伍
ステルス妖魔との戦闘地点から離れた裂は八王子駅ビルの上層階に入っているチェーン店のカフェに入り麻琴へ連絡を取っていた。
「こんにちは、先輩」
『急に連絡が取れなくなったけど、無事なようね』
「異常事態に遭ってた」
『詳細を聞けるかしら』
「異空間に取り込まれてた。相手は巨大な妖魔ってだけで他に特徴は無かったな」
『異空間。そんな妖魔は今まで報告されていないわね』
「初めて確認されたって事か。行方不明の鬼や黒子の情報は有るか?」
『八王子周辺では数件確認されているようね。全国でも有るには有るけど、普通の妖魔に食われたのと区別が出来ないわね』
「確かに」
今はまだ情報が不足しており裂も麻琴も結論を導き出せないでいた。
初見の妖魔では当面の場当たり的な対策すら立てられない。特に今回のような他とは全く異なる系統の能力ではその面が顕著だ。
『今回の妖魔の事を影鬼に報告したいわ。詳細を報告してちょうだい』
「気配を感じるまでは本当に少し違和感が有る程度だ。分かった事は妖気測定アプリでも全く反応しない、気配を感じて探してみるとようやく少し見えるようになるって事。少しでも見えれば急に見えるようになっていって、完全に見えるようになったら門に吸い込まれた」
『門?』
「門ってのは比喩で、扉みたいな物が付いた枠の中にブラックホールみたいに吸い込まれる。その先は、同じ門が有る通路に出たな。門は閉じてて出られなかったけど」
普段あまり口数が多くない為に疲れた裂はここで1度コーヒーを啜った。
『通路という事は、先に進むしかないって事ね』
「ああ。通路には小型の雑魚妖魔が数匹徘徊していた。鬼なら装甲しなくとも討滅できる程度だったな。黒子は1度に1匹が限界みたいだったけど」
『……黒子は?』
「袋小路に居た黒子が一緒に入って来ちまったんだよ。面倒だから雑魚は任せて楽させてもらったな」
『酷い男ね』
「通路の奥にはただの枠が置いてあってワープ出来る輪っかみたいな物から別の通路に繋がってた。そこに現実世界で見つけた巨体の妖魔が居たな。闘技場みたいに障害物の無い四方が壁の場所に結界で閉じ込められてタイマンさせられた」
『で、倒したら戻って来られたって事かしら?』
「そんな感じだ」
『……正直、何をどう報告したら良いのか分からなくなったわ』
「それは俺が言いたい」
2人揃って溜息を吐いて息を落ち着かせた。
『まあ、報告はしておくんだけど、後で貴方にも聴取の話が行くかもしれないわね』
「面倒だな」
『諦めなさい。妖気自体は祓えているようだから報酬の振り込みは後で確認しておきなさい』
「了解」
『じゃ、次の仕事もよろしくね。お疲れ様』
「お疲れ」
通話を切って2人はそれぞれの休日を過ごし始めた。
▽▽▽
麻琴は基本的に妖魔と関わらない時には裂とも関わらない。
彼らは基本的に薄く浅い付き合いをしており凡そ一般的な人間関係とは縁遠い。
それでも校内で2人で話す姿は時折だが目撃されており、その時に麻琴は自覚は無いが他の生徒には見せない表情を見せるらしい。
それは出来の悪い弟に対する少し意地悪な態度のようで、麻琴にしてみれば後輩と雑談に興じているだけのつもりだ。
しかし、そんな彼らの関係を勘違いする者も居る。
「影鬼さん、あの後輩とは一体どんな関係なんだい?」
先日からある同級生に呼び出しを受けていたが悉く無視していた。その結果、彼は強硬手段として教室まで来て席で友人と雑談に興じていた麻琴に直談判を始めてしまった。
顔は良い事で有名なのだが麻琴は彼の『自分イケメンですから』オーラが好かなかった。そもそも麻琴は男女関係に興味が無いので誰の呼び出しも告白も受けないつもりだ。
しかし周囲のクラスメイトからの視線が鬱陶しい。
「家同士の付き合いよ」
「所謂、幼馴染み?」
「そうね」
「幼馴染みだからクラスメイトにも見せない表情を見せるのかい?」
「何が言いたいのか分からないわ。早く結論を言いなさい」
容量を得ない男子生徒が面倒で先を促した麻琴に相手は一瞬たじろいだ。
麻琴は基本的に外面は良くしており強い態度は滅多に取らない。
しかし貴重な休み時間を不愉快な会話で無駄に取られるとなると穏やかではいられない。
