二章 魔力適性ゼロってなんだよ。
微睡みの中に優しく囁くように、小鳥の囀りのような音が意識に届く。
「む……」
手を伸ばしてみても、目覚し時計は手に届かない。
「ん?んん……?」
しかも、目覚し時計の音はやけに小さい――と言うか聞こえない。音量調整など効かないはずだが。
脳裏の疑念が一真の意識を呼び戻していく。
瞼を開けて、ようやくなにもない空間に手を伸ばしていたと気付く。
同時に、ここが自分の部屋ではないことも。
「ぁあそっか、異世界転生したんだっけ……?」
まだ見慣れないが見覚えはある、宿屋『ハミングバード』の一室。
一真は背伸びついでに、昨日のことを思い出していく。
ある日突然異世界転生し、意識が無かったところを拾ってもらい、住所不定無職の文無しだったので美人のギルドマスターに雇い入れてもらい、町の案内をしてもらい、自分が眠っていた宿にもう一晩泊めさせてもらい、衣服や日用品一式も用意してもらい、
「……してもらってばっかだな」
何も知らない持っていない自分に対する心遣いであり、もちろんそれは非常にありがたいのだが、いかんせん至れり尽くせり過ぎではないかとも思ってしまう。
それほどまでにギルドの資財は潤沢なのか、あるいは、
「(初期投資はしてやったから、あとはギルドに貢献して返せってところか)」
恐らくそうだろうな、と一真はこの"初期投資"の意味を捉える。
今日はこれからギルドの集会所に赴き、下請け人――コントラクターの適性試験を受ける。
それに合格し、依頼を受けられる資格を得る……まずはそこからだ。
与えられた部屋着から、同じく与えられたコントラクター用の軽装に着替えていく。
軽装と言っても、普通の衣服よりもやや丈夫に、なおかつ動きやすさを重視して製縫された薄着のようなものだ。
RPGだったら初期装備って奴だな、と呟きつつそれらを身に着ける。
「……ま、こんなもんだろ」
姿見鏡で自分の身だしなみを確認し、別段おかしなところが無いことを確認して、手荷物を纏める。
忘れ物は無いなと部屋を見回してから、部屋を出ようと玄関ドアを開けて、
「わわっ……」
開けたそのすぐ向こう側に、驚いて慌てて後退るリーラがいた。
「……おはよう?」
「あ、お、おはようございますっ」
一真が挨拶を告げると、リーラも姿勢を正してペコペコと挨拶を返す。どうやら起こしに来てくれたようだ。
「カズマさんは今日は、コントラクターの適性試験を受けに行くんですよね。朝ごはんは食べて行きますか?」
今日の午前中に、一真がギルドのコントラクターの適性試験に挑戦することは、リーラも知るところだ。
「……俺さ、昨日の昼と晩で二回もタダ飯いただいてるんだけど、大丈夫?」
ここでの食事で使われる食材や調味料も、ただでは無いはずだ。
本来なら対価を支払って食事をいただくはずだが、経営費などはいいのかと一真は心配になりつつ訊ねる。
「費用に関しては大丈夫ですよ。カトリアさんが「これもカズマくんへの初期投資の一部です」って、前もってお金はいただいてますから」
「あ、やっぱり初期投資なのか……」
あっさりと答えるリーラに、一真は「今の自分は投資されている」ことを自覚する。
しかし、投資の一部と言うことならば、変に遠慮することは無いということだ。むしろ、ここで遠慮することはかえって損する結果になる。
「んじゃ、投資と言う名のご厚意に甘えるとしますか。朝ごはん、食べて行くよ」
「分かりました。すぐに用意しますね」
すぐに踵を返して厨房へ向かうリーラの背中を見つつ、一真は食事用のテーブルに着く。
「お待たせしましたー」
湯気の昇る温かい料理がトレイに乗せられ、リーラの手によって運ばれてくる。
今朝のメニューは、ホットサンドと野菜スープと、
「ん、これは……お茶?」
一真は、マグカップに注がれた薄緑色の飲み物を見る。
「お茶ですよ。プリマヴェラの近くにある深森で採れる、薬草から作られてるんです」
「へぇ、薬草からお茶を?」
お茶も元々は葉から作られているし不思議でもないか、と一真はマグカップを手にとって香りを嗅いでみる。
少し渋みのある香りだ、濃いめの緑茶に近い。
そのまま一口啜ろうとして、一旦その手を止めてマグカップをトレイに下ろす。
「おっと……いただきます」
「はい、どうぞ」
食事の前に「いただきます」を唱えていなかったからだ。
それを告げてから、改めて薬草茶を啜る。
「ふー……」
