十九章 おはようは頭突きとともに。
露天風呂での騒動(?)を終えた、その翌朝。
レクスオークの討伐、小休止をいくつか挟んだとはいえほぼ続けざまにディニアルとの戦闘の疲れもあって、一真はぐっすりと眠りについていた。
小鳥の囀りが朝を伝えてくれるが、絶賛熟睡中の一真にはモーニングコール足り得なかった。
エスターテの時のように、誰かに乱暴に叩き起こされたなら否応無く起きれるのだが、今回は客人として饗された上でここへ泊まっているのだ。
故に、彼を無理矢理起こそうとするものはおらず、一真は思う存分に睡眠が取れる。
……はず、なのだが、ドアを開ける音が静かに立てられ、何者かが入室する。
「おはようございます」
それは、右肩周りをギプスで固定した、浴衣姿のユニだった。
小声で「おはようございます」と告げ、そーっとそーっと、眠っている一真へと近付く。
「今朝のモーニングコールはわたくし、ユニ・ガブリエルがお送り致します」
悪戯を仕掛けようとする子どものような……と言うより、これから実際に一真に悪戯をしようとしているユニは、一真の寝顔を覗き込む。
「……ふふっ、カズくんの寝顔、かーわいっ♪」
ニコニコ……というより、ニヨニヨと笑顔を浮かべるユニ。
「さてさて、カズくんのかわいい寝顔も堪能したところで……」
スッと左の人差し指を向けて、
「まずはほっぺを、つんつん」
一真の右頬を突く。
「む、ん……」
安眠していた一真は、突然の襲撃(?)に鈍い反応を示すが、熟睡状態からレム睡眠状態に一段階下がったところだろう。
「なかなか深く眠っているようです。ではお次は……」
ユニは一真の右側面に回り込んで至近距離に近付くと、
「耳を優しく、ふぅー……」
彼の右耳に吐息を吹きかけた。
「んぅ……んん……?」
耳の違和感に気付いてか、鬱陶しそうに首をもたげる。レム睡眠状態から微睡み状態にもう一段階下がったのだろう。
「おぉ、これにも堪えてみました。カズくん、手強いですね。ここは一旦様子を見ましょう」
ユニは一度一真から離れる。
すると、襲撃(?)の手が止まったことで一真の微睡み状態はレム睡眠状態へ移行する。
「さて、ユニ・ガブリエルのモーニングコールも、そろそろお別れの時間が近付いて参りました。そろそろちゃんとカズくんを起こそうと思います」
よし、とユニは一真の顔に近付く。
「えー……んんっ」
咳払いをひとつ挟んでから、
「カズマくん、朝ですよ。そろそろ起きてください」
カトリアの声真似をしながら、落ち着いた様子で声を掛ける。
「んー……すぅ……」
しかし効果は無いようだ。
「カズマさんカズマさんっ、今日もいい天気ですよ。さぁ早く起きて着替えて朝ごはんにしましょうっ」
次はリーラの声真似をしつつ、ちょっと落ち着かない様子を演じる。
「………………」
やはり効果は無い。それどころか、レム睡眠状態から再び熟睡状態に移行しつつある。
「ほーら、いつまで寝てんのよカズマ、さっさと起きなさい」
次はラズベルの声真似をして、呆れた感じの様子で。
「…… 」
……どうやら完全に熟睡状態に戻ってしまったようだ。
「カズマ様、朝でございます。ご起床を」
今度はスミレの声真似をして、畏まった様子を見せるが、
………………
…………
……
「へんじがない。ただのしかばねのようだ」
ついに反応すら無くなってしまった。
「んー、全然起きてくれないねぇ。……こうなったら、最終手段だね」
するとユニはさらに一真の顔に近付く。
彼女の視線の先にあるのは、一真の唇。
「お、起きないカズくんが悪いんだからね?カズくんが起きてくれれば、こんなことしなくていいんだからね?」
言い訳がましくそう言って――当然それは本音では無いのだが――、ユニはさらに一真へ接近する。
「ねぇカズくん。起きないと、……、キス、しちゃうよ?」
少しだけ顎の位置を下げて、間合いを詰めていく。
「……」
あと、ほんの3cmと言う間合いに踏み込んだ時、その時だった。
ユニの前髪が一真の鼻先をさらりとくすぐり、
「ふ、ふ、ふぁ……」
次の瞬間には、
「ふぁくしゅがっ!?」
「きゃんぐぅッ!?」
くしゃみをぶちかました拍子に、一真はユニの脳天に強烈なヘッドバット(違う)を叩き込んだ。
頭部の鈍い痛みが、モーニングコールとなって一真を叩き起こしたのだった。
「…………どうしたのよ、あんた達二人」
