三十章 総本部長とご対面だ。
ヘイムダルの市街地内の、コントラクター用に設立された宿舎にプリマヴェラの馬車は乗り入れられる。
そこから舎屋内に積荷を降ろしている間にも、続々と各地の馬車が宿舎に入ってくる。
最初にソンバハル、次にエスターテ、最後にゼメスタン。
その中から、ギルドマスタークラス――イダスやリュウガが姿を現し、カトリアがそれに応じる。
四大領地のギルドマスター四人は会議のために、ベンチャーズギルドの総本部へ向かう。
――一真を連れた上で。
「あの、カトリアさん。ギルドマスターだけの場に、俺が一緒に行ってもいいんですか?」
そう訊ねる一真に、カトリアはいつもの微笑を添えて頷く。
「今作戦におけるキーパーソンはあなたですよ、カズマくん。むしろあなたがいなくては、この作戦は始まりません」
「またそんな大袈裟な……」
しかし、と一真は自分の前を見やる。
カトリア以外のギルドマスター三人は、壮年の男性だ。
こうして並んで見ると、カトリア・ユスティーナと言う少女がいかに稀有な存在かと言うことに気付かされる。
十代半ばの少女がギルドマスターの座を戴くことがそもそもかなり特殊なケースなのだろう(ラズベルはあくまでも非常時の代理であり、実権は持っていない)。
「さてカズマくん。これからお会いするのは、ベンチャーズギルドの最高位の方です。……多分、驚くことになるでしょうけど」
「は、はぁ……」
とんでもない巨漢だとか、ヤクザ顔負けの強面だとか、百歳はゆうに越えた老人だろうか、と一真は内心で緊張しながら頷く。
門番に守られた豪奢な宮殿へ入り、さらに案内の者に先導される。
ガラスのように磨かれた床や、各所に飾られた調度品の数々は、もはや王城だ。
先導者がドアをノックし、そのきっかり二秒後にドアが開けられる。
謁見の間ような閉鎖的な空間に、円卓と五人分の椅子。恐らくは一真の分も含まれているのか。
出入り口から見て正面の席に座するのは――
「うむ。皆、揃ったようだな」
とんでもない巨漢でも、ヤクザ顔負けの強面でも、百歳越えの老人でもない、スミレよりも歳下だろう――幼女とさえ言える、美しい白銀色の髪の少女は、鈴を鳴らすような声で頷く。
各ギルドマスターは横一列に整列し、その末席に一真も慌てて続く。
「エスターテギルドマスター、イダス・クヴァシルであります」
「ソンバハル代表、リュウガ・トウゴウであります」
「ゼメスタンギルドマスター、『ワルド・グレイス』であります」
「プリマヴェラギルドマスター、カトリア・ユスティーナであります」
「プ、プリマヴェラ所属のコントラクター、カズマ・カンダでありますっ」
ソンバハルはギルドマスターが東西で分かれているため、『代表』と言う呼称を用いたのだろう。
「よろしい。皆、席に着きたまえ」
彼女の声により、円卓に着き始める。
カトリアの指示により、一真だけは少女の真正面の席に座らされる。
全員が席に着いたのを確認して、少女は一真に向き直る。
「少年。そなたが、あのディニアルと関係があると言う者であるな?」
「は、はいっ」
無理矢理姿勢を正し、上擦った声で応じる一真。
「そう固くせずとも良い。※朕は、ベンチャーズギルド・ヘイムダル十七代目総本部長、『シルヴィア・リア・ネメシス』と申す。以後、見知り置きを」
「はい」
シルヴィアと名乗る総本部長は、「楽にせよ」と一真に告げてから、他四人のギルドマスターを見渡す。
「さて、改めて言うまでもなかろうが、今日ここに集ってもらったのは他でもない。昨今、ヘイムダル所属のコントラクターであった男……ディニアルの暴挙の数々についてである」
このような幼気な少女とは思えぬほどの言葉遣いに、大の大人の男が数人同席している前でも怯えぬ堂々たる振る舞い。
「各領地からの報告によれば、ゴーレムなる岩の巨人を暴れさせて生態系を破壊し、ソンバハルの西支部へと取り入って内部抗争を引き起こし、雪崩を発生させて魔物の活動領域を不安定にさせたと聞く……ユスティーナよ」
不意にファミリーネームを呼ぶシルヴィアに、カトリアは澱みなく「はい」と応える。