「彼との関係が気に食わないのならそう言いなさい。だけどこんな風に無遠慮に踏み込んでくる相手、私は話したいとは思わないわ」
「ぐっ」
「自分の教室に戻ったら? これ以上、何も話す事は無いわよ」
苛立ちに腕と足を組んで男子生徒を睨むように見上げる麻琴に教室内の温度が下がるような錯覚を周囲は感じていた。
その空気に耐えられなかったのか男子生徒は舌打ちをして去って行った。
▽▽▽
「という事が有ったわ」
「それでこの呼び出しか。俺は何で呼ばれたんだ?」
放課後、学校の中でも人の流れが無い資料室が集中した廊下の突き当りに麻琴は裂を呼び出していた。理由は単純で休み時間に黙らせた男子生徒への対策を決めておく為だ。
「俺も暇じゃないんだけどな」
「私のスマホは影鬼に盗聴されているのよ。だから直接話しておく方が良いわ」
「お嬢様にはプライベートも無いな」
「本家は富豪でもウチは中流家庭よ」
「それは失礼」
「さて、本題に入りましょう」
「……俺に何をさせたいんだ?」
「ボディガードとは言わないけど、襲撃が有るかもしれないと覚悟しておいて」
聞いた瞬間に顔を大きく歪め嫌な顔をした裂に麻琴が嬉しそうに顔を歪めた。
「裂のそんな顔を見れただけでも呼び出した価値があったわ」
「チッ。状況は分かったよ。コッチは勝手に気を付けるからソッチは自分で何とかしてくれ」
「守ってくれても良いのよ?」
「知るか。妖魔が絡まないなら従う気は無い。それに棒読みだぞ」
「分かってるわ。じゃ、仕事の話をしましょう」
神妙な表情になった麻琴に裂も少しだけ目を細めた。
彼なりに真面目な表情のつもりなのだが知らない人には眠そうだとか馬鹿にしているのかと思われがちだ。
「学校内で妖魔の話は不味くないか?」
「それもそうね。資料室を借りましょう。先生に資料探しを頼まれているし、ついでになるわ」
「OKだ」
仕事という名目が有る為に2人は何も気にせず資料室へ入っていく。
その姿が仲睦まじい男女が密室で2人きりになろうとしているように見えるとは全く考えていなかった。
▽▽▽
資料室に入った2人、麻琴は早速資料探しを始め裂はパイプ椅子に座りスマホで漫画を読み始めた。
「今回の仕事は前のステルス妖魔についてよ」
「ああ、あの巨乳黒子の時の」
「どんな覚え方よ。そして男はやっぱり胸なのね」
「当然だ。サイズか形に拘るかは個人の趣味だが男は皆オッパイ好きだ」
「……ストレートなセクハラね。まあ良いわ」
今までは妖魔の話ばかりだったので裂がこんなセクハラ発言をするとは思わなかった麻琴は一瞬固まったが、何とか仕事の話に切り替えた。
「実は影鬼のデータベースに居たのよ。現状では接触禁止指令が出ているけどね」
「接触禁止なのに仕事があるのか?」
「背景を説明させて貰うわ。目撃例は眼の前で黒子が消えた等々でね、捜査に出た鬼数名が行方不明のままだから接触禁止なの」
「それだけか?」
「詳細不明。分かっているのは対策が分かるまでは接触禁止としていた事。ただ、前回貴方がステルス妖魔を討伐して脱出したでしょう」
「待ってくれ、この先は聞きたくないぞ」
「だから裂と、他に同等以上の力を持つ鬼数名にステルス妖魔討伐の依頼が出ているのよ」
「拒否する」
「残念、当主から直々のご指名よ」
「よし、俺は今日先輩には会わなかった。よってこの話も聞いていない。では、さようなら永遠に」
「他にも業炎鬼が妖魔になった案件の情報が有るんだけどな」
「……卑怯な」
「大人は卑怯なものなのよ」
「1つしか変わらないだろ」
弱々しく反論した裂は上げかけていた腰を降ろし背凭れに思い切り身体を預けた。
左腕で顔を覆って少しの間、考え込んだ。
「分かった。そもそも拒否権は無いみたいだしな」
「快諾してくれて良かったわ」
「はは、快諾ね」
「資料も見つかったし私は職員室に行くわね」
「俺は帰るよ。妖魔の情報は後で送ってくれ」
「分かったわ。それじゃ、またね」
「ああ」
少し配置の変わった資料を直す麻琴を置いて裂は席を立ち部屋を出る。
廊下の角、丁度この廊下で人気が途切れる要因になっている曲がり角に数人の気配を感じる。
……さっき麻琴が言ってた連中か?
