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第四回 魅力の化物 四

 伯母さまの琴の音が止んで、一娘お姉さまが膝を揃えて兄者さんの前に平伏します。それにあわせて二娘お姉さまもその場で平伏しました。


 そんなお姉さまを好色な兄者さんはニヤニヤと見つめております。

 曹操さまは、兄者さんが歌と踊りを気に入ったのだと思い、もう一度、一娘お姉さまを立たせ、自分も帯を叩いて即興に歌い出しました。


對酒當歌さけをまえにおおいにうたおう人生幾何じんせいなんてあっというま

 譬如朝露まるであさつゆのようだ去日苦多すぎさったひびをくやむばかり

 慨當以慷こうふんしてぐちばかりで幽思難忘しずんだおもいはわすれられない

 何以解憂どうやってうれいをなくそう惟有杜康やっぱりさけしかないじゃないか


 それにあわせて一娘お姉さまは、またもや艶っぽく踊るものですから、ますます兄者さんは食い付いて居りました。

 歌い終わった曹操さまは、兄者さんに尋ねました。


「どうだった? 劉備」

「ははあ~。まさに“長袖(ちょうゆう)善く舞う”ですな」


 との答えに曹操さまは、自分の詩を誉めてもらいたかったのに、お姉さまの踊りのことを言うので、ちょっとガッカリした様子でした。

 しかし兄者さんが、韓非子(かんぴし)を流用して言ったので、今度はそれに食らいつきました。


「おお。よく知っておるな。韓非子に曰く、“長袖善く舞い、多銭(たせん)善く(あきな)う”だ。劉備は韓非子にも通じておるのか? 今度、当家にて議論などしたいがいかがか?」


 でも兄者さんは安定の色好み。色欲魔人で、お姉さまを見つめてばかり。さすがのお姉さまも顔を下に向けて目を合わさないでおりました。

 ですが兄者さんは雲長さんに、ポンと背中を叩かれてハッとしたように曹操さまのほうを見ました。


 これには曹操さまも、兄者さんの興味はお姉さまにあると思い、お姉さまたちを立たせました。


「これ一娘、二娘や。余の客に酒を注いではくれまいか?」


 とたんに兄者さんの目はギラつき、鼻息荒く一気に杯を飲み干して、お姉さまたちを待つ杯を持つ手は震えております。ホントにアナタはどこまで……。


 使用人たちは遅れてはなるまいと、お姉さまたちに酒甕(さけがめ)柄杓(しひゃく)を持って数人やって参りましたが、私はそのうちの一人から酒甕と柄杓一式を奪い取ると、会場へと入って行きました。

 驚いたのは伯母さまです。


「あっ……! ちょっと三娘──!」


 しかし私はお姉さまたちの横に並んで三兄弟のほうに向かおうとすると、それに曹操さまも気付きました。


「おお三娘か。劉備よ。これはこの二人の末妹でな、名を三娘という。歳はまだ十一なので若すぎると思って控えさせたが、夏侯家のものはどうも前線が好きなようだな。はははは!」


 と笑いました。夏侯惇さまや伯父さまが戦場に立つ心意気に例えたので、二人は照れておじぎをしておりました。


 そしてお姉さまと共に三兄弟にお酌をしようと座ります。一娘お姉さまが兄者さん。二娘お姉さまが雲長さん。そして私が益徳さんへとお酒を注ぐと、曹操さまは言いました。


「ほほう、これはよい。三兄弟に三姉妹が酒を供しておる」


 兄者さんはデレデレ。雲長さんは石仏。益徳さんは何をしても楽しいモードなので終始ニッコニコですわ。

 その様子を見て曹操さまは兄者さんが欲しいものが分かりました。それを贈れば兄者さんがきっと自分に感謝して喜んでくれると思ったのです。


「どうだ劉備?」

「はい。何でしょう?」


「一娘が気に入ったか? ならば妾にとらすぞ?」


 そこで伯母さまは大きく空咳を打ちました。あまりの大きさで、辺りは水を打ったようになりました。

 そしてギロリと曹操さまを睨みます。


「曹閣下。お戯れを。一娘は義弟(おとうと)より託された私の可愛い娘です。いくら主君といえども、親の許しも得ずに人に与えようとするとは何事です!」


 こっっわ!

