第三十一回 強襲 一
益徳さんたちが小沛の城に入って五ヶ月ほど経ちまして、私もある程度の花嫁修業が緩和されてきました。
益徳さんがいないので、伯母さまも気が緩み始めたのでしょう。ふぅ、良かった。
そんなことで、前のように市中にでて遊ぶ機会も増えました。たまに益徳さんたちがいた客舎を覗いたりしましたが、当然ながら誰もいません。あの活気のあった劉備一家の人たちは全員出ていってしまったのですもの。寂しいですわ。
そんなセンチメンタルな気分に浸っておりました私でしたが、さすがに軍事に疎いといえども気付いたのです。
ここ最近、都に何度も早馬が走ってくるのを見かけていたのです。
早馬とは緊急の連絡を告げる使者です。
それについては伯父さまも何も言いませんでしたし、初めの頃は特に気には止めていなかったのです。
しかし、ある日の使者が孫乾さんだったので驚きました。孫乾さんは土埃だらけで、ひどく疲れている様子でした。
馬は長旅の疲れか、そこに倒れ込んでしまったので、孫乾さんは馬をそのままに足を引きずりながら曹操さまのいる司空府のほうに行こうとしておりました。
私はそんな孫乾さんに駆け付けて身体を支えました。
「孫乾さん! 大丈夫ですの!?」
「おお! これは夏侯のお嬢さま。ご無沙汰しております」
「いえ、それより大変お疲れのご様子。小沛で何かございましたの?」
「いえそれが……」
孫乾さんは最初、私が心配するからと思ったのか、言葉を濁しておりましたが話し出しました。
「実は我々が小沛に三ヶ月も経った頃、呂布は喉元に匕首を突き付けられたと思ったのでしょう。すぐに騎兵二万と歩兵一万を差し向けて来たのです」
「え? 三万の兵ですの!?」
「そうです。それを率いるのは呂布陣営の名将張遼、そして猛将高順に加え三人の勇将です。我が軍には関羽も張飛もおりますが、兵数が圧倒的に足りません。すでに籠城して二ヶ月。なんとか守りきっておりますが、これでは落城必至なので、こうして曹閣下に援軍を求めに来たのです」
「そ、そうでしたのね。分かりました。私が肩をお貸し致しましょう!」
「す、すいません。お嬢さま」
私は孫乾さんを抱えて立ち上がりました。孫乾さんの体の重みが私に伝わります。よっぽど疲れているのですわ。
「それにしても、そんな敵の兵馬の中をよく抜けて来られましたわね」
「ええ。張飛が途中まで五百の兵を率いて護衛してくれたのです」
「え? 益徳さんが? それで益徳さんは?」
「主君をお守りするのだと、また城に戻りました。敵の囲みを抜け、上手く城に戻るとは言っておりましたが、私も心配です」
「そ、それじゃ益徳さんの安否は不明ですの?」
「はい……、申し訳ございません」
なんと言うことでしょう! 益徳さんは大丈夫なのかしら!? これは早く曹操さまや、伯父さまに援軍に行って貰わなくちゃなりませんわ!
そうなったら孫乾さんが重いだなんて言ってられません。早々に司空府に着きまして、私も一緒に曹操さまに会いに行きました。
何度も援軍の要請があったからでしょう。曹操さまはすぐに孫乾さんに会ってくださることになったのです。孫乾さんは曹操さまに跪きました。
「孫乾が司空閣下に拝謁致します」
「うむ孫乾。面を上げよ。して小沛の戦況はどうじゃ?」
「それが芳しくありません」
「詳しく申せ」
「はは! 我が軍は練兵を重ね、精兵一万となりましたが、寄せ手は騎馬二万と歩兵一万で三倍の兵力であります。我が大将は関羽と張飛の二将で頑張っておりますが、敵は張遼と高順、そして魏越と成廉、曹性の五将が東西南北から攻めております。また、同盟軍の臧覇が一万の兵を率いて向かっているとの情報です。我が軍の士気は日に日に落ち、城民も恐れおののいております。閣下、何卒援軍を!」
「そうか、四万の兵に六将か。まずいな、長くは守りきれまい。兵糧も不安だ」
「で、では……!」
「しかしのう……。なかなか兵が割けぬのだ。袁紹、袁術、その他の方面を敵に囲まれていてのう……」
さすがの曹操さまでも無理難題のようですわ。やっぱり兄者さんが目の前でないので、魅力の妖力も効かないのね。
私も曹操さまにお願い致しました。益徳さんの行方も気になりますもの。
「曹操さま、どうか劉備さまたちをお救いください。私からもお願い申し上げます!」
「おお、そこにいたのは三娘か。うむ、そなたの優しい気持ちは分かるがのう、こればっかりは……」
そこに曹操さまの横に控えていた荀彧が近付いて耳打ちをします。
「閣下。これは呂布を捕える機会です。是非とも援軍をだしなされ」
「ふむ? しかし……」
「拠点の兗州は私と夏侯淵で守ります。呂布が小沛に三万の兵を出しているなら、呂布のいる下邳には二万しかおりません。そこを突くのです」
「なるほど、たしかに。しかし劉備の救援はどうする?」
「小沛は劉備によって堅城となりました。まだ持ちます。ここは夏侯惇に一万の兵を預け、援軍に行かせれば張遼も高順もどちらを攻めてよいか分からず、足止めとなります。その間に下邳を取ってしまうのです」
「なるほど。それはよい」
「それに小沛を取られてしまうと、呂布の勢力はますます拡大します。これは抑えなくてはなりません」
「それもそうだ」
と曹操さまはポンと膝を打ちました。そしてこちらを向いてニッと笑います。
「下邳を十万の兵で攻める。そして小沛には一万の援軍だ!」
な、なるほど。呂布の本拠地である下邳の城を取ってしまえば曹操さまの勝ちですけれども、問題の小沛の城にはそれでは少なすぎませんか……?
ですが曹操さまはニヤリと笑います。
「表向きはな。余は下邳に向かう途中で三万の兵を率いて、小沛の援軍に向かう。張遼の用兵は見事だと言うが、余のほうが上手だということを教えてやろう。夏侯惇と余の兵力、合わせて劉備が城の中より挟撃すれば、厄介な張遼を捕えることが出来よう。さすれば呂布の兵の士気も落ちるのは必然。自ずと我らの勝利である」
といたずらっ子のように微笑みました。荀彧さんは自身の策とは違っておりましたが、大きく頷きました。そういうところが曹操さまのすごいところですよね。
孫乾さんはそれを聞いておでこを床に擦り付けました。
「ああ! 閣下! ありがとうございます!」
「ああ、余も劉備が心配だからな。小沛を救ったら、その勢いで下邳の呂布を討つぞ!」
私も飛び上がって喜びました。




