十八章 束の間の休息ってな。
一真達がソンバハルでディニアルと一戦交え、一晩を明かしてからヘイムダル経由でプリマヴェラへ帰還する予定としていた、その日の夜。
ベンチャーズギルド・プリマヴェラ支部にて、夜勤の受付嬢に業務を引き継いだ頃合いになって、ようやくカトリアは一日の仕事を終える。
「(すっかり遅くなった……)」
集会所を出て、すぐの場所にある『ハミングバード』の戸を開く。
ドアベルが来客を告げて、すぐにリーラが出迎えに来てくれる。
「いらっしゃいま……あっ、カトリアさん。こんばんは」
「こんばんはリーラさん。こんな夜遅くにごめんなさい、お食事をいただけますか?」
「大丈夫ですよ、ちょうどラストオーダーになりそうです」
お好きな席へどうぞー、とリーラに告げられて、カトリアはカウンターから近い席へ付く。
メニュー表を見て、少しだけ考えてから、すぐに注文する。
「サーモンムニエルと、サラダのセットでお願いします」
「サーモンムニエルとサラダセットですね、かしこまりましたーっ」
注文を承り、リーラはすぐさまカウンターの向こう側の厨房に立つ。
「ふー……」
カトリアはお冷やを一口つけて一息つき、注文を待つ。
そんな彼女の様子を盗み見ながらも調理に手を抜かないリーラは、
「(うーん、さすがはカトリアさん。ただのお冷やなのに、あの人が飲むとすっごく優雅に見えるから不思議……)」
リーラの視界というフィルター越しには、カトリアの周りがキラキラと輝き、白ユリの花が咲き誇っている。
理想の女性とはカトリア・ユスティーナのこと。
芸術的なまでに整い過ぎた顔立ち、サファイアの宝石と紛う蒼眼、黄金色の艷やかな髪、スラリとした四肢、凸部は素晴らしく、凹部は美しい。
容姿だけでなく、冷静沈着かつ柔らかな物腰、コントラクターとしても超一流、ギルドマスターに相応しいカリスマを秘めた、才色兼備の人物。
「(コントラクターやギルドマスターになるのは無理だけど、出来るだけこの人に近付きたいなぁ……)」
リーラがこのような憧れを抱くのは、至極当然のことだろう。
キラキラと輝き、白ユリの花が咲き誇っていると錯覚する……
が、
「(あぁ、今日も疲れた……早くお風呂を済ませて、カズマくんに買ってもらったデザートスライムのぬいぐるみをもふもふして、もふもふして、もふもふもふもふもふもふもふもふもふもふ……)」
実はこのように、純粋な欲望に満ち溢れているのだが。
もちろんカトリアはそんな自分の内面を、他人には絶対に見せたりはしない(一真にはうっかり見られたのだが)。
大陸の一角の長たる自分が、こんな幼児退行したような姿を見せて皆を失望させるわけにはいかない(その一真は驚きこそすれど失望したりはしなかったが)のだから。
当のリーラは、憧れのギルドマスターがぬいぐるみをもふもふすることしか考えてなかったりするのは知る由もなく、勝手に幻想を抱いている。
十数分の後に、サーモンムニエルとサラダのセットがカトリアの元に届けられる。
「はーい、サーモンムニエルとサラダセット、お待たせしましたーっ」
「ありがとうございます。……ふふっ、もう夜も遅いのに、リーラさんの元気な姿を見ていると、まだ頑張れそうな気がします」
「お褒めいただきありがとうございますっ。でもカトリアさん、ギルドのお仕事が大変そうなのは分かりますけど、無茶はしたらダメですよ?」
「大丈夫です。私も、休む時はちゃんと休みますので」
いただきます、とナイフとフォークを手に、サーモンムニエルを切り分けていく。
その所作ひとつひとつですら、優雅ささえある。
ふとリーラは、カトリアと向かい合うように座る。
「あの、カトリアさん。ちょっと、相談したいことがあると言いますか……」
「何でしょう?お答え出来る限りは、力になりましょう」
相談があると言われて、カトリアは一度食事の手を止める。
そのリーラの相談内容とは。
「その、ですね……カズマさんのことなんですが……」
「カズマくんが、どうかしましたか?」
「ちょっと前から、カズマさんのことを考えると、こう……胸がうずく?ソワソワすると言うか、ワクワクするような、よく分からなくて」
「…………」
「この間、わたしが体調を崩して寝込んでいた時に、カズマさんが来てくれて、頭をなでなでしてくれて、すっごく安心して、……安心し過ぎてうっかり寝ちゃったんですけど。そしたら、もっとカズマさんと一緒にいたくなって、いっそウチに泊まってくれれば、もっとお話しできるのになって思ったりして……」
