二十二章 俺が行かなきゃダメなんだ。
手紙を読み終えたカトリアは、すぐに補佐役に返信を頼んだ。
内容は「プリマヴェラからゼメスタンへ。 了解。翌朝に増援を出立、二日後にそちらへ到着予定」として、補佐役は手早く文を書き、早急に伝書鳩に返信を急がせた。
「カトリアさん、翌朝には出発するってことですよね」
一真がそう問い掛ければ、カトリアは頷く。
「雪崩の原因がなんであれ、魔物の被害が懸念される以上、静観は許されません」
ですが、とカトリアの一真を見る視線が細まる。
そして、
「カズマくん。申し訳ありませんが、今回はあなたを連れていけません」
予想外な拒否を投げかけられた。
「なっ……?どうしてですか、少しでも戦力が必要なんでしょう?」
足手まといにはならない、と一真は反論するが、カトリアの次の言葉に二の句を詰まらせることになる。
「戦力の問題ではありません。……件の、ディニアルと言う男のことです」
「ディニアル?どうしてあいつが、……っ!」
その名を聞いて、一真も思い当たった。
「まさか、原因不明の雪崩って、あいつが引き起こしたのか!?」
「確定ではありません。ですが、かの男が雪崩を引き起こせるほどの力を持っているのなら尚の事です。それこそ、ギルド全戦力を以て駆逐しなければならないほどの」
推し量れる範囲でディニアルの持つ力は、ソンバハルの時では単純に強いだけであったが、自然災害すら引き起こせるのだとしたら話は別だ。
「無論、何の関連性も無いのかもしれませんが……カズマくん、今あなたがゼメスタンに向かえば、あの男は間違いなく襲撃に掛かるでしょう。……余計な消耗に繋がるケースは、可能な限り潰しておかなければなりません」
どうかご理解を、とカトリアの蒼い瞳が一真を見据える。
これはお願いではない、とその眼力が訴えかけるのが分かる。
「…………分かりました」
彼としても、理解は出来るが納得はいかない。
それ以前に、ギルドマスターたるカトリアから拒否を命令されて、反論するわけにもいかないのだ。
「さて、ともかくは昼食にしましょう」
カトリアのその言葉を合図に、二人がそれぞれオーダーした料理が運ばれてくる。
いただきます。
食事の後、カトリアは明日に出立する準備と、増援を派遣するコントラクター達を選抜するため、慌ただしく執務室へ戻って行った。
自宅に戻って来た一真は椅子に腰掛けて、しばしの間考えに耽けていた。
ゼメスタン領で起きた、原因不明の雪崩。
仮にディニアルが引き起こしたものだとしたら、その目的は……
「俺を誘き出すための罠、なんだろうな……」
ディニアルの思惑通りに一真がゼメスタンへ出向けば、あの男は必ず一真の抹殺に現れるだろう。
そうなれば、他のコントラクター達も応戦し、ユニのように怪我をする者も現れるかもしれない。
最悪、殺されてしまうだろう。
だが、一真がそこへ現れなければディニアルは襲撃を仕掛けないかもしれない。
あるいは、死人を出すことで一真を誘き出そうと考えるかもしれない。
どちらにせよ、一真が出向けば襲撃はほぼ確実と捉えていいだろう。
ならば、今回の件には関わらない方がいいのだろうか。
一真の中で「今回は動かない」ことに意識が傾きかけた時。
「…………待てよ?」
ふと、思考が逆方向に回った。
カトリアは「ディニアルの襲撃を懸念するから一真は連れていけない」と言っていた。
言い換えてみれば、『ディニアルの襲撃さえ凌げば問題ない』と言うことではないだろうか?
つまり、『自分が囮になってディニアルの目を引けば、それだけ他のコントラクターへの被害を防げる』のではないか。
しかし、すぐに「これはダメだ」と自己完結した。
それは、ディニアルと一対一で戦う――誰の援護も受けられない――と言うことだ。
四人がかりで撃退がやっとだった相手を一人で相手取れるかと言えば、まかり間違っても肯定は出来ない。
では、やはり今回は出しゃばることはないのか。
だが、もしディニアルが他のコントラクター達に襲撃を仕掛け、そこで誰かが死ぬことになれば……
そう、例え自分一人が犠牲になったとしても、奴と刺し違えて止めるくらいなら出来るのでは……
「…………………………命の捨て時ってことか?」
フッ、と一真は自分の視界が暗くなった気がした。
「そうだ。元々俺は招かれざる客なんだ。死んだところで、誰も何も困らないじゃないか……」
イレギュラーが一人いなくなるだけだ、と言い聞かせて、一真は椅子から立った。
自身の視野がどんどん狭まってきている事に気付かぬままに、荷物の準備を整え直し始めた。
その行動がどれだけ無謀なことであるか、当然気付くはずもなく――
翌朝。
カトリアの口利きによって、ソル達のパーティを中心とした精鋭が、日が昇るよりも早くにプリマヴェラを出立した。
今回のゼメスタン行きの遠征は、どれほどの戦闘になるかを想定出来ないので、プリマヴェラのギルドでの最大戦力であるカトリア自身も同行している。
そうして、ゼメスタン行きの遠征部隊が出立した、その日の晩。
「……行くか」
日が沈み、辺りに夜の帳が下り始めた頃、一真は自宅を出た。
遠征用の荷物と、背中にはカタナブレードではなく、エスターテ行きの遠征以前に使っていたバスタードソードを背負っている。
その上から灰色のマントで首から下を覆い隠している。
遠征部隊は、プリマヴェラ〜ゼメスタン間の中継拠点で一夜を過ごし、その翌日の日没前にはゼメスタンへ到着する予定のはずである。
一真は敢えて夜になってから動くことによって、遠征部隊とは入れ替わりで中継拠点にて休み、また夜になってからゼメスタンへ向かう予定だ。
誰にも知られることなく、ディニアルと刺し違える。
一真の目的はこれただ一つだ、生きて帰ることなど最初から考えていない。
自宅を出た一真は、そのまま真っ直ぐ町の外へ出ようと、ハミングバードの前を通り掛かった時だった。
ハミングバードの戸が開けられて、中からユニが出てきた。
「アレ?もしかしてカズくん?」
一真の存在に気づいて、ユニは右肩のギプスを気にしながら駆け寄って来る。
「……ユニか」
「ねぇカズくん、こんな時間にどうしたの?それに、その格好。今から依頼に出掛けるの?」
「……まぁ、そんなとこ」
踵を返そうとした一真だったが、その先にユニが回り込んだ。
「あのさカズくん……大丈夫?なんか、顔が怖いよ?」
一体どうしたのかと、ユニは心配そうに一真の顔を覗く。
「大丈夫だ、問題ない」
前世なら大丈夫じゃない上に問題しかないような言葉であったが、一真はそれに気付いていない。
「いや、全然大丈夫に見えないんだけど……ちょっと、どうしちゃったの?」
「俺が、いかなくちゃならないんだ」
それだけ言い残してから、一真はユニを押し退けるように町の外へ出た。
「カズくん……?」
少なくとも怪我などしてなければ、ユニは今の一真を無理矢理でも止めようとしただろう。
だが、今の彼女は右肩を動かせないどころか、まともに運動することすら出来ない。
故に、見送ってしまう。
しかしすぐに足を集会所へと向けた。
入ってすぐに、受付嬢に問い合わせた。
「すみません。カズマ・カンダくんってさっき、何の依頼を受けました?」
「カズマくんですか?いえ、依頼は受けていませんし、ここにも立ち寄っておりませんが?」
「……そう、ですか」
会釈してから、ユニは集会所を後にした。
つまり一真は、ギルドを通さない不正な依頼を受けたのか、あるいは完全な私用で出掛けたのか。
どちらかと言えば後者なのかもしれないが……先程の一真は明らかに異常な様子だった。
何か危険なことをやろうとしてないだろうか、とは思うものの、今の自分では彼を止められない。
「どうして私、こんな時に……ッ」
ユニは、己の無力さを嘆くしかなかった。
町の灯りも遠くなってほとんど見えなくなり、月明かりだけが一真の道標となる。
その方向は、プリマヴェラの町から北西方面――プリマヴェラ〜ゼメスタン間の中継拠点だ。
カサ……と潜んだ微かな足音を、一真は聞き逃さない。
聞き逃しはしなかったが、敢えて聞こえていないフリをする。
その数は三つ。
気配を殺しているつもりなのだろうが、しかし既に捕捉されていることに気付かずに、その三つの影は一真の背後へ忍び寄り、その無防備な背中へ――
「邪魔だ」
瞬間、一真は軸足を入れ換えると同時にバスタードソードを抜き放ち、振り向き様に薙ぎ払った。
バスタードソードの刃が、飛び掛かってきたその正体を横殴りに斬り飛ばした。
ギャゥンッ、と言う断末魔と共に、その狼のような魔物――『ウルフェン』は斃れる。
元は夜行性の狼であったが、極度の飢餓状態を堪えるために身体機能の維持を体内のマナに依存している内に魔物化した存在だ。
普段は、日没後に巣へ戻ろうとする動物を狙って捕食活動を行うのだが、夜中では滅多に見られない人間を見て、ちょうどいいエサだとでも思ったのだろう。
だがウルフェン達にとってのこの襲撃は、単なる不幸でしかなかった。
不意の反撃に、三頭の内の二頭のウルフェンはたじろぐ。
斃れたウルフェンを蹴り飛ばして、一真はバスタードソードを構え直す。
仲間を瞬殺されて、攻撃を躊躇うウルフェンだが、すぐに地を蹴って一真へ襲い掛かる。
牙を剥き出し、唾液を滴らせ糸を引いて迫りくるその様は、一般人なら恐怖そのものだろう。
だが一真は何ら恐れることなく左手を懐に伸ばす。
懐に仕込んでいたのは、投擲用の短剣――スティレットだ。
抜き放ったそれを投げナイフのように手首のスナップと共に放つ。
放たれたスティレットはウルフェンの口の中へ突き刺さり、舌を傷付けられたウルフェンは悶え苦しみながらその場でのたうち回る。
そうして足を止めている内に、一真はもう一体のウルフェンに注意を向ける。
唸り声を上げながら、一真の血肉を喰い千切ろうとウルフェンは飛び掛かる。
しかしその二歩手前ほどのタイミングで、一真はバスタードソードを下から上へ振るい、ウルフェンを下顎から斬り上げる。
跳躍していたウルフェンは、仰け反りながら体勢を崩して地面に叩きつけられ――
「失せろ」
その一秒後には一真がバスタードソードを兜割りのように振り下ろし、ウルフェンの胴体へ深々と刃が喰い込んだ。
バスタードソードを引き抜き、残る最後の一頭へ目を向ける。
舌にスティレットが突き刺さったまま、唾液と血を吐き出しながらも、半ば狂ったように残るウルフェンも一真へ迫るが、一真はそのウルフェンの鼻っ面に容赦無くバスタードソードの切っ先を突き込み、深く抉り抜いた。
恐らくは脳にまで刃が到達したか、断末魔ひとつなく最後のウルフェンは力尽きる。
「そこで寝てろ」
バスタードソードの刀身に付いた血を落とし、斃れたウルフェンの口からスティレットを引き抜き、血を振り払ってから懐のホルスターへ収納する。
それを終えてから、一真はすぐにその場を立ち去った。
他の夜行性の魔物が、ウルフェンの血の臭いを嗅ぎ付けてここへ近付いてくるからだ。
一真が去ってから、他の魔物がウルフェンの死骸へありつき、貪り始めた。
道中、もう二回ほど夜行性の魔物の夜襲を受けたものの、夜通し歩き続けた一真の予定通り、明け方近くになってから中継拠点が見えてきた。
同時に、カトリアとソルが中心となった遠征部隊が馬車の乗り換えを行っている時だった。
恐らくは、雪道や寒冷な気候に慣れた馬に乗り換えたり、コントラクターも寒さ対策を整えるのだろう。
一真は遠くからその様子を覗い、遠征部隊が中継拠点を出立してしばらく経った頃に中継拠点へ入所した。
プリマヴェラを出立してから、ほぼ飲まず食わずでここまで来た一真は、宿屋で朝食を貪るように食べてから、死んだように眠り――
――そしてまた夜に行動を開始する。
道行く人々には訝しげな目で見られるものの、そんな外聞など一真にはどうでもいい。
「(俺が……俺が、あいつを、ディニアルを止めなきゃならないんだ)」
その事しか考えられなくなっていることへの自覚すら無いままに、一真は中継拠点を出る。
事前に調べ、取り寄せた地図情報では、この中継拠点からゼメスタンへ向かうには、『凍雪山脈』と言う雪山を越えなくてはならない。
ゼメスタンの町は、そこを越えた麓にあるのだ。
中継拠点を出てしばらく歩き続けていると、視界に雪がちらつき始め、体感温度が急激に下がり始める。
どうやら、この辺りがゼメスタンの領地になっているらしい。
雪道を踏みしめ、やがて山道へと差し掛かり――
「うぁっ……さっ、むいぃ……ッ!」
強烈な寒気が一真へ叩き込まれる。
寒いと言う言葉など文字通り生温い、身体の芯どころか、骨の髄まで凍らされるような、度を超えた寒さは"痛み"となって身体に危険信号を発する。
一真とて何の寒さ対策もしていないわけではなかった。
防具の下に保温性の高いインナーを着込み、加えてマントでほぼ全身を覆っているにも関わらず、『北風と太陽』の話とは一体何だったのかと思いたくなるほどの寒気の前には、無意味に等しい。
そして今は夜で陽の光が差さない、夜明けまで気温が上がることはない。
「こ、これ、は、キツ、いぃ……」
今ならまだ中継拠点に引き返して、プリマヴェラに帰還出来るだろう。
だが、これ以上先へ進むのなら引き返している内に力尽きる可能性が高い。
凍え死ぬ前に峠を越えるしかない、と一真は引き返すことも無く極寒の渦中へと踏み込む。
踏み込めば踏み込むほどに雪風は強まり、加えて真夜中と吹雪で、視界も足元も最悪。
雪を踏み締めて歩いていると言う感覚すら覚束ない。
行かなくては。止めなくては。
その執念だけが一真の足を進めさせる。
「(さすがに無謀過ぎたか……いいやそれより早くここを越えないと……このままじゃ本当に死ぬ……あとどのくらいだ……?)」
指先の感覚すら無くなった震える手で、懐から地図を取り出うとして、
「ぁ」
風で飛んでいってしまった。
風が強いのではない、一真の掴む力が弱過ぎたのだ。
「…………は」
薄ら笑いが浮かんだ。
最短ルートすら分からなくなり、ただ道なりに進むしかなくなった。
あとどのくらい、は、道程の長さではなく、自分が凍死するまでの残された時間だった。
そうしてまた歩き始めて間もなく、意識が朦朧としていく。
「(やばい、なんか、急に眠くなってきた……)」
何を言っている、ここで寝たらどうなることか。
それが分かっていても、抗い難き睡魔は瞼を閉じさせようとしてくる。
寝るな眠るな起きろ歩けと自分の心が叫ぶものの、それも長くは続かなかった。
「(あ、も、むり)」
意識を手放し、前のめりに倒れ込もうとして、
何故か、身体は宙を舞っていた。
「え?」
いつの間にか崖の近くを歩いていて、踏み外したことに気付いた時は、あまりにも遅すぎた。
「(あ、これ、死んだか)」
と思った瞬間には、ばふりと妙に柔らかい感触に身体がバウンドし――文字通り、坂を転がり落ちていった。
自分は坂を転がっていると言う自覚が無いまま、一真は意識を失いながらも転がっていく。
どこかで止まるまで。
無事にゼメスタンの町に到着した、プリマヴェラの遠征部隊は、ある部隊と合流しての顔合わせをしているところであった。
「初めまして。ベンチャーズギルド・プリマヴェラ支部、ギルドマスターのカトリア・ユスティーナと申します。あなた方ソンバハルのご助力、感謝致します」
カトリアが一礼する相手は、数人ほどのコントラクター達。
その中のリーダー格の男も礼を返す。
「ベンチャーズギルド・ソンバハル東支部より、コジロー以下五名、先駆けて援軍として馳せ参じました。先日は、我々の失態によりお手を煩わせて申し訳ない」
そのソンバハルからの縁軍の中には、小柄な少女――スミレ・サイオンジの姿もあった。
カトリアは、スミレに目を向けた。
「あなたが、スミレ・サイオンジさんですね。カズマくんとユニさんから、お話は聞いています」
「はい。お二方には大変お世話になりました。此度の駆逐作戦も、微力を尽くす所存です」
畏まって頭を下げてみせるスミレ。
今の彼女は、戦闘用のくノ一装束ではなく、藁傘を外した雪ん子姿だ。
「……ところで、カズマ様はこちらにおられないのでしょうか?」
期待していたような顔していたスミレは、彼の姿が見当たらないことに、カトリアに所在を訊ねる。
「今作戦の懸念材料もあって、今回、彼は同行していません。期待していたのなら、申し訳ないですが」
「い、いえ、その……失礼しました」
一真がいないことに、スミレは落胆が顔に出そうになるが、すぐに取り繕って一礼する。
顔合わせも済んだところで、さて明日に備えて就寝を……と言う時だった。
「………急げ!まだ生きてるんだぞ!」
「あんな状況からよく死なずに済んだもんだ」
「ったく、偵察隊が持って帰るのは情報であって、迷子じゃねぇんだぞ……」
何やら外が騒がしい。
何事かと、カトリアと同席していたソルは戸を開けた。
「おい、どうした?」
戸を開けてすぐのところで、数人のコントラクター達が慌ただしい様子で、怪我人を搬送しているのか、担架に人を乗せて運んでいる。
「遭難者ですよ、いきなり崖の上から落っこちて来て……下が雪じゃ無かったら死んでましたよ、こいつ」
偵察隊らしいコントラクターの一人が一歩退いてやる。
こんな夜に凍雪山脈を渡ろうとするようなバカだ、一体どんな奴かとソルは担架の上に寝かされた者の顔を見て、
「んなっ……カズマァ!?」
こんな夜に凍雪山脈を渡ろうとするようなバカ――衰弱したカズマ・カンダの姿が、そこにあった。
と言うわけで二十二章でした。
ディニアルと差し違える覚悟で一人往く一真。
しかしそれは大失敗した挙げ句、偵察隊に救助されると言うやらかしをしました。