思ったより苦くなく、渋みある香りとは裏腹に意外とスッキリした後味だ。
一真が食事を始めたのを見て、リーラはカウンターに戻って行く。
やはり食事時は忙しいのか、カウンターの向こうから見える厨房でリーラが忙しなく調理している様子が見える。
ホットサンドや野菜スープにも手を伸ばす。
癖のない薄味、それでいながら物足りなさを感じさせない優しい味わいに食は捗り、見る内に平らげていく。
「ごちそうさまでした、っと」
出された物は残さずいただき、一真はトレイを手に取ってカウンターの方へ向かう。
「リーラ、ごちそうさま。トレイはここに置いておくよ」
すると、一真の声に反応して慌てて駆け寄ってくる。
「あっ、わざわざありがとうございますっ。テーブルに置いたままで良かったのに」
「さすがにそれは悪いって」
一真はトレイを差し出し、リーラはそれを受け取る。
「コントラクターの適性試験、頑張ってくださいね」
「うん、ちゃんと受かってみせるさ。美味しい朝食もいただいたことだし」
そろそろ行くよ、と一真は軽く会釈し、手荷物を抱えて『ハミングバード』を後にする。
それを見送っていたリーラは、閉められたドアを見つめながら「美味しいって言われたの、久しぶりだなぁ……」と小さく呟いていた。
『ハミングバード』からすぐそこ、徒歩一分もしない距離にベンチャーズギルドの集会所はある。
一真はその出入口の前で一度足を止めて、深呼吸をしてから、集会所内へ足を踏み入れた。
真っ先に感じたのは、香辛料と酒の香りが混ざった、鼻を突くような匂いだった。
だだっ広いテーブルには、朝から豪勢な料理と酒が並び、その周りにはコントラクターだろう者達が思い思いの形で過ごしており、一真が集会所にやって来たことなど誰も意に介していない。
集会所と言うかまるで酒場だな、と呟いて一真は辺りを見回し、カトリアと同じ服装――ギルドが指定しているだろう制服をした、受付嬢らしき女性のいるカウンターへ向かう。
目の前にまで近付くと、営業スマイルを浮かべてくれた。
「おはようございます。ご用件をどうぞ」
「えーと、コントラクターの適性試験を受けに来た、神田一真……じゃなくて、カズマ・カンダです」
用件と自分の名前を伝えると、受付嬢は「あっ、はい」と的を得たように瞬きする。
「少々お待ちください、担当者をお呼びします」
パッとカウンターの奥へ入るなり「ギルドマスター、例の新人さんです」と声を掛けた。
すると、ギルドマスター――カトリアともう一人別の受付嬢が奥からやって来た。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
「はい、朝までぐっすりでした」
思わず目覚し時計を止めようとしたくらいです、と言いかけて「(目覚し時計なんて物はこの世界には無いか)」と押し止める一真。
「体調は万全のようですね。では、まずは『修練場』へ移動しましょうか」
修練場と言う場所は、昨日にカトリアの案内でも一応の説明は受けている。
コントラクターが自主的な鍛錬を行う場所であると。
カトリアに促されて、一真は入ったばかりの集会所を出る。
修練場と言っても、空き地を簡単な柵で囲い、仮想敵だろう案山子や、流鏑馬で使われるような円状の的、道具や消耗品を保管するための小屋が建てられているだけの簡素なものだった。もっとも、自主鍛錬のための場なので、余計なものは置かないのだろうが。
小屋の前まで来たところで、カトリアが姿勢を正す。
「これより、コントラクターの適性試験を行います。命の危険は無いとは言え、コントラクターとして依頼を委任させられるかどうかを見定めるための試験ですので、最後まで気を抜かずに取り組んでください」
「はい!」
一真も背筋を伸ばし、覇気ある返事をする。
「良い返事です。この試験では、腕力や脚力と言った体力的な試験の他、武器の取り扱いや『マナ』の適性と言った技術、魔力的なものもあります。何を得意とするか、何に向いているかは、コントラクターによって異なります。よって、何か一点で適性基準を下回ったとしても、即座に不合格になるわけではありませんので、予めご了承ください」
「(『マナ』?確か……魔力のことだよな?)」
カトリアの言う「マナ」と言う単語を、前世で何となく知り齧っていたあやふやな知識でその意味を思い出す。
自然界の魔法エネルギーだとかもっと深い概念が綴られていたようだが、創作世界よってその意味合いや解釈は異なる。