 怖いですわ伯母さま。伯父さまも、席でウンウンと頷いております。

 曹操さまもまるで奥様の卞氏に言われたかのように言葉が詰まって伯母さまを見つめて固まっております。


 しかしながら、兄者さんにはその雰囲気が伝わらないのか、喜びの声を上げました。


「閣下、本当でございますか!? 本当に一娘さんをくださるんで!? いや~それは嬉しい。私、今は着の身着のまま徐州から逃げてきたので一人身でしてね、そうしてくださるとありがたい。一娘さんや、こっちへいらっしゃい。なんともすべっこい手だねぇ。白魚を五本並べたとはお前さんのことだよ。さあオイラの隣に侍りなよ」


 素! 素だし、弩助平(ドすけべェ)だし、気持ち悪ィ! こんなんが魅力お化けとは聞いて呆れますわ。私もこの時引いてました。

 しかし隣にいた雲長さんは兄者さんの膝を叩きましたので、兄者さんはお姉さまから手を離しました。


「な、なんでぇ雲長。いいじゃねぇかよ、閣下がくださると仰るんだから」


 という声もか細い。弱々しい兄者さんに変身ですわね。

 雲長さんは座りながら一歩踏み出し、兄者さんに腕を伸ばして素早くヘッドロックを決めました。暴れる兄者さんに雲長さんは声を潜めていったのです。


「兄者は一体ここに何をしに来たんです? 女漁りですか? 我らは曹操殿より兵を借りて呂布より徐州を奪還するために来たのです。そもそも徐州六郡の人々は曹操殿を深く恨んでおります。あの虐殺をお忘れか? あなたは徐州牧で徐州の民の長なのです。それが曹操殿の縁者を妾に貰えば、徐州の民は望みを失いますぞ」


 ま、真面目──!

 さすが雲長さん。兄者さんの色欲を一気に消し去りましたわ!


 それから雲長さんの内緒話の意味が分からない人もいらっしゃると思うので解説しますね。


 まず曹操さまの虐殺。

 これは、曹操さまのお父上である曹嵩(そうすう)さまが、徐州琅邪郡(ろうやぐん)から曹操さまの本拠地である兗州(えんしゅう)に向かう際に、徐州内で暗殺されたのです。

 これに曹操さまは大いに怒り、徐州へ攻めいって民も家畜さえも虐殺したのです。

 それですから、徐州の民は曹操さまを恨んでいるというわけですわ。


 そして一娘お姉さまが曹操さまの縁者。

 これは曹操さまのお祖父さまという方が宦官(かんがん)で、子孫を残せない身体でしたの。

 ですから、娘を曹家の兄から養女に貰い、その婿に“夏侯家”から曹嵩さまを迎え入れたのです。

 曹嵩さまは、当時の夏侯家の次男で、兄の子が夏侯惇さま。弟の子が伯父さまや私の父。

 つまり、夏侯家は父方のいとこ。曹仁さまや曹洪さまは母方のいとこということになりますわね。

 ですからお姉さまは従弟(いとこ)の子で、弩血縁(ドけつえん)というわけです。ちなみに私もそうですからね。


 雲長さんに叱られてションボリ顔の兄者さんは、そんな野心があることを隠しながら曹操さまへと申し上げました。


「閣下に申し上げます」

「な、なんだ」


「私は現在、土地も民も持たぬ流浪の旅人でございます。それが夏侯の姫君を貰ったとなれば、私は単なる色好みで、閣下も劉備ごときに姫を与えたと天下にそしりを受けましょう。“遠き(おもんばか)り無きもの必ず近き憂い有り”と申します。一娘どのは本当に可愛いし……、美しいし……、若いし、容色、色艶は私好みで確かに嫁には欲しいところですが──」


