるのか?」
「ええ居ります」
「さようか。そなたたちは仕事。となると劉備は一人であるな」
「御意にございます」
「うむ、さようであるか。そなたは忠勤に励むがよい」
そう言って馬車を走らそうとするので、私は曹操さまを止めました。
「あの、曹操さま?」
「ん? どうした三娘」
「出世ってどうすれば出きるのですの?」
「ほほう。三娘は出世に興味があるのか。そなたの養父、夏侯淵は出世街道まっしぐらじゃ。出世には何より手柄を立てねばならぬ」
「手柄、でございますか」
「そうだ。目立った功績だな。闇夜に錦を着ても誰も気付かん。人に知れ渡ることが重要だな」
「ふむふむ」
「むしろ能力のあるものは“嚢中之錐”といってな。嚢に錐を入れればその尖端が嚢から飛び出すように見て分かるものなのだよ」
「なるほどですわ~」
「分かったかね。理解力があるな。三娘を嫁に貰えるものは幸せだよ」
「まあ嫁だなんて~」
「ふっふっふ、ではまたな」
そう言って馬車を兄者さんのいる客舎のほうへ走らせて行きました。
なるほど手柄ですわね。益徳さんは腕っぷしが強そうですもの、すぐに手柄を立てれそうですわ!
そうすれば益徳さんはすぐに中郎将。そして私はあなたのお嫁さん。私を嫁に貰えれば幸せ者ですよ。曹操さまのお墨付きですもん。うふ!
「なんかお嬢ちゃんは楽しそうだな」
やだ、益徳さんったらずっと見てたの? もーう。照れちゃう。
「さあ張飛さま、手柄を立ててください」
「手柄かい。どんな手柄を立てたらいいかな?」
「そ、そうですわね。郎中のお手柄ってどういうものがあるのかしら?」
「そうさなぁ。市中の取り締まりが仕事だから、泥棒を取っ捕まえたり、暴れん坊を取り押さえたりだろうな」
お、おう! なんという危険性の高いお仕事。そうですのね~。大丈夫かしら? 益徳さんにケガでもされたら、そっちのほうが困っちゃうわ~。
「泥棒だー!」
え? 泥棒?
見ると、商店のほうから粟の袋を抱えた男が全力でこちらに走ってきます。その後ろには店主さんが棒を持って追いかけてきております。
「どけどけー!!」
きゃー! はい。分かりましたー!
泥棒さんの叫ぶ声に、私は益徳さんの後ろに回って抱きつきました。泥棒さんが私たちの横を通りすぎようとしたとき、泥棒さんは思いっきり転んでしまいました。益徳さんに足を引っ掛かられたようです。
その時、抱えていた粟袋が宙を舞い、トサッと益徳さんの大きな手の上に落ちました。
そこにちょうど店主さんが息を切らせてやってきました。
「畜生! ふてえ野郎だ!」
「お前さん店主か?」
「そうでぃ。だったらどうした」
「オイラは郎中だ。この盗まれたモンは返す。盗っ人はオイラに任せておけ」
「あ、へ、へい。お役人で。おかげさまでうちには被害もありませんでしたし、盗っ人のほうはどうぞどうぞ」
とお礼を言って去っていきました。あざやか! そして泥棒さんを確保! こりゃお手柄よね? 仕事始まって早速お手柄を得ましたわ! こりゃ早々に出世でしょ? 遅くとも明日には中郎将! ご結婚おめでとうございます! ありがとうございます!
「ホラ。お前ぇ起きな」
あら? 私が二人の結婚式の想像をしている間に、益徳さんったら泥棒さんを介抱なすってるわ。泥棒さんのほうでも目をパチクリさせて息を整えました。
「オイラは郎中だ。どうして人のものなんてとったんでぃ」
「ああ、お役人さまでしたか。もうおしまいだァ」
「いいから訳を話してみな」
「それがお役人さま。あっしは都で商売しようと、青州から出てきたのですが、もうじき許都というところで山賊に全て奪われてしまったのです。家族や私の命は無事でしたが、一銭もなくなり、頼るものもおらず、妻や子どもが腹をすかせているのが不憫で、こんなことをしてしまったのです」
「そうかい」
益徳さんはそう言って、懐から財布を出すとほとんどのお金をあげてしまいました。
「それ。これで子どもに腹一杯飯を食わせてやんな。ここは都だ。探せば仕事はたくさんある。二度と人のものをとっちゃなんねぇぞ?」
「え? いいんですかい?」
「いいから早く行っちまえ。女房と子どもが待ってるんだろう?」
「あ、ありがとうございます! お役人さま。せめてお名前を……」
「オイラは張飛だい。燕人張飛だ」
この燕っていうのは益徳さんの出身地の昔の国名ですわ。この時代では幽州と言って、北方の土地のことです。ちなみに兄者さんもこちらの出身ですのよ。
「張飛さま! このご恩は一生忘れません!」
そう言って泥棒さんは大きく頭を下げて路地裏に入って行きました。それに益徳さんは笑顔で手を振っております。
い、いや、お手柄は!?
泥棒さんを取り押さえて、お役所に連行して初めてお手柄になるんじゃなくって!?
これでは誰にもお手柄が知れ渡らない。まさに曹操さまがおっしゃってた、“闇夜に錦を着る”ですわ~。
「んー。いいことすると気持ちがいいなぁ」
益徳さんは笑顔で大空に向かって伸びをしております。
んー……。そっか、いいことかぁ。ま、いいのかな……?
その日はそれ以上なにもなく、明日も会う約束をして益徳さんとお別れです。益徳さんったら、夏侯のお屋敷の門まで送ってくれたのです。これって彼氏彼女みたい。キャ!
嬉しい気持ちのまま、屋敷に上がると伯母さまが腰に手を当てて、ふんぞり返りながら妖しい笑みを浮かべておりました。
「あーら、夏侯夫人。今日の旦那さまの秩石はおいくらくらい上がりましたの~? 百石かしら? それとも五百石かしらね?」
むむむ! 伯母さまったらイヤミを言ってきましたわ!
「もう! 伯母さまのいじわる!」
「ほっほっほ。あと千五百石くらいの加増ねぇ。頑張ってちょーだい」
ムカッですわ! こうなったら益徳さんにどんどんお手柄を立ててもらって出世していただかないと!