「そなたの報告によれば、カズマ・カンダとディニアルは、この世界で誕生した人間ではなく、ニッポン国なる異世界よりこの大陸へ現れた存在と聞く」
それを聞いて、イダス、リュウガ、ワルドの三人は驚愕したように一真を見やる。
「異世界からの来訪者とは、まるで絵空事のようだ。……だが、嘘偽りのない真であると」
「それに関しては私よりも、彼本人からご説明していただきましょう。カズマくん」
カトリアに目線を向けられて、一真は「は、はいっ」と緊張しながら頷く。
「えぇと……」
「無理に喋り方を変えずとも良い。ユスティーナに話すのと同じ感覚で構わん」
「分かりました……ンンッ、初めまして、シルヴィア本部長。俺はカズマ・カンダです。元の世界では、神田一真と言う本名でした」
「ふむ、ファーストネームとファミリーネームが逆なのだな」
「そうです。それで、俺が異世界からやって来たと言う証明ですけど……まず、俺にはマナが全くありません」
物的証拠が無いため、一真は自分と大陸の人間との違いを話す。
「限りなく無いに等しいのではなく、全くのゼロとな?」
「はい。コントラクターの資格試験の時に測定してもらいましたけど、俺からマナは全く感知されませんでした」
「……妙であるな。ディニアルは確か、武力だけでなく魔術の扱いにも優れたコントラクターであった。これはどう言うことであるか?」
「そうですね……ここからは、俺が話せるようにしか話せないんですが……」
一真が語ったのは、"異世界転生"と言う不確かなシステムや、自分の前世の記憶、ソンバハルの文化が日本とよく似ていること。
そして、かつてホシズン統一戦争を終わらせた者達が、自分と同じ転生者の集まりであったことを示す、一真の母国語――日本語で書かれた日記が自宅に転がっていたことを。
「……そなたの前世、実に興味深い。今回の件が全て終息した暁には、そのニッポン語で書かれた日記とやらも閲覧させてほしいものだ。無論、そなたの語訳付きでな」
うむうむ、上機嫌に頷くシルヴィア。
それもすぐに真剣味を帯びた顔付きに戻る。
「少しばかり話がズレてしまったな。明日の朝、大陸樹ヘイムダルにて待っておるだろうディニアルの捕縛、或いは討伐を決行するが……具体的なプランを提示できる者はおるか」
シルヴィアがそう告げると、一拍を置いてからイダスが挙手する。
「クヴァシルか。よかろう」
シルヴィアが発言を許可すると、イダスは口を開いた。
「各地の最大戦力を合わせて、総戦力は我々ギルドマスタークラスも含めたコントラクター四十八名。そこで戦力を四分割し、大陸樹を中心に四方から包囲、目標の退路を断つ。魔術攻撃・射撃が可能な者は包囲網の後方に展開、飛行で逃走を測った場合に即座に対空攻撃が可能なよう準備をさせる所存であります」
ディニアルを逃すことなく確実に身柄を押さえるため、徹底的に退路を断って包囲網を敷く、と言うのがイダスの作戦だ。
「クヴァシル殿の意見に賛成しましょう」
ワルドが会釈するように片手を見せ、イダスのプランに賛成の意を示す。
「異議なし」
続いてリュウガも、ワルドに倣う。
「私も問題無しと見ます」
カトリアも頷く。
「うむ。四名による満場一致であるな。では、クヴァシルのプランにて……」
最高決定者であるシルヴィアが決定を降そうとしたその時、「待ってください」と一真が挙手した。
「包囲網を敷いて退路を断つと言うプランには、俺も賛成です。でも、攻撃を開始する前に、降伏勧告を出してほしいんです」
「ほう、理由を訊いても?」
シルヴィアはその理由を訊ねる。
「あいつ……ディニアルは、自分の第二の人生に納得いってないだけで、こうして全面戦争のようなことを望んでいるはずじゃないんです」
出来ることなら、この集結した戦力や準備が徒労に終わるような結果であってほしい、と一真は言う。
「無論、投降を受け入れると言うのならばそれで良い。……だが、あの男がそう易々と降るとも思えぬ。その時には、分かるな?」
「……、はい」
一拍の間をおいてから、一真は覚悟を決めて頷いた。
