第7話 「何でもする」って言いましたよね
町長の話を要約すると、アルハンゲリスクの前総督は、本来の報酬以外に、賄賂を取り、横領を行って財産をためこんでいたらしい。
もともと貧しいアルハンゲリスクの住民は、そのせいでかなり苦しんだという。
本来の税だけでも重税なのに、その上さらに強欲な総督に金を出さないととなれば、その負担は大きなものだったと思う。
「しかし、それは済んだことですから、良いのです。問題は……聖王の鉄王冠です」
町長は暗い顔で言う。
このアルハンゲリスクには、それなりに大きな修道院がある。もともと、港ができる前は、町の中心は修道院だった。
その修道院に伝わる秘宝が、聖王の鉄王冠だ。
この王冠は、数百年前、ルーシに教会の教えを普及させた聖王のもので、街の象徴とも呼べるぐらい貴重なものだった。
……というのは、本を読んで知ったこと。予習してきてよかったと思う。
「前総督閣下は、この王冠を奪い、王都に持ち帰ろうとしています。しかし、あれは……この街の象徴です。衰退する町の最後の希望なのです。ですから……殿下のお力で取り戻していただきたいのです」
町長の言葉に、わたしと殿下は顔を見合わせた。
たしかに町長の言う通りなら、大問題だ。裏を取る必要はあるけれど、官僚として許されることではない。
引き継ぎのために、まだ前総督はこの町にいる。事実を明らかにして、対応することが必要だ。
「わかった。王子として、この町の領主として、善処すると約束しよう」
迷わずそう言い切る殿下の姿は……ちょっとかっこよかった。さすが本物の王子様だと思う。
「……ありがとうございます」
ほっとしたように、町長はうなずいた。
☆
わたしと殿下は、町や村、修道院の人たちの話を聞いて、町長さんの言う通りだと確認した。
その後、前総督が執務に使っていた建物に立ち入り、帳簿や倉庫の品を見てみることにする。
幸い前総督は不在のようだ。総督が普段生活している屋敷は、町の反対側にある。
殿下が建物の入口で身分を明かして、「アルハンゲリスク統治に関する引き継ぎのため」と言えば、守衛の人はすんなりと通してくれた。
広いけれど埃っぽい倉庫のなかで、わたしはぱらぱらと帳簿をめくり、現物と突き合わせた。
たしかに、おかしい。
「こんなに財産がないはずはないと思います」
「アリサの言うとおりだ」
殿下は、倉庫の品々を調べながら、わたしの言葉に答えた。
今でこそアルハンゲリスクは貧しい街だ。
でも、かつてアルハンゲリスクは豊かだった。その時代の宝石や武器が、帳簿上でごっそり持ち出されていたり、逆にあるはずものが倉庫になかったりする。
総督が横領を行っていたというのは、本当だと思う。殿下は少し離れた場所で、賄賂の受け取りを調べているみたいだった。
帳簿上には記録されていないのに、倉庫の隅に固めて置いてある宝石もあり、これは総督が私的に町から巻き上げたものらしい。
わたしは別の帳簿を見てみようと思い立った。そして、倉庫の壁の棚を見上げる。
その帳簿は、少し高い位置にあるけれど、いかにも怪しそうだった。
……背を伸ばせば、小柄なわたしでも届くよね?
わたしはつま先立ちになり、帳簿をとろうと棚に指をかけ……そして、失敗した。
足元に箱があることに気づかないまま、足を取られ、体勢を崩して、後ろ向きに倒れてしまったのだ。
狭い倉庫は目の前も棚なら、背後も棚だ。しかも後ろの棚には、重い鉄でできた武器や鎧が並べてあって……。
このままわたしが倒れれば、背後の棚にぶつかって、きっと重い鉄の武器が、倒れたわたしの頭上に落ちてくる。
そうしたら、死んじゃうかも……。わたしは自分のドジを呪った。
こんなところで死ぬのは、あまりにも恥ずかしい……。まだ殿下のお役にまったく立てていないのに。
それと同時に、もしわたしが死んだら、殿下は悲しんでくれるんだろうか……なんてことも思う。
そんな考えが一瞬のうちに脳裏をよぎり――そして、わたしは背後から抱きとめられた。
「え?」
安心感のある大きな手と体に包まれ、わたしはびっくりする。
背後から、声がした。
「大丈夫? アリサ?」
殿下の柔らかい声に、わたしはほっとする。
倒れかけたわたしを、殿下が抱きとめてくれたみたいだ。
「あ、ありがとうございます」
こ、怖かった……。そして、死ななくて良かった……。
まだ震えが止まらない。
こんなつまらないことで死んだら、殿下に合わせる顔がない。
それもこれも殿下のおかげだ。
と、殿下のことを考えて、わたしは重大なことに気づいた。
……わたし、初めて殿下に抱きしめられている!
背後から軽く抱きしめられているだけとはいえ、恋人っぽく見えなくもない。
「あ、あの……その……殿下……」
わたしはたぶん、また顔が真っ赤になっている。すぐ恥ずかしいという感情が表に出てしまうのは、気弱なわたしの悪い癖だ。
大怪我をしそうになり怖かった、という感情は消えて、わたしは殿下に抱きしめられている恥ずかしさで一杯になった。
わたしが上目遣いに殿下を見ると、殿下ははっとした顔をして、今の状況に気づいたようだった。
そして、みるみる頬を赤く染めると、わたしから慌てて離れた。自分のことは棚に上げてになるけれど、わたしは、殿下が頬を赤くするのを見るのが好きだった。
可愛い、なんていうと失礼かもしれないけれど、殿下の顔を赤くさせている原因がわたしだと思うと、少し嬉しい。
でも、もっと抱きしめてくれていても良かったのに。わたしは、殿下の手の温かさを思い出す。
それでも、これまでキスはもちろん、ハグもしたことはなかったから一歩前進だ。
殿下は照れ隠しのように咳払いをする。
「高いところの物をとるなら、言ってくれれば俺がやったのに」
たしかに、無理して一人で帳簿をとろうとするべきじゃなかった。
不注意でわたしは大怪我をしかねないところだった。殿下がいなければ、きっと大変なことになっていたと思う。
「すみません。お役に立つつもりが、ご迷惑をおかけしてしまいました」
わたしがうつむいてそう言うと、殿下は慌てて首を横に振った。
「責めているわけじゃないよ。アリサは熱心に調べてくれているし、観察も鋭いし、迷惑どころかすごく心強い。アリサがいてくれてよかったよ」
殿下の言葉に、わたしは目を大きく