一真よりもずっと早い時間に起きて、一足先に朝食を終えて食後のお茶をいただいていたラズベルは、額を押さえた一真と、脳天を痛そうに擦っているユニを見て訝しげに目を細めた。
「……ユニが俺を起こそうとしてくれたんですけど、なんでかくしゃみが出て」
「私はカズくんの頭突きを直撃しました……」
「何やってんの。ホント何やってんの」
実際は、ユニが一真にキスをしようと近付いたところで、彼女の前髪が一真の鼻先をくすぐり、くしゃみをした勢いで頭同士がぶつかってしまったのだが。
そもそも、そんなキスをするような距離で起こそうとするユニの方がおかしいのだが、それを知って知らずか、ラズベルはただ呆れるだけだった。
「全く……あんた達二人は、ヘイムダルまではエスコートされるからって気ぃ抜き過ぎよ」
あたしはこれから一人でエスターテまで帰るってのに、とラズベルはお茶を飲み干す。
「ラズベル様、お茶のおかわりはいかがしましょう?」
「ん、もういいわよ。ありがと」
ラズベルの側で直立不動しているのは、割烹着を着込んだスミレ。
昨夜の女湯でラズベルにやりたい放題された彼女は、表面上はいつも通りを演じているが、
「(ラズベル様に不用意に近付いたら、今度は何をされるか……気を付けなくてはっ)」
と、内心ではかなり警戒していたりする。
そんなスミレの内心の警戒を悟ってか、
「(あちゃー、昨日はやっぱりやり過ぎたかも?ま、表面だけでも普通に接してくれるだけマシか。あたしちょいと反省)」
と、少しくらいは省みている。ちょいと、だが。
「そういや、ラズベルさんって単独でソンバハルに来たんですよね?」
ユニと一緒に席に着きながら、一真はラズベルに話し掛ける。
「ん、そうだけど?」
それがどうかしたのかとラズベルは首を傾げる。
「その、一人で大丈夫だったんでしょうけど、帰りも一人なんだよなって思いまして」
「……ははっ、心配してくれたわけね」
一真の心配りを読み取って、ラズベルは軽く笑った。
「大丈夫大丈夫。それに徒歩じゃなくて、馬で来てるのよ。馬で行けば、中継拠点でのんびり休憩しても一日で着くから、むしろ一人で飛ばした方が安全よ」
「あ、確かにそれなら一人の方が安全か」
一真は、エスターテの砂丘遺跡に向かう時を思い出した。
ラズベルは他の馬よりも一際体躯の大きな馬を軽々と乗りこなしていた。
その上で、後続に遅れている者がいないかを逐一確認していたのだ、後ろを気にせずに思い切り走らせれば、例えもし魔物と出会しても無視して突き抜けることも出来るだろう。
尤も、魔物が襲って来たとしてもラズベルなら問題なく一人で切り抜けられるだろうが。
「ま、お気持ちだけ受け取っとくわ。あんたのそう言うところ、あたしはけっこう好きよ」
「えっ」
好き、と言う言葉を聞かされて、一真は一瞬とは言え動揺する。
「何なら、今からあたしと一緒にエスターテに来る?って言いたいけど、今のあんたはユニちゃんを守ってあげないとね」
怪我してるんだし、とラズベルの視線がユニに向けられる。
「ヘイムダルまでは、ソンバハルのコントラクターの護衛が付くって言っても油断出来ないし、ヘイムダルからプリマヴェラまでは二人だけなんだから、ちゃんと守ってやんなさいよ、王子様」
「お、王子様って……」
そんなの柄じゃないですよ、と一真が返そうとするが、それよりも先にラズベルはお茶を飲み干して、茶飲椀をスミレに返す。
「さてと。それじゃあたしはそろそろ行くわ。帰る前に、トウゴウマスターとサイオンジマスターに挨拶しとかないとだし」
足元に置いていた手荷物を担ぎ、ラズベルは席を立つ。
「あ、もう行くんですか?」
もうちょっとゆっくりしてもいいのに、とユニが引き留めようとするが、
「あんまりゆっくりしてちゃ、夜までにエスターテに着かないからね」
席を立ち、食事処を後にしようとするラズベルだが、「あ、そうそう」と、ふと思い出したように振り返り、一真に向き直った。
「思ったより早い再会だったから、まだ『良い男』にはなりきれてないけど……この間よりは断然良いよ。その調子で頑張んなさい」
それだけ言い残してから、ラズベルは今度こそ外へ出た。
残された一真、ユニ、スミレの三人は。
「……なんで別れ際がいちいちカッコイイんだよ、あの人は」
なんか悔しい気持ちになるな、と一真は苦笑する。