「ならば良い。他に何か申す事はないか」
ギルドマスター四人を見回すシルヴィア。
「うむ。ならば、これにて閉廷とする。皆、明日に備えよ」
それと、とシルヴィアは一真に目を向ける。
「カズマ・カンダ、そなたは少し残れ」
「え、俺ですか?」
「他に誰がおると言うのだ。ユスティーナよ、少しばかり彼を借りるぞ」
カトリアにそう言うと、「分かりました」と彼女は頷いて、退席するギルドマスター達に続いて円卓を後にする。
円卓に一真とシルヴィアの二人だけが残されると、再び正面から向き合って席に着く。
「えぇと、俺、何か……?」
「そう恐縮するな、何も取って食らうわけではない。ただ、そなたのことについて聞きたいだけだ」
そうだな、と前置きを置いてから、シルヴィアは笑みを浮かべる。
「まずは差し当たって、ニッポンとはどのような国であるか?」
どうやら、カトリアやソルにも話した『前世のこと』を話せと言っているようだ。
こりゃ帰りは少し遅くなるか、と心底で呟いてから、一真は自分の前世を話し始めた。
会談を終えたカトリアは、コントラクター用の宿舎に戻って来た。
戻って来たところで、早速ユニと出会した。
「あ、カトリアさんおかえりなさーい」
「ユニさん。今は戻りましたが、カズマくんだけ少し残るそうです」
「そうなんですか?ま、ちょうどいいかな」
「ちょうどいい?」
一真がいないことに何がちょうどいいのか、とカトリアが訊く前にユニが彼女の手を取った。
「カトリアさんが最後ですよ、みんな待ってますから」
「あの、ユニさん?何を……」
何がなんだかとカトリアはユニに手を引かれていく。
そうして連れてこられたのは、コントラクター用の客室。
「はーい、みんなお待たせー」
室内にいるのは、リーラ、ラズベル、スミレ、セレスの四人。皆普段着で思い思いの形で過ごしている。
テーブルの上には、ジュースやコーヒーなどの飲み物に、大皿の上に並んだ菓子類の数々。
これからパーティーでも始めるかのようだ。
「あら、思ったより早かったじゃない」
ラズベルはひらひらと手を振る。
「お待ちしておりました、ユスティーナマスター」
スミレはパッと立ち上がってお辞儀し、そのそばでセレスも「どうも」と会釈する。
「おかえりなさい。カトリアさんの席はこっちですよ」
リーラに手招きされて、カトリアはされるがままにその席へ付く。
「あの、皆さん?今日は誰かのお誕生日なのでしょうか?」
少なくとも自分ではない、とカトリアは不思議そうに訊ねる。
それに答えるのはユニ。
「誕生日とかじゃなくて……これから、"女子会"をするんですよ」
「じょ、女子会、ですか?」
なおさら何が始まるか分からず困惑するカトリアだが、そんな彼女を無理矢理席に付けて、"女子会"は始まる。
その始まりは、ラズベルの声から。
「さて、ここにいる全員には、あるひとつの共通点があるわけだけど……」
共通点と聞いて、カトリア以外の人間がピクリと反応する。
「……カズマの、ことね」
セレスがそれを答える。
「そう。そして、女子会と言えば、恋話よ!」
ラズベルが宣言すると、リーラが「こ、こいばな……っ」と頬を赤らめる。
「で、一番槍を飾りたい人はいる?いないんなら、あたしが最初に言うけど……」
「はーいっ、私が一番でーす」
面々を見渡すラズベルに、ユニは元気よく挙手する。
「んじゃ、まずはユニちゃんからどうぞ」
「んーとですね。私がカズくんと最初に会ったのは、プリマヴェラの集会所でカズくんがぼーっとしてたから、ちょっとびっくりさせようと思っていたずらしたら、思った通りに驚いてくれたのが始まりで……」
ユニは、一真との出逢いを思い返しながら言葉を紡いでいく。
「次に会ったのは、ちょっと時間がかかりそうな依頼を手伝ってくれて、優しい人なんだなって。その時から、カズくんと一緒に行動するようになって……私が嫌いだった自分の瞳の色を、カズくんは嫌うどころか、「キレイな色だ」って言ってくれた時、すごくドキドキしちゃって……」
自分の瞼に指先を添えて、ユニは照れたように小さく笑う。
