第三回 魅力の化物 三
伯母さまのお話が終わりましたが、私はどうしても腑に落ちません。
「ねぇ伯母さま?」
「なあに? さっさとお姉ちゃんたちを呼んでらっしゃい」
「お姉さまたちを呼ぶのは結構ですわ。ですが、その劉備さまの義兄弟は二人。つまり三人いるのですわよね。そしたらこちらも三人いないと数が合わないと思いません?」
「あら何が言いたいの?」
「私も行きます」
「行かせません!」
ピシャリ。早いですわ、伯母さまったら。どうして私は行けないんですの? 私は口を尖らせて抗議しましたが、伯母さまは眉を吊り上げて顔を近づけました。
「あのねぇ。まだまだあなたは前途ある若い身空よ。劉備も関羽も三十後半よ? それに負け戦ばかりの先行き不安な群雄よ。そんな連中に見初められてたまるもんですか。例え曹閣下が一娘や二娘に嫁に行けと言っても私は全力で止めるわよ。あなたまで興味本位で来られて厄介ごとが増えられたら困るわ!」
「あら、もう一人の張飛とかいうのはおいくつですの?」
「張飛? 張飛は……三十くらいかしら?」
実際にこのころの益徳さんは三十一歳でした。私は十一歳。やっぱり、どうあっても二十歳も離れてる。はー、それでよく益徳さんと結婚したわよね~。
「伯母さま。私、その劉備とかいう“魅力お化け”を見てみたいです」
「はー……、言い出したら聞かないんだから。それに誰にでもその妖力が効くわけじゃないらしいし……。まあいいのかな?」
「そうなんですの?」
「そうなのよ。私や姉上がこっそり宴席を覗いて見てもなんともなかったしね。三娘なら、大丈夫かな?」
ふーん、なら安心かな? と思いつつ、私はお姉さまたちを呼んで来ました。
伯母さまは、お姉さまたちに魯縞を着せ、蜜漿を飲ませて喉の調子を良くさせました。
お姉さまたちは不安なようでどんな宴席なのか伯母さまに尋ねますと、伯母さまはまた兄者さんの経歴を話してみせてましたが、お嬢様育ちのお姉さまたちは、不安で仕方ないと露骨に嫌そうな顔をしてました。そりゃそうでしょうね。
でも伯母さまになだめられて、嫌々ながら宴席へと向かいました。私も一緒に。でも私は魯縞は着せられず、いつもの服にたすきを巻かれてました。どうやら食膳を運ぶなどの裏方作業のようです。トホホ。
お姉さまたちは、出番が来るまでの部屋を与えられたのに、私は使用人に混じって会場のセッティング! これも伯母さまの女としての教育。夏侯家は甘くないのです。
ややもすると、伯母さまは私の腕を掴んで会場から連れ出しました。どうやら宴会が始まるのでバタバタ動くなと追い出された格好ですわ。
そうすると、お客である兄者さんや雲長さん、そして未来の旦那の益徳さんがやって来て、兄弟順に用意された席へと座りました。
私は兄者さんがどんな人物なのかを物陰からそっと覗いて見ました。
すると、優しそうなお顔立ちに長い耳。手も普通の人より異常に長いお姿。確かに人より変わってて、お友達になりたい雰囲気はありました。これが魅了する力なのかしら? 私はピンとはきませんでした。
続いて隣を見ますと、長身で長い顎髭が印象的。赤ら顔の雲長さん。真面目で実直を絵に描いたように、物静かに目を綴じて居りました。……なんか面白くなさそうな雰囲気。お姉さまたちの歌や踊りは気に入ってもらえるのかしらと冷や汗をかきました。
続いてお隣は……、お隣──。
私はその方のお姿を見て、ただ動けずにいました。まるで曹操さまが兄者さんに会ったという話のように……。
その方は、精悍な顔つきで、整った虎鬚を生やし、衣服は下に隠れる筋肉で膨らんでおりました。高身長で涼やかな眼差し。なんとも魅力溢れる人物だったのです。
「これ三娘。はしたないわよ。頭を引っ込めなさい!」
伯母さまは私の頭をグイッと掴んで強引に部屋へと引き入れました。私はぼうっとしながらも伯母さまに聞きました。
「伯母さま」
「なによ」
「劉備さまっていうのは、上座から遠い位置にお座りで?」
「なに言ってるの。だったら下座じゃない。下座には末弟の張飛だわ」
「張飛……。あの方は張飛……?」
「そうよ。ウソか、本当か、あの呂布と一騎討ちで互角にやりあったそうよ」
「りょ、呂布に?」
呂布と言えば、恐ろしいものの代名詞ですわ。前にこの兗州は呂布に奪われ、族父の夏侯惇さままで捕虜になったこともありました。幸い夏侯惇さまはすぐに救助されましたが、私たちは呂布の恐ろしさに震え上がったものです。