そんな彼の意識がラズベルに傾いているのを察しとったのか、ユニは誤魔化すように声を張る。
「あー、私お腹空いちゃったなー!カズくんっ、朝ごはん食べよっか!」
「お、おぉ、おぅ?」
急に声を張ったユニに戸惑いながらも一真は頷く。
一真とユニが朝食を食べている間に、ラズベルは納屋に預けていた愛馬を引き取り、ソンバハル東支部の出入り口でリュウガに見送られていた。
「ただ信書を送りに来ただけや言うのに、エラい目に巻き込んでスマンかったな、ラズベル嬢」
「お気になさらず。気持ちの良い浴場と豪勢な食事までご用意いただいたので、差引はゼロでいいでしょう」
「そう言ってくれると助かるわ。……帰る前に、クヴァシルマスターに伝えてほしいことがあんねん」
ふと、リュウガは目を細めてラズベルに言う。
「あんさんらが一戦殺り合ったっちゅぅ、ディニアルのことや」
ディニアルの名を聞いて、ラズベルは緊張を走らせる。
「……あの男が、何か?」
「昨夜、あれからコテツと話し合ってな……」
リュウガが言うには。
以前にエスターテで、正体不明の大型の魔物『ゴーレム』が砂丘遺跡で暴れ出し、プリマヴェラとエスターテが合同になって討伐されたことは、ヘイムダル経由で三日遅れでソンバハルにも知らされた。
それと同じ頃に、『西支部で怪しげな男(恐らくディニアルだと思われる)がランハーンの側近の座についた』言うことを聞き、そのすぐにコテツ暗殺の噂が出回った。
ディニアルは一真をソンバハルにおびきよせるために今回の暗殺騒動を引き起こしたのだろう。
そして、まるで大事を起こせば必ず一真がやって来ると最初から予見していたようではないか、とコテツは言っていた。
エスターテにゴーレムが出没したのも、ちょうどプリマヴェラから定期便が訪れた(つまり一真がやって来た)頃だった。
ゴーレムは明らかに生態系を無視した異質の存在で、無差別破壊を繰り返すのみと言う、不可解な行動を取っていたが、人間を認識すれば積極的に攻撃を仕掛けていた。
これだけでも、ゴーレムは人為的に作られた魔物であることは読み取れる。
つまるところディニアルは、プリマヴェラの定期便がエスターテに向かう頃合い見計らってから、ゴーレムを生み出して暴れさせ、問題を引き起こした。
恐らくゴーレムは本来、エスターテの街を破壊して住民もろともプリマヴェラからのコントラクター達を踏み潰すために生み出された魔物ではないのか、と。
その中に一真がいて、抹殺させられれば御の字……ではなかろうか、と。
「そんなバカな、と言いたいですが……ディニアルがカズマのことを一方的に知っていたことを考えると、一概に無関係とは言えませんね」
「ラズベル嬢、あれからまたエスターテで何か問題は起きんかったか?」
「いいえ、魔物による襲撃が散発していますが、それはいつものことなので、至って平和なものです。」
「…………これは、ワシのただの勘や言うことは、先に言うとく」
そう前置きを置いてから、リュウガは続ける。
「次にまた同じような問題が起こるとしたら……恐らくはゼメスタンや」
「ゼメスタンに?」
ホシズン大陸の"北"にあたる、極寒の地。そこがゼメスタンだ。
一真の現住所であるプリマヴェラではなく、何故ゼメスタンなのかとラズベルはそれを問う。
「プリマヴェラは気候が安定しとるし、町周辺の治安もえぇ。問題を起こそう思たら、よっぽどの大事件を起こさなアカンし、それだけの準備をするにも手間が要る。その点ゼメスタンは」
「劣悪な気候で、魔物も凶暴な種が多い。偶然を装うなら打って付けと言うわけですか」
そういうことか、とラズベルは得心する。
真っ先にエスターテに大きな問題が起きたのは、四大領地の中でも特に環境が悪く、ゼメスタンほどでは無いにしろ、魔物も凶暴かつ狡猾な種が多く棲息している。
それ故に大きな問題も起こりやすく、魔物による被害件数など数えることすら億劫になるほどだ(ギルドはそう言ったことは必ず把握するよう努めている)。
「そう言うこっちゃ。せやから、もし仮にゼメスタンで何か問題や事件が起きた時、プリマヴェラに先駆けて人員を派遣してほしいと、クヴァシルマスターに伝えてくれや」
「伝言は承りました。ですが、エスターテからゼメスタンはヘイムダルを経由してもかなりの距離があります。増援の到着に時間がかかることは、ご了承を」