裂が普段感じる妖魔からの殺気には程遠い敵意だ。正直に言えば可愛らしいとも思うが実害が有っては堪らない。
今の内に危険な芽は摘んでおこうと考えた裂はローファーの爪先で床を2度叩く。廊下の角から覗き見ようと少しだけ顔を出した妙に顔の整った男子生徒の片目を睨み付ける。
流石に自分が覗き見ているとバレてまで隠れる気は無いのか男子生徒が他に2人を引き連れて廊下を塞ぐように現れる。
ネクタイの色から麻琴の同級生である事は見て分かるが、それ以上の事は分からない。
「誰だ?」
「影鬼さんの友達だよ」
「その割に隠れてたな」
「ふん。影鬼さんに君のような悪い虫が付かないか見守っていたと言って欲しいな」
「ストーカーの理論だな」
言われた瞬間に額に青筋を浮かべた男子生徒を見て裂は無意識に挑発していた事を自覚した。
しかし人気が少ないとは言ってもここは学校内だ。先輩男子が3人がかりで後輩1人をリンチしたなど直ぐにバレる。
そのリスクを考える3人組は裂に殴りかかるような真似はしない。
「君こそ、影鬼さんを人気の無い部屋に連れ込んで何をしていたんだ?」
「呼び出されたのはコッチだ。最近、変な3人組ストーカーが付いて困ってるそうだ」
「なっ!?」
ワザとらしく話を盛ってみた裂だが相手の分かり易すぎる反応に戸惑ってしまう。
しかし相手から殴りかかってくれる分には裂の思惑通りだ。向こうからの暴力を引き出し、自分には罪が無い状況を作らなければならない。
だが裂はその手の搦め手は面倒で飽きてしまう。
「それより、3人組で先輩を追っ掛けてるって、完全に先輩たちがストーカーじゃないか?」
「俺たちがストーカーで影鬼さんを困らせてるってのか!?」
「ストーカー被害は被害者側の主観がモノを言う。影鬼先輩がストーカーと思ってれば先輩たちはストーカーだろ」
「こんの、後輩のクセに!」
「そこ、退いてくれないか。帰れないんだけど」
「馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
「馬鹿にするほど興味が無い。退いてくれ」
本心から何の興味も示さない無表情な裂に3人は戸惑いを隠せない。
先輩3人に1人で囲まれるという普通なら危機感を覚える状況で裂は一切興味を示していない。先輩3人が何の脅威でも無いと本心から思っていなければそんな態度は取れない。
何の警戒心も無く歩き始めた裂は本当に3人に関心を持っていない。
その態度に気圧された3人が無意識に開けた道を裂は身体を逸らしもせずに通っていく。
1度も振り返る事無く気怠そうにポケットに手を入れ歩いていく姿にイケメンが舌打ちして全員が気を取り直し角に消えた裂を追って角から顔を出した。
疎らな生徒の波を自然な態度で躱す事無く直進していく。誰も怖がっている訳ではないが、自然と道を開ける。彼が全く周囲に関心を抱いていない歩き方だった。
「退いてもらえるかしら」
裂を見ている事で背後への警戒が疎かになっていた3人組は麻琴の無感情な声で我に返った。先ほどと同じように無関心な視線に押されて道を開け、ただ麻琴が歩いていくのを見送ってしまう。
「……もう、関わるの止めね?」
1人の呟きで解散に成る程度には3人の頭は冷えていた。