「(今の俺の身体は……どうなんだろう?一度死んで転生したってことなら、この世界に適応した身体になっている……はず、だけど……)」
自分の身体ながら、今ひとつ自信が持てない。
とは言え、仮にマナに関する適性が無かったとしても不合格になるとは限らないようだ。
一真の懸念を他所に、カトリアは試験を始めていく。
「それでは、まずは走力からです。あちらに見える、白線から白線へ向けて全力で走り抜いてください」
カトリアの指す方向には、石灰で敷かれたのだろう白線が二本。白線と白線との距離は、およそ50mと言ったところか。
「よしっ……」
何にせよまずはひとつめの項目だ。
一真の適性試験は、ほんの少しだけ滞りながらも進んでいた。
カトリアと同行していた測定士が、頭を中心に円を描くように、ホロスコープのような魔力帯を展開、肉眼よりも緻密なカウントが可能になり、一真の脚力や跳躍力を、可能な限り誤差を無くした上で測定し、口頭で伝えられた数値をカトリアが正確に聞き取り、記録表に書き込む。
「……脚力、優秀。腕力、優秀。跳躍力、優秀。平衡感覚、優秀。体力面に関しては申し分ありませんね」
カトリアは書き込んでいる記録表を見直して、一真がコントラクターとして優秀な身体能力を持っていることに感心する。
しかし良いばかりではなく、測定士は一真の"唯一の欠点"を口にする。
「しかし、どう言うことでしょう?彼にはマナの適性どころか、『マナを一切持っていない』と言うのは……」
そう。
カトリアや測定士だけでなく、少なくともこのホシズン大陸に住んでいる人間は、(それを活かせるかどうかは別にして)大なり小なりマナ――生物全てが持つ魔力元素――を持っている。
ところが、魔力適性を始める前に一真は「多分俺、マナなんて持ってないですよ?」などと言い出したのだ。
どういう事かと、カトリアは測定士に一真の持つマナを調べさせてみた。
すると、驚くべきことに、一真からはマナが全く検知されなかったのだ。
再度測定しても結果は同じだった。
これにはカトリアも測定士も頭を悩ませたが、ひとまずの結論として『魔力適性はゼロ』とカテゴリされることとなった。
「原因は分かりません。ですが、魔力適性が無い以外……身体能力は高水準である以上、不採用とするには惜しい人材です」
マナを活かせないことは、そこまで珍しいことでもない。実際、コントラクターの中には単純な身体能力だけで魔物を相手に大立ち回りを演じれる者もいる。
それはともかく、少しばかり躓いた適性試験も、次で最後。
仮想敵――兵士の格好をした案山子を攻撃し、破壊するまでの過程と結果を測るものだ。
小屋に保管されている武器を使っても良い、と言うカトリアの言葉に従い、一真は武器庫の戸を開く。
立て掛けられているそれらを探ってみる。
「……一番近いのは、コレか?」
実のところ、一真が求めていたような武器はなかった。
それでも一応、求めていた武器に近いものを手に取ったそれは、刃先がやや反り返った形状をした、やや細身のバスタードソードだった。
武器庫を出て、鞘に納められたバスタードソードを左手に、案山子の前に立つ一真。
その様子は、カトリアと測定士も見ている。
「スゥ……ふー……」
深呼吸をひとつ挟んでから、一真は左手に握るバスタードソードを腰溜めに持ち上げ、澱みなく抜き放った。
左手にある鞘はその場で手を離し、両手で柄を掴み、身体の正中線と合わせるように構える。
左足をやや後ろに、右足をやや前に。
「あの構えは……?」
測定士は、見覚えのない構え方に目を細める。
しかしカトリアは、一真の澱みない構えを見て目を見張らせた。
あの、"殺陣"。
少なくとも素人のそれではない、極限まで対人戦に特化したような、正面に対して一分の隙も無い構え。
一真の視線が案山子の顔を捉えた――時には既に一歩を踏み込んでおり――
次の瞬間には、案山子の頭は粉砕されていた。
「な……っ?」
「は!?」
何が起きたのか、カトリアと測定士はそれぞれ異なる反応ながら驚愕する。
案山子と言っても、出来の良い木材を使い、しっかりと足を地中に埋め込んだものだ、ただ力任せに剣を叩き付けるだけでは簡単に壊せないくらい程度には頑丈であるはず。
それを、ただの――頭部をピンポイントで狙ったとは言え――一撃で破壊してみせたのだ。
