玖
「貴方に手を出すなんて、危機感の無い人たちね」
「俺は一般人のフリが上手いって事にならないか?」
「なる訳無いでしょ」
「まあ、そうだよな」
「今回の事で見ていた先生方も貴方に目を付けるでしょうね」
「ふぅ」
図書館で合流した2人は麻琴と龍牙が話していたのと同じように半個室に入り勉強している体裁を取る為に教科書とノートを広げた。
麻琴に帰宅部なのに裂が学校に残っていた理由を問われて素直に話せば完全に呆れられてしまう。
「下手したら同級生3人が更生プログラム受診の為に退学か」
「問題児を抱えた学園だ」
「最大の問題児が何を言っているのよ」
「心外だ。被害者だぞ」
「殴ってくるように誘ったでしょ?」
「……」
「図星ね。殴られる経緯、嘘は言ってる訳じゃないけど、面倒臭がったのが丸見えよ」
「教師たちから形式的に質問するかもって言われてんだけど、バレるかな?」
「バレるでしょうね。先生方だって専門の科目じゃなくメンタル専門の人を用意するだろうし」
「更生プログラムを受けなくて済む程度に答えてくるか」
現在の教育機関、企業はどこも所属する人全てにメンタル診断を受けさせ、一定以上の心理的不調を抱える者には更生プログラムと呼ばれる不調を整える為の訓練が課せられる。
社会的システムとして各国が導入するこのプログラムは受診した人間に対して社会的不適合者、妖魔になる可能性の高い人間としてしまう差別の温床になっている。
同時に更生プログラムによって妖魔化の兆候が有る人間が妖魔化せずに済む事例も確認されており賛否両論だ。
「異端鬼が更生プログラムを受けるなんて笑い話、止めてよ?」
「俺だって面倒なプログラムは受けたくない」
「ま、誰だって嫌よね」
「あと、今回は麻琴お嬢様がオモテになるのが悪いのでは?」
「止めて」
本気で嫌なのだろう、麻琴は完全に無表情だが少しだけ見開かれた目の瞳孔が開いている。
殺気と呼んで良い怒気を受けても裂は特に何も思わず視線を教科書に向けた。
学生が2人で半個室に入った体裁を整える為の物、内容は頭に入っていない。
「それより、ステルス妖魔ね」
「あん?」
「殆ど陰謀論だけど、冗談にしては笑えない情報が出て来たわ」
「陰謀論?」
「妖魔の発生は多少はコントロールが出来るでしょ?」
「ああ。各国の頭首が魔装使いの護衛を付けてる理由もそれだろ」
「そうよ。そして、妖魔の発生をコントロール出来るなら妖魔を人工的に兵器化する事も可能と考える人だって居る」
「そりゃ居るだろうな」
現在の学生は義務教育のカリキュラムで妖魔概要という授業を受ける。
その中には妖魔化の原因、リスク、歴史が含まれる。
過去、独裁政権にて妖魔化を兵器転用する人体実験が行われた事、国家間戦争を引き金に複数の小国が亡びる程の妖魔が生まれた事など、過激な内容が含まれる授業だ。
その為、日本の子供は皆、常識的な知識として妖魔の事を危険な存在として知っている。
「ステルス妖魔は政府が密かに研究開発した人工妖魔ってか?」
「国や企業のスキャンダルなら研究所を潰して公表して第3者の監視を入れ動けなくする、なんて手段も有るのだけどね」
「何だよ、歯切れが悪いな」
「半グレ集団が遊び感覚で拉致した研究者に作らせて、その方法だけが裏社会で広まっているなんて話が有るのよ」
「は?」
「もし本当なら、厄介な事に潰しても潰しても沸いて来るわ」
「麻薬みたいな話だな」
「ああ、言われて見ればその通りね」
裂の言い様が非常に麻琴の感覚に合った為につい納得してしまった。
「で、陰謀論って言うからには眉唾なんだろ?」
「ええ、ハッキリ言えば確かな情報が無いわ。ネットの掲示板でそんな妖魔が居たら怖いな、なんて情報なら笑い話で済むんだけどね」
「そういや情報源は何だ?」
「影鬼のデータベースで過去に潰された半グレ集団の情報なんだけどね」
「影鬼に潰された半グレ?」
「潰したのは影鬼じゃなくて四鬼よ」
「四鬼が半グレを?」
「30年位前に激流鬼系列の研究者が半グレに拉致された事件が有ったらしいの。偶々ヤクザに伝手の有った半グレに四鬼が追い付くのには半年くらい掛かったみたいね」
「妙に時間が掛かったな」
「当時の警察とヤクザの癒着から通常の捜査が出来なかったようね。その間にヤクザの主導で研究者に無茶な研究を行わせたみたい。ただ、四鬼の情報だから影鬼のデータベースに詳細は無いわね」
「それこそ陰謀論みたいだな」
「そうね。最終的に四鬼が保有する独自の捜査権を行使して強引にヤクザと半グレの拠点に踏み込んだみたい。警察と四鬼の間で行われた会合の最中、四鬼側が警察官僚を2人、鬼として切り殺したという記録も有ったわ」