うん、とユニは頷いて自分の身の上話を区切った。
「次、私でいいかしら」
次に挙手するのはセレス。
「まずは、彼との出逢いから話せばいいのね。……まぁ、まとな山越えする準備も出来てないのに凍雪山脈を渡ろうとしたら崖から落ちて、そこで運良く、本当に運良く偵察隊に救助されて、意識が無かった彼を部屋で介抱していたのが最初だった」
フルーツのジュースを一口啜って「あ、これ美味しい」と呟いてから続ける。
「謙虚で素直なくせに無鉄砲でバカな人、って言うのが第一印象かしら……とにかく変な人だった。無鉄砲でバカで……でも裏を返せば『何が相手でも怯まない勇気のある人』で、私がサファイアドラゴンに殺されかけた時、彼は危険も顧みないで真っ先に駆け付けてくれて、……すごく、いい人なんだって」
極度の疲労で眠ってしまって、一真にお姫様抱っこで部屋に連れ帰ってもらったことは恥ずかしいのでナイショ(カトリアとスミレには知られているが)にしておく。
セレスの区切りを見計らって、次はスミレが挙手した。
「次、いいでしょうか」
「ん、スミレちゃんどうぞ」
ラズベルが頷くのを見てから、スミレも一真について語る。
「わたしが最初にカズマ様と会ったのはここ、ヘイムダルでした。本来ならソンバハル東支部で完遂させるはずの任務を肩代わりしてくださるとして、その時にユニ様やラズベル様ともお知り合いになりました」
レクスオーク討伐の際、(ディニアルの入れ知恵によるものか)ランハーン副支部長の手による妨害を受けて継続困難になってしまった時、それを引き継いでくれたのが一真とユニであり、その二人を出迎えるためにスミレが出向いたのだ。
ラズベルとも出会ったのは、彼女が信書をランハーンを送り届けに来た時だ。
「任務完了のすぐに、あの男……ディニアルの謀略によって抗争が引き起こされてしまった時、ほとんど無関係だと言うのにカズマ様は何も躊躇うことなく手を差し伸べてくれました。多分、その時からです。カズマ様のことを何となく考えてしまうのは」
ゼメスタンの掃討戦の際によもやあんな再会をするとは思いませんでしたが、とスミレは顔を青くしながらも「以上です」と告げる。
「んじゃ、次はあたしで」
ラズベルはコーヒーを一口啜ってから始める。
「カトリアとかユニちゃんは知ってるけど、あたしがカズマと出会ったのは、プリマヴェラからの定期便が来た時。顔合わせの時はただの新入りか何かと思ったけど、砂漠戦に慣れるために一人で何時間も砂漠にいるって聞いて、慌てて助けにいったのよ。その時は、真面目なのはいいけどちょいと向こう見ずな奴でしかなかったけど……」
ひょいとクッキーに手を伸ばして一口。
「誰一人知らなかったゴーレムの存在を、あいつだけが知っていた。あたしやカトリアですらどうしようもなかった相手を、あいつは一発かましてみせた。そのおかげで誰も諦めないでいられて、ゴーレムを倒すことが出来た」
物理攻撃はほとんど効かず、魔術攻撃すら有効打にならない、そんな完全無欠とも言える強大な相手に、一真は初めてまともな一撃を与えてみせた。
「あの中じゃ一番のルーキーだったあいつが、活路を切り開いてみせた。ただ知っていただけじゃなくて、そのための準備も努力も怠らない……ハッキリ言って、惚れたね。それに、あの頃から比べると随分いい男になってきたし……そろそろ、口説かれてもいい頃かしらね」
ラズベルは一真に"研磨剤"と称して頬にキスをしてやった。
自分を口説けるくらいのいい男になれ、と。
「つ、次っ、わたしでっ」
ラズベルの後に、リーラが慌てて挙手する。
「えぇとえと、カズマさんと最初に会った時だから……プリマヴェラの前で倒れていたカズマさんを、ウチで介抱していた時でした。素性のよく分からない人だったんですけど、ちょっとしたことでも感謝してくれて、お世話になってるからってお土産も買ってきてくれたり、風邪で寝込んでたわたしを看病してくれたり、重い荷物を進んで持ってくれたり……」
事あるごとに、何かと気遣ってくれる人だった。
顔を合わせる度、言葉を交わす度、彼の気遣いや思いやりが心を暖めていく。