「うわっ、一発で壊れた!?やっぱり本物の武器は違うな……」
その本人である一真は、何故か自分で自分に驚いている。
「ギ、ギルドマスター……彼は一体……?」
測定士は声を上擦らせているが、それを後目にしてカトリアは一真の元へ歩み寄る。
「カズマくん、以上で適性試験は終了になります。お疲れ様でした」
「あ、これで終了なんですね」
一真は放っていた鞘を拾い、バスタードソードを納めた。
「えーっと……『魔力適性ゼロ』って判定は受けましたけど、合格ですか?」
コントラクターとして認められるかどうか、一真は試験中――特に、マナが無いと判断された時――からずっと気になっていたのだ。
その問い掛けに対して、カトリアはにこやかな表情を浮かべて頷く。
「魔力適性はゼロでも、身体能力と武器の扱いでお釣りが出るほどです」
「それじゃぁ……!」
「はい、適性試験は合格です。おめでとうございます」
合格。
その単語を聞いて、一真はホッと安堵した。
「はー、良かった良かった……こんなにホッとしたのは高校受験以来ですよ」
「コーコジュケン?」
思わず前世での言葉を使ってしまい、カトリアは何のことかと小首を傾げている。
「あー、あー、えっと、こっちの話です。気にしないでください」
「?……では、後片付けを済ませたら集会所へ戻りましょう。仮想敵である案山子は、そのままで結構です」
「分かりました」
使い終わったバスタードソードを武器庫に戻し、置いていた手荷物を担ぎ直すと、カトリアと測定士と共に修練場を後にしていく。
集会所に戻ってからすぐに、カトリアは受付カウンターの奥に入っていった。
先程に集会所に入った時とそう変わらない喧騒の中、一真は受付カウンターの近くで待っている。
そうしている間、幾人かのコントラクターが受付カウンターに赴き、受付嬢と二言三言と話してはサインや判が押された紙が手渡されている。
コントラクターとして依頼を受ける際は、あのように依頼状――契約書の控を渡されるのだろう。
また、やはりこの集会所は酒場としての側面もあるらしく、受付嬢の何人かが注文を承っては、どデカいジョッキや重々しい大皿料理を軽々と運んでいく。
依頼を完遂させ、報酬を受け取ったあとはこのように飲み食いをするのだろう。
なるほどな、と呟いてはコントラクターとしての"勝手"を見知っていく一真。
「何がなるほどなのかな?」
ふと、一真に声を掛ける者がいた。
カトリアや同行していた測定士の声ではない、それ以外。
自分のことかと一真は声がした方向へ振り向き、
すぐ目の前、密着しそうなほどの距離で紅い瞳が一真の顔を興味深そうに覗いていた。
「おわっ!?」
真後ろほぼゼロ距離にいたと言うのに、全く気配が感じられなかったことに、一真は思わず後退る。
距離を置いたことで、その姿の全身が視界に映る。
まず目に付いたのは、真っ黒な外套。
その外套の所々がアメジスト色の妖しげな装飾で彩られ、よく見れば外套は下へ向かうにつれてボロボロになっている。
まるで、死神のような出で立ちだ。
黒いベールの内側から覗く、一真を覗いていた紅い瞳に、二つ結びにされた蒼銀色の長髪。
顔立ちや体格を見る分には、一真と同じくらいの少女だろうか。
その表情は、最初から驚かせるつもりだったのか、悪戯が成功した子どものようだ。
「ふふっ、びっくりした?」
「び、びっくりした……」
「キミがあんまりぼけーっとしてたから、つい、ね?」
ごめんねー、と全く悪気無さそうに笑うと、踵を返して受付カウンターに向かっていく。
――その背中に、不気味な大鎌を携えて。
「……何だってんだよ」
質悪いヤツだな、と声に出さぬように呟く。
もう少しだけ待っていると、カウンターの奥からカトリアが出て来る。
「お待たせしました。こちらが、カズマくんの『ギルドカード』になります」
カトリアから差し出されるのは、一枚のカード。
「ギルドカードは、身分証としてだけでなく、ギルドに依頼を受注する際にも必ず必要になります。紛失することの無いよう、大切に携行してください」
「ありがとうございます」
小さく頭を下げつつ、ギルドカードを受け取る一真。
「あと、それとこちらを」
ギルドカードを手渡してから、カトリアはもう一枚別の書類とリングに繋がれた鍵束を一真に差し出した。
「この書類に書かれている場所が、今日からカズマくんのご自宅になります。鍵はこちらに」
「あぁ、住所登録ってことですね」