「分かっとる。せやけど、今のソンバハル……特にコテツの西支部は体制の立て直しもせなアカンが、ワシの東支部からはスミレと何人かは向かわせられる。時間稼ぎくらいは出来るはずや」
「分かりました。では、失礼致します」
ラズベルは一礼すると、控えさせていた馬の鐙に跨がり、手綱を打って馬を走らせた。
それを見送るリュウガは、溜め息と共に呟いた。
「若モンがコントラクターになるんはえぇ。けども、しょうもないことで命張るようなことはさせたらアカンわ……」
大人がちゃんとせにゃならん、とリュウガは頭を振って集会所へと戻っていく。
事後処理は、まだまだ山積みだ。
ソンバハルからヘイムダル行きの馬車が出立した。
馬車の四方は、スミレを含むソンバハル東支部のコントラクター四人が追従しており、万全の構えを取っている。
一真とユニは客人として馬車の中にいるが、いざとなればユニを守るために一真も戦闘に参戦するつもりだ。
とは言え今のところは問題らしい問題も起きておらず、馬車は悠々とヘイムダルへの進路を進んでいる。
「んー……」
ふとユニは、何か考え込むような顔をする。
どうしたのかと一真が訊ね、言葉を選ぶために少し間を置いてからユニは答えた。
「あのディニアルって人、カズくんのことを恨んでるんだよね?」
「そうみたいだな……あいつは「お前がオレの全てを奪った」とか言ってて……俺には全く心当たりが無くて」
「それもそうだけど、私が気になるのは、どうしてカズくんのことを一方的に知っていて、どうして全てを奪われた原因をカズくんだと決めつけたのか」
それにね、とユニの紅い瞳が一真を探るように見つめる。
「カズくんはソンバハルのことを知る前から、その武器……カタナのことを知ってたし、カトリアさんやラズベルさんでも知らなかったゴーレムのことを当たり前みたいに知ってて、今回の抗争だって、コテツマスターは暗殺されたんじゃなくてどこかで拘束されてるってことも言い当てたし……」
まるで未来をみているみたい、とユニは言う。
「ねぇ、カズくんって実は未来予知の魔術とか使えたりするの?」
「俺だって未来が見えているわけじゃないし、そもそも俺は魔力が全く無いんだ。これから何が起こるか知ってるなら、ソンバハルの抗争だって未然に防げたはずだろ」
少なくとも、一真は嘘はついていない。
ただ、ハイファンタジーに関する知識を前世の記憶から利用しているだけだ。
だが、前世の記憶などと言っても誰も信じないだろう。無論、ユニにもだ。
「それは、そうかもだけど。……なんか腑に落ちない」
むぅ、と不満そうに頬を膨らませるユニ。
「腑に落ちないって言われてもな……」
どう答えろって言うんだよ、と一真は苦笑する。
「(さすがにいつまでも誤魔化しきれないな。どこかのタイミングで明かさないといけないか)」
自分はこの世界の人間ではない、異世界からの人間だと言うことを。
しかし今はまだ時期尚早だろう。
果たしてそのタイミングとはいつになるか……と、思った時だった。
不意に馬車の足が止まり、外からスミレが声を張り上げた。
「敵襲です!数は三体、『リザードマン』です!」
「っと、おいでなすったか!」
敵襲と聞いて、一真は反射的にカタナブレードを手に取り、素早く立ち上がって馬車の幌から飛び出した。
敵は、暗緑色のトカゲのような見た目をしているが、ゴブリンやオークと同じように二本足で立ち歩き、人間から奪ったのだろう鉄製の剣や盾を持っている。
「わたしが撹乱します、カズマ様は馬車の守りを」
そう言うなり、短刀を両手にスミレがリザードマンの群れへと突撃し、他のコントラクターも続く。
一真はカタナブレードを構えつつも油断なく馬車の周囲を警戒する。エスターテと同じ、別働隊がいるかもしれないからだ。
警戒する一真の様子を、ユニは幌から覗く。
「(分からない……カズくんは何を思って、何を見ているの?)」
彼の目に、この大陸はどう映っているのか。
彼はこの大陸をどこまで知っているのか。
そして、彼の意中には誰がいるのか。
今のユニには、それを推し量ることは出来なかった。
程なくしてリザードマンの群れは討伐され、馬車は再びヘイムダルへと歩みを進めた。
と言うわけで十九章でした。
カズくんに迫ろうとして自爆したユニ、別れ際がカッコイイけど不穏なラズベル、なんだかちょっと怪しまれてる一真の3本でお送りしました。