「そしたらその内、自分の気持ちに気付いたんです。わたしはこの人に恋してるんだなって。……それで、どうしてもカズマさんが心配になって、この遠征について来ちゃったんですけど」
恥ずかしそうにしおしおと縮こまるリーラ。
するとユニは不意に立ちあがると、
「んもーっ、リーラちゃんってばかわいい!」
突然リーラの左横から抱き着いた。
「ひぇぁっ、ユユ、ユニさんっ?」
「こーんな健気かわいいリーラちゃんに想ってもらえるなんて、カズくんはほんっとーに罪な男の子だよねぇっ!」
あろうことか、そのまま自分の頬をリーラの頬に擦り合わせる。
「あうぅ、ほ、ほっぺでほっぺスリスリしないでくだしゃいっ」
「だーめっ、もうちょっと!」
「んぇぇぇぇぇ……」
一頻りユニがリーラに頬ずりし終えてから、ようやく満足したユニは席に戻り、いよいよ最後の一人――カトリアだ。
「……私も、ですか」
この場の五人が一真への想いの丈を述べた。
カトリアは一度意図的に呼吸を行い、僅かな間で思考を整理する。
彼との最初の出会い、接していく内に見て感じ取れたこと、期待、信頼、意識――恋情。
「私がカズマくんと出会ったのは、リーラさんと同じです。町の近くで倒れていた彼を拾い、事情を聴取した時。行く宛の無かった彼をギルドに雇い入れ、一コントラクターとして迎えました」
カトリアの声に誰もが耳を傾け、暖炉にパチパチと薪が弾ける音だけが雑音だ。
「彼は律儀で真面目、思いやりの出来る人です。どんなに小さなことにも感謝を示し、外見だけでなく内面で人を選ぶ目の良さ、不断の努力と機転の良さ、困っている人へ迷わず手を差し伸べる優しさ、どれだけ強大な相手にも怯まない勇気……皆さんが、カズマくんを想う気持ちも分かります」
カトリアは、あるひとつの事柄を話すべきかを躊躇した。
それは、偶発的事故とはいえ、彼とキスをしてしまったことを。
あの瞬間を境目に、彼を男性として意識し始めていることに自覚はあった。
けれど。
こんなにも一真を想う者達がいるのに、その彼を独占するようなことをして良いものか。
「(いいえ、私はプリマヴェラのギルドマスター、カトリア・ユスティーナ。先代より託されたその役目を果たすため、私情は捨てなければ……)」
だが、それで良いのだろうか。
「(私は……)」
「カトリア?どうしたのよ」
そこから黙ってしまったカトリアを、ラズベルはどうしたのかと訊ねる。
理性と感情の天秤が激しく上下する。
その結果は――
「……ごめんなさい、失礼します」
不意に席を立ち、部屋を出た。
速歩で廊下を歩き、そのまま外へ。
「はぁ……」
大きく溜息をついた。
結局、有耶無耶にしてしまった。
キッパリと、「私はカズマくんに何か特別な感情はありませんよ」と言えなかった。
理性としては、そう言うべきなのに。
「(困った……こんな感情など知らなければ、こうなることなど……)」
踏ん切りが付けられなかった。
譲るべきなのに、どうしてもそれが出来なかった。
自分もまた、彼に特別な想いを抱いていることを、押し隠すことが出来なかった。
ギルドマスターとしての役目と私情との板挟みだ。
「(役目を優先しなければならないのは分かっている……分かっているのに)」
あの、唇同士を押し付けあった痛みと温もりを忘れられない。
彼に触れられただけで、それを鮮明に思い出せてしまう。
彼と――
「あれ、カトリアさん?」
「……えっ?」
ふと、暗闇の向こうから一真が現れた。
シルヴィアとの対談が終わった、その帰りなのだろう。
――最後の幕が上がる。
※朕
…天子や皇帝の自称。
中国戦国時代までは一人称所有格の一つだったが、秦の始皇帝(秦王政)が統一後に家臣からの提案を入れて天子の自称とし、そのまま定着した。
(当作品では、ベンチャーズギルドにおける最高権限者の一人称として使用しております)
と言うわけで三十章でした。
ギルドのトップがまさかの銀髪幼女、ヒロイン勢揃いの中での女子会、恋バナ、そしてカトリアさんに最後のフラグ?の三本でシメました。