リーラは、自分のワンピースの裾をぎゅっと掴む。
「や、やっぱり変ですよねこんなの。ごめんなさい、変な相談しちゃいました……」
慌てて席を立とうとするリーラだが、カトリアはそれを引き留めた。
「私はリーラさんではありませんから、カズマくんを見ている時のあなたに何が起きているのかは、測りかねますが……」
一度咳払いを挟んで言葉を選び直す。
「それなら、カズマくんをお呼びしてはいかがでしょうか。今日はハミングバードで泊まりませんか、と」
「えぇっ、きゅ、急にそんなこと言われましてもっ……そ、それに、そんなのカズマさんに迷惑じゃないですかっ」
目に見えて慌てふためくリーラ。
「そうでしょうか?意外と快諾してくれるかもしれませんよ?」
「そ、そうかもしれませんけどっ、わた、わたしの心の準備が出来てませんっ……」
「心の準備は三秒もあれば十分です。三、二、一、はい」
「むむ、無理です!三秒で心の準備なんて出来ませんっ」
ぶんぶんと首を左右に振り回すリーラに、カトリアは小さく微笑む。
「まぁ、魔物を相手にするわけではありませんから、心の準備はゆっくりでいいですが……明後日辺り、カズマくんとユニさんがソンバハルの遠征から帰ってきますので、その時に声をお掛けしてみるといいでしょう」
「は、はいっ、ありがとうございますっ」
リーラは今度はぶんぶんと首を縦に振る。
「お食事の時にすみません、ごゆっくりどうぞ」
席を立って一礼してから、リーラは後片付けのために再びカウンターの向こう側へ向かう。
「さて、程よく冷めたところで……」
カトリアは切り分けていたサーモンムニエルに手を伸ばした。
いただきます。
同じ頃、ソンバハル。
今晩をここで過ごすことになった一真、ユニ、ラズベルの三人は、東支部の町の宿の、要人等を饗すための最も高価な部屋を宛行われた。
一真やユニは、「普通の部屋でいい」と言ったものの、当のリュウガとコテツからは「ソンバハルの一大事を救った客人らに饗しひとつ出来んのでは、長としての沽券に障る」と返されて、されるがままになってしまった。
ラズベルは特に気後れすることはなく、彼女曰く「足元を見られているわけでもないのに、せっかくの厚意を素直に受け取っておかないのは逆に失礼よ」とのことらしいので、自然と受け入れていた。
そんなわけで一真は、だだっ広い畳張りの部屋へと入室する。ちなみにユニとラズベルはさらにもう一回り広い部屋をあてがわれたらしい。
「……なんだか修学旅行に来たみたいだ」
中学時代、修学旅行での宿泊先がこのように広い畳部屋を五、六人のグループで寝泊まりしたことを思い出す一真。
違う点があるとすれば、この部屋をたった一人で使うことになることだろうか。
荷物や武器は部屋の片隅に置いておき、ぼんやりと部屋の中を見渡してみて――
「……ん!?」
ふと見当たったものに目を見開き、駆け寄った。
分厚い箱の形で、一部の表面は黒い鏡のように反射し、アンテナのような突起物が生えたそれは……
「テレビ!?しかもブラウン管!?なんでこの世界にブラウン管テレビがあるんだ!?」
そう、一真が見つけたそれは、まさしくテレビだった。
しかも、前世の現代のような薄型テレビではなく、ブラウン管テレビのそれだ。
電気(雷属性魔術は除く)もガス(火属性魔術は除く)も水道(水属性魔術は除く)も無いハイファンタジー世界に、何故こんなものがあるのか。
「え、え、ちょっと待てよ、どう言うことだ?」
電波や放送はどこから来ているのかと一真は頭に疑問符を浮かべまくる。
試しに点けてみようと、一真はボタンらしきものに指を伸ばすが、
「……あれ、ボタンが押せない?」
押しても押しても、それは動かない。
他のボタンも同じだ。
よく見れば、コードの類いが一切ない。電源に繋がってないのだ。
つまり、このテレビは……
「…………ただのハリボテかいッ!!」
思わずテレビに向かってツッコんでしまった。
「……って、ハリボテかもしれないけど、テレビって存在を知ってるってことがそもそもおかしいよな?」
ソンバハルは、大陸の外からやって来た者達の意向が強く反映されているとは聞くが、テレビと言う存在をどうやって知ったのだろうか。
「(と言うことは、ホシズン大陸の外には、文明が進んだ大陸もあるってことか?)」
言い換えてみれば、この大陸は発展途上だと言うべきか。
テレビを客室に置いているのは、インテリアのようなものだろう。