時間が掛かっていたのは、この件もあってのことらしい。
書かれている(描かれている)住所は、集会所や『ハミングバード』から近い場所にある、空きの民家のようだ。
一真はギルドカードに続いて住所関連の書類も受け取り、ひとまずは手荷物の中に納める。
それを確認してから、カトリアは背筋を正して毅然とした態度と声色で告げる。
「……コホン。カズマ・カンダ。貴殿は、適性試験を優秀な成績で通過し、その能力がベンチャーズギルドの一員として恥の無いものであることを証明したことにより、本日付けで貴殿にコントラクターの資格を授与する。コントラクターと言う力を持つ者としての自覚を持ち、日々の精進努力と、ギルドへの貢献を怠らぬことを期待します」
「は、はい!」
彼女の凛とした佇まいに一真も姿勢を正し、ハッキリとした返事を返す。
晴れて適性試験に合格し、正式にコントラクターとなった一真だが、その日の内に依頼を受けるわけではない。
まずは生活の拠点たる自宅の把握だ。
カトリアの手回しによって手配された民家の鍵を開けて、手荷物を隅に置く。
「さて、と……」
基本的かつ最低限の生活用品、それと少額ながら資金(この大陸では通貨を『オール』と呼ぶらしい)を手渡されているとは言え、さすがにこれだけでは――特に食料が足りない。
よって、今日のところは自分の身の回りを整えることに専念し、コントラクターとしての活動は明日からにすると決める。
……否、それよりもさらに優先しなければならないことがあるのだが。
「昼飯、どうするか……」
腹の虫が静かに自己主張を始めている。
適性試験が思ったより順調だったとは言え、ベンチャーズギルドの正式登録と住所登録に思いの外時間が掛かったのだ。
ひとまず食材屋に行くか、と手荷物から財布を取り出そうとして、
コンコン、と出入口のドアがノックされた。
「はい?」
入居して三分で一体誰が訪ねに来たのかと一真はドアに向かって反応する。
「えーと……カズマさんですか?」
「ん、リーラ?」
そろそろ聞き慣れてくる声に、一真はドアを開けてやると、バケットを胸に抱えたリーラが待ってくれていた。
「どうしたんだ?」
「えっとですね、お昼はまだですよね?」
「ん、今から食材屋にでも行こうかと思ってたところ」
「で、でしたらこれをどうぞっ」
するとリーラは、抱えていたバケットを一真に差し出した。
ナプキンに覆われたその隙間からは、今朝も朝食で用意してくれたホットサンドが見える。
「……あぁ、カトリアさんから用意するように言われたのか」
あの人には頭が上がらないなぁ、と苦笑する一真だが、リーラは何故か慌てて「違うんです」と首を横に振る。
「カトリアさんからの指示とかじゃなくて、わたしが勝手に持ってきただけなんです」
「え?勝手にって……」
なんでまた、と訊ね返す一真に、リーラは目を逸らしたりしながらしどろもどろに答える。
「そ、その……これはわたしのお昼ごはんのつもりで作ってたんですけど、気が付いたらなんか作りすぎちゃってまして、そういえばカズマさんってお昼ごはんどうするんだろって思って、集会所に行ったらカトリアさんからカズマさんの住所を教えてもらいまして……あっ、こ、これは作りすぎちゃったからのお裾分けであって、カズマさんに「美味しい」って言われたのが嬉しくなってうっかり作りすぎちゃっただけで、決してわたしがカズマさんのために用意したとか、そういうわけではなくてっ、えぇとえとっ……!」
「う、うん?リーラ、ちょっと落ち着こうか?」
「は、ひゃいっ」
一真が口を挟んで、リーラを止める。
「どうも親切にありがとう」
そう言って、リーラが差し出しているバケットを受け取る一真。
「これ、ちゃんといただくな」
「は、はいっ、どうぞっ」
リーラはペコペコと頭を何度も下げると、「ではわたしはこれでっ」と足早に玄関を後にしていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、
「……今度、お礼に何かしてあげないとな」
彼女の心遣いに感謝しつつも、一真はバケットをテーブルに持っていく。
ホットサンドはまだ冷めておらず、温かった。
と言うわけで、二章でした。
戦闘の素人のはずなのに、一撃で案山子を粉砕してみせた一真。
一体何道の使い手なんだー(棒)
カトリアのガードは固いですが、リーラは早速オチ始めてます。チョロインです。