その呂布と互角に? そりゃ胸板がすごいわけですわ。
「さあ曹閣下がお見えになるわよ。私はお姉ちゃんたちを連れてくるからね、大人しくしてるのよ」
と言って行ってしまいました。
あの方が張飛──。それもあの呂布と渡り合った中原でたった一人の男……。
伯母さまの言っていた兄者さんには魅力を感じなかったけど、父を見たことがない私は頼り甲斐のありそうな益徳さんに心奪われてしまったようでした。
これが初恋というやつですわね。
私は何度も物陰から益徳さんの姿を見ては隠れ、見ては隠れ。そのうちに、益徳さんのほうでも私の動きに気づいてにこやかに大きく手を上げたのです。私は真っ赤になって小さく手を上げました。
それが初めての旦那との接触でした。
しかし、それは益徳さんには悪いタイミングでした。丁度曹操さまが入ってきて、大きく手を上げている益徳さんを見て眉をひそめたのです。
この時の曹操さまは、“魅力お化け”の兄者さんがなぜ厄介者の益徳さんにべったりなのか分からずに、疎ましく思っていたようです。
「張飛。なぜ無粋に手なぞ上げておる!」
その言葉に三兄弟は曹操さまの入場を知ってその場に平伏しました。そして兄者さんが挨拶をしたのです。
「曹司空閣下に我ら三兄弟が拝謁いたします。本日は我らにもったいない宴席に呼ばれ恐縮して居ります。義弟の無礼は私の無礼。代わって陳謝申し上げます」
とやるものですから、兄者さんに嫌われたくない曹操さまは、慌てて自席に座って取り繕いました。
「劉備、関羽、張飛よ。面を上げィ。なにその……これは余興じゃ。嘘の芝居。怒ったと見せかけて緊張させようと思ってな。すまんすまん。いや先日はすぐに帰られてしまって残念だった、本日はゆっくりして行けるのだろう? そうだろう? な、な、な?」
「もちろん。閣下と楽しいお話がしとうございます」
「それはよい。さあ、酒と食膳を持てィ!」
と曹操さまが言うやいなや、回りに控えていた使用人たちが一斉に動いてあっという間に食膳を持ち、お酒を注いで行きました。
会場には曹操さま、劉備三兄弟のほかに、伯父さまや夏侯惇さま、曹仁さま、曹洪さま、知恵袋の皆さまが居りました。
宴が始まって、お酒も回ってきたところで曹操さまが言いました。
「劉備よ、紹介しよう。ここいにる夏侯淵の妻は、余の妻の卞氏の妹でな。余の妻同様、とても面倒見がよい女なのだ。卞峰! 入って参れ」
そう言われていつもより着飾りマシマシの伯母さまは、お姉さまたちを連れて宴席に入って行きました。
とたんに兄者さんの目の色が変わってニタニタしております。……兄者さん。
雲長さんはまるで石仏のよう。まったく興味を示しません。
益徳さんはというと、お酒を飲んで何でも楽しいモードに突入。昔からこんな感じなのよね~。可愛い。うふふふ。
「劉備よ。今日の出し物はこれだ。この若い二人は余の従弟であった夏侯英の娘たちでな。夏侯英は残念なことに若くして身罷ったが、余の義妹である卞峰が女の教育をしたのよ。上の娘は一娘と言い踊りの名手。下の娘は二娘と言って歌を歌えば天下に並ぶものなしである」
それを聞いているのか聞いてないのか、兄者さんはお姉さまたち……特に一娘お姉さまを見つめて心奪われた様子です。ホント、女好きなんだから……。
「ははあ。お二人の歌と踊り、大変に興味があります」
なんて答えてるけど、ホントは魯縞の下にうっすら見える肌に興味があるだけでしょ。助平なんだから。
「おおさようか。では卞峰、一娘、二娘、早速披露するがいい」
それを聞いてお姉さまたちは立ち上がり、伯母さまは琴を前に座ります。
伯母さまの琴の音が響くと、一娘お姉さまが天女が遊ぶように美しく舞い始め、二娘お姉さまが詩を歌い始めました。
二娘お姉さまの透き通る声が、場に響き渡ります。
「風雨淒淒、雞鳴喈喈。
既見君子、云胡不夷。
風雨瀟瀟、雞鳴膠膠。
既見君子、云胡不瘳。
風雨如晦、雞鳴不已。
既見君子、云胡不喜」
これは詩経にある『風雨』という詩で、女性が愛する人に会えた喜びを歌ったものですわ。
ははあ。なるほど。曹操さまは兄者さんとお酒を飲めて嬉しい楽しいと思ったからこの詩を歌わせたんだわ。
曹操さまは照れ隠しにお酒を一口飲みました。