 途中までよかったのに、未練をウダウダ語り始めたので、また雲長さんにお尻をつねられて飛び上がっております。バカですね~。


「ですから、あのその、そう言うわけでご辞退申し上げます……」


 という姿が、非常に残念そうで悲しそうなので、それを曹操さまは不憫に感じてしまったようです。妖力に当てられてるからしょうがない。

 そこでどうにかしたいのか、私たち姉妹の様子を見渡しておりました。


 兄者さんは寂しそうに酒を飲み、雲長さんはまるで独り酒。そして私たち。益徳さんと三娘はというと──。


「ささ張飛さま、おひとつ……」

「おー! すまねぇな。いやあ旨い。こりゃいい酒だ。浮き世の苦労を忘れるねぇ」


「まー、お強い。腕前も強くて呂布とやりあったんですってね?」

「おー、よく知ってるねぇ。あんなもんちょちょいのちょいよォ」


「ま。頼もしい。さあどうぞ」

「ありがとうな、お嬢ちゃん」


「私は夏侯三娘と言いますよ、張飛さま」

「おうそうかい。夏侯の縁者かい。じゃお姫さまだな」


「あら、お姫さまだなんて~」

「夏侯惇どのも夏侯淵どのも、官位も将軍位も高位だ。将来は列侯になるだろう。その一族ならお姫さまだよなぁ。とても可愛らしいお嬢ちゃんだ」


「またまたお上手で~」


 大変盛り上がっておりました。意中の人に誉められて舞い上がってる私ですが、実はこの時の益徳さんは、お酒を飲んでなんでも楽しいモード。いわゆる笑い上戸というやつです。


 そんな微笑ましい光景を見ていた曹操さまはピンと来ました。


「張飛よ」

「なんでございます、閣下!」


 大変元気のよいお返事です、益徳さん。


「そなた大変に三娘を気に入ったようだな」

「とても器量よしのお嬢ちゃんです」


 私は頬を押さえて有頂天になってしまいました。そこに曹操さまは続けます。


「よし。劉備よ。そなたは呂布より徐州を取り戻したいであろう」

「は、はい」


「しからば、そなたを鎮東(ちんとう)将軍に任じ、呂布の討伐を命じよう。しかし、東に向かわす兵を集めるには多少時間がかかる」

「さようでございますか。しかしながら、有り難いお言葉をちょうだい致しました。よろしくお願いいたします」


「まあ待て。話はまだ終わっておらん」

「と、申しますと?」


 そう言って曹操さまは雲長さんと、益徳さんへと目を向けました。


「関羽!」

「はい」


「そなたを侍郎(じろう)に任ずる。城中の警護を担当せい」

「有りがたき幸せ」


「張飛!」

「はい」


「そなたを郎中(ろうちゅう)に任ずる」

「はい」


「郎中は市中の見回りの仕事だ。またそこにいる三娘はチョロチョロと市中を出歩いて困っておる。そなた、三娘を見かけたら護衛し、面倒を見よ」

「仰せつかりました」


「まあ二人の役目は劉備が呂布を討つまでの臨時の役職だ。そなたたちもただで面倒を見て貰うのも気が引けるだろう。しっかりと仕事をしてもらう」


 その言葉に二人はその場に平伏しました。


「はは! ありがたきしあわせ」


 私も幸せ! やったー! 益徳さんのお仕事は私の護衛だー!


 ……と思ってたけど、益徳さんはこの時、お酒でいい気分になりすぎててほとんど覚えてなかったのよね~……。ヒドイわぁ。


 そしてこの雲長さんと、益徳さんへの任官は、実は曹操さまが兄者さんを独占したいために、仕事を与えたのです。

 さすが策士ですわ!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 張飛に初恋。 張飛相手に珍しいシチュですね。 でもそこが良いです♪ 後、三国志知識も凄いですね。 俄の作品のようで、拘るところは拘ってるのが良いです!
[一言] さすが乱世の奸雄( ˘ω˘ )
[良い点] 楽しんでます。 [一言] 曹操さまの歌はいいけど、 苦手だった漢文の授業を思い出しました~。(*^^*)
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