「ああ、センセーショナル過ぎて陰謀論にしか聞こえないな」
「ええ。念の為に30年前の警察組織のニュースを検索してみても関係の有りそうなものは無かったわ」
「そんな組織の恥じ、隠せるなら隠すだろうな」
「それに30年も前の事、映像や音声も今ほどの物は無いでしょうから今になって当時の関係者を名乗る人が出てきても真偽不明でちょっと世間を騒がせて終わりでしょうね」
この情報の真偽は誰にも分からない。
30年前の事実など今更公開されたところで過去の話でしかない。
それよりも問題は現状のステルス妖魔だ。
今の麻琴の話ではステルス妖魔についての情報が殆ど無かった。
「研究されていた妖魔の情報は無いのか?」
「データベースには殆ど何の情報も無かったわ。ヤクザが用意した研究施設を四鬼が強襲し施設に居た人間を惨殺し施設そのものを破壊した、程度ね」
「研究内容も生き残りも不明か」
「四鬼はどこまで行っても妖魔を討滅する為の組織、妖魔の研究内容に興味を示したのは激流鬼だけだし、激流鬼がどんな情報を持っているかは載って無かったわ」
「敵対している組織の内部情報があるだけ凄い、か」
麻琴が言う通り陰謀論の類でありステルス妖魔の有力情報かと言われれば怪しいものだ。しかし情報収集とは今回の様に何の関係も無さそうな情報も含めて始めるもの。
麻琴もその鉄則に従って裂と情報交換を行い新たな切口を模索しようとしている。
「他に未確認妖魔に繋がる情報も無いし、まずはその線で情報を集めてみるか?」
「ええ。当時の研究員やヤクザの生き残りが居ないか探してみましょう」
「ちなみに半グレとかヤクザの本拠地ってどこなんだ?」
「蒲田よ」
「微妙に面倒な場所だな」
「八王子からだと通い辛いのよね」
2人の活動は主に八王子や新宿だ。
神奈川県との境目に有る蒲田は意外と遠い。八王子からも新宿からも電車1本で行けるルートが無く、1時間近い移動にもなるので通うには面倒だった。
「現地協力者を確保するなんて話でもないし、まあ蒲田に行くのは状況の整理が済んでからにしましょう。流石に学校が終わって直ぐに向かっても5時くらいからの探索になってしまうわ」
「了解」
「それよりも新宿なら激流鬼の研究施設が有ったわね」
「……」
「大丈夫、貴方ならやれるわ」
「出来るか」
「若者がやる前から諦めない」
「映画のスパイじゃねえんだ、マジの国家権力施設に忍び込めるか」
「ま、流石に冗談よ」
「頼むぜ本当に」
麻琴のような生真面目そうな見た目だと冗談と本気の境目が分かり辛い。しかも麻琴が実は苛烈な性格をしていると知っている裂にすると本気だとしても違和感が無い。
冗談だと言われても疑いを隠しもしない裂に麻琴は真剣には向き合わず天井を仰いだ。
「私たちにステルス妖魔を駆逐する理由は無いし、まあ影鬼本家には近況報告の一環として報告しておくわ」
「俺にステルス妖魔駆逐の仕事が来たりしないよな?」
「予想も出来ないわね。今までは私の専属鬼と高校生って事もあって影鬼としての仕事量がセーブされていたのは事実だし」
「……面倒は嫌いだ」
「私もよ。下手をしたら私に貴方のサポート指令が来るかもしれないし」
「ああ、それも有り得るのか」
「専属鬼を外れたんだから私にサポートの義務は無いんだけどね」
「俺もステルス妖魔駆逐する義務無いな」
「ま、今日はここまでね。一応、激流鬼の研究室の事も覚えておいて。最悪、数人での潜入任務も有り得るわ」
「……冗談だと言ってくれ」
「分からない、て言ってあげる」
自分の教科書とノートを鞄に入れていく麻琴に合わせて裂も片付けを始めた。
このスペースは打合せ用なので1人で使うスペースではない。麻琴が帰って1人になると図書館職員から怪しまれる可能性も有る。
勉強しているフリだったので広げていた物も少なく直ぐに片付け終わった2人は連れ立って半個室を出た。
「そういえば、龍牙が居るんじゃなかったか?」
「さっき帰るのを見たし、仮に見られてても特に問題は無いでしょう?」
「俺は似たような事を言われて数日で先輩3人に囲まれたんだけどな」
「……さっさと帰りましょう」
裂の被害を考えると笑えないが自分がどうにか出来る事でもないで麻琴は早々に帰ってしまう事にした。
「ここを出たら別れよう。俺は適当にゲーセンにでも寄って帰るわ」
「優等生の私を前に寄り道宣言とはね」
「んじゃ駅ビル」
「なら止めようが無いわね」
駅ビルならば本屋、スーパー、服屋と選択肢が多い。帰り際に寄っているところを見られてもいくらでも言い訳が効く。
図書館を出て直ぐに2人は分かれて裂は駅ビルへ、麻琴はバス停に向けて歩き始めた。