点かないテレビを単なるインテリアとする……一真にしてみればあまりにも謎過ぎる。
「統一戦争を終わらせた人達って、どんな人達だったんだ……?」
およそ130年近くも前では、恐らく誰も存命してはいないだろう。コールドスリープなどで加齢を止めていれば話は変わるだろうが、前世の現代でもコールドスリープの解凍手段は確立されていない。
分からないことは分からないとして、一真は憶測をやめる。
風呂に入るか、と部屋に用意されているタオルや着物を取って、浴場へ向かった。
なんでも、自然の作りを活かした露天風呂なのだとか。
一真が部屋でブラウン管テレビ(ハリボテ)を発見し、驚愕してツッコミを入れていた頃。
彼よりも一足先に浴場(女湯)に訪れていたユニとラズベルは、
「……え、何ここ。お風呂なのに、ほんとに空が見える」
ユニは露天風呂と言う概念を知らないために現実感を失い、
「へぇ、露天風呂ってこう言うもんなのね」
ラズベルは普通に感心している。
「こんな高そうなお風呂を貸し切りって……いくらなんでも気前良すぎると思うんですけど」
「いいじゃないの、のんびりゆっくりいくらでも浸かっても良いってことでしょ」
お先ー、とラズベルはさっさと湯を掛けて湯槽に堂々と浸かる。
「っとと、左手で、っと……」
今のユニは利き手である右腕が使えないので、反対の左手を使って桶に湯を汲んで、身体に湯を掛けて、
「あっつぅぁっ!?ちょっちょっ、これ熱すぎない!?」
予想外の湯温の高さに驚いて尻餅をついてしまった。
「んー、そんなに熱い?あたしはこれくらいで丁度いいくらいだけど」
先程にも勢いよく湯を掛けてみせたように、ラズベルは平然としている。
「び、びっくりしたぁ、あつつ……」
そーっと足先から慎重に湯槽に足を伸ばしていくユニ。
「はふぅ……良い湯だけど、こんなのすぐに逆上せちゃう……」
「無理に長湯しなくていいわよー、あたしは今から一時間はここにいるから」
湯の熱さに四苦八苦しているユニに対し、ラズベルは余裕だ。
砂漠育ち故なのか、高温の場所に長時間いても平気らしい。
しかし、それよりも気になることがユニにはあった。
「むーーーーー……」
「……どこを見てるのか大体察しはつくけど、一応訊くわね。どしたの?」
ユニの視線の先には、湯槽の中で柔らかに揺蕩う、ラズベルの豊満極まる"ソレ"がある。
「ラズベルさんのが大きくて羨ましい限りですぅ……」
「分けられるもんなら、分けてあげたいけどねぇ」
「……ちょーっと今からサイズ持ってきますから、そのおっぱい根本から斬り落としていいですか?」
「ごめん、目がマジ過ぎて笑えないわ」
親の仇(ユニに親はいないが)を見据えるかのように黒々とした目を向けるユニに、ラズベルは湯槽の中で悪寒を覚える。
「……なんでそんなに大きくなるのかって話をしたいなら、「なるようになった」としか言えないわねぇ」
「やっぱりそうですよねぇ……」
はふん、と吐息で湯面を揺らすユニ。
「ユニちゃんのだって、小さいわけでもないっしょ?むしろ、あたしから見れば形はキレイな方だと思うし」
「大きさも形も兼ね備えた人に言われても、説得力ゼロですー……」
ユニは弱々しく口を尖らせてそっぽを向き、ラズベルは「あたしにどうしろと」と苦笑する。
ふと脱衣所と浴場を繋ぐドアが開けられ、そこからスミレが顔だけを見せた。
「……失礼します。お二人とも、お湯加減はいかがでしょうか?」
「あらスミレちゃん。あたしは丁度いいけど、ユニちゃんにはちょっと熱すぎるみたいでね」
出入り口の方を向いていたラズベルが先に反応する。
「あ、大丈夫大丈夫。浸かってたら、慣れてきたから」
ユニの方も上体を回してスミレの方を向く。
「それは何よりです。……で、では、失礼して……」
すると、スミレは一度顔を引っ込める。
湯浴み着を着込み、桶で胸の前を隠すようにおずおずと出てきた。
「スミレちゃんもお風呂?」
ユニがそう訊ねると、スミレは小さく頷く。
「コテツ様とリュウガ様から奨められまして……せ、せっかくなのでと思い……」
だが、
「…………うっ」
湯槽に近付いて、その足が止まった。
彼女の視線の先にいるのは、やはりと言うべきかラズベル(の胸)。
「ひ、一目見た時から大きいとは思っていましたが、これほどとは……ッ」
「うんうん、分かるよスミレちゃん。無い物ねだりって分かってても、割り切れないその気持ちが」
こっちで一緒に浸かろ、とユニが手招きする。
「は、はははい、失礼しま……あちあちゃあつあふっ」
スミレもそれに従って湯を掛けてから、ユニの隣につく。
「なーんか、あたしだけ疎外感を感じるわ」
仲間はずれにされたみたい、とラズベルは溜息を零す。
ふわりと風が吹けば、風に乗せられてきた紅葉が露天から舞い込んでくる。
「んー……夜空の下で紅葉を眺めながら、と……」
ラズベルは湯槽に落ちた紅葉を拾い、微笑む。
その優雅な様子を見ているユニとスミレと言えば。
「……今思ったんだけど、この露天風呂とラズベルさんの組み合わせって、最強?」
「お、大人の色気としてかくあるべき姿と振る舞いとは、このようなものであると、思い知る次第です……」
「「………………」」
すると二人は身を寄せ合い、もしょもしょと耳打ちを始める。
「なになに、やっぱりあたしは仲間はずれ?」
ラズベルが何を耳打ちし合っているのかと訊ねると、スミレが毅然とした態度で向き直った。
「ラズベル様、申し上げたいことがあります」
「急に改まれると緊張するわね……?」
一体何を申し上げられるのかとラズベルは身構える。
「……そ、その、ラズベル様の、お、おっぱ……む、胸を触らせていただきたいのですッ」
「ん?いいわよ」
「そ、即答!?よよ、よろしいのでしょうかっ」
「別に女の子同士なんだし、減るものでもないし、触るだけなら構わないわよ。あ、でもあんま強く揉むのはダメ」
改まって申し上げることにしては、随分と拍子抜けであった。
「でで、では、失礼して……」
スミレはその場から腰を浮かし、ラズベルの前に近付くと、恐る恐る、そーっとそーっと、その手を彼女の素晴らしい双丘へ乗せる。
ぽむ
「ふ、ふお、ふおぉぉぉぉぉ……ッ」
スミレはその感触に感動し、生の感情を吐き出す。
「スミレちゃんっ、ラズベルさんのお胸の感触はいかがでしょうかっ!?」
ユニがスミレの背中に問い掛けた。
「こ、これは……この、形容し難き柔らかさ……、この姿、形となった、女性としての究極形……スミレ・サイオンジ、感服致しました……ッ」
その答えとして、歓喜に打ち震えるスミレ。
だが、それはラズベルの『甘い罠』でしかなく、スミレはそれに終ぞ気付くことなく、その罠を踏み抜いてしまった。
「さて、スミレちゃん」
「は、はいッ」
途端、ラズベルの眼差しが、獲物を捕捉した狩人のものになり、唇が邪悪な弧を描く。
「触るということは……触られる覚悟があると言うことよね?」
「え……その、それはつまり……」
残念ながら、もはやスミレに逃れる術はない。
次の瞬間、ラズベルはスミレに足払いを掛け、足を取られたスミレの身体を180度回転させ――
「ぴえんッ!?」
背中からわしり、とスミレの発展途上中の"ソレ"を掌握する。
「当然、こうなることも予想していたわけでしょ?」
「は、は、謀りましたね!?ふっ、ふぁんっ!?あっ、そんなっ、やぁんっ!ダメ、です、ぅっ!」
そんな様子を端から見ているユニは、
「あー、あー、私、身体洗おっかなー……」
巻き込まれる前に、ラズベルから逃げるように湯槽から出た。
「ユ、ユニ様の裏切り者ぉッ!……んっ、はぁっ、ひぁっ!お、お、お嫁に行けなくなっちゃいま、いやぁっ!?」
スミレは敵前逃亡(?)をするユニを怨めしく罵るが、そうしている間にもラズベルの魔の手による侵触は続く。
「えぇのんか?えぇのんか?お嬢ちゃんここがえぇんのんか?ん?初い奴やのぅ」
「イーーーーーーーーーーヤーーーーーーーーーー!!!!!」
露天の浴場に、スミレの悲鳴が木霊した。
この露天風呂は男女別に分かれている。
つまり隣の男湯にも、音声だけとはいえこのやり取りは丸聞こえである。
「…………………………ッッッッッ」
スミレが女湯に入って来たのとほぼ同じ頃に、男湯に来た一真はと言うと、ラズベルの胸に関する話題と、そのラズベルからの反撃(?)を受けるスミレの矯声が聞こえてくるせいで、理性やその他諸々がまずいことになっている。
「(平常心平常心平常心平常心平常心…………サインコサインタンジェントサインコサインタンジェントサインコサインタンジェントサインコサインタンジェントサインコサインタンジェント…………)」
湯槽の中で必死に数式を頭の中で唱えながら自制する。
男湯に他に誰もいないから良かったものの、そうでなければ微妙に白い目で見られていたかもしれない。
と言うわけで十八章でした。
リーラちゃんの恋愛(?)相談、ハイファンタジー世界の中に何故かテレビの存在、惜しげもないサービスシーンの3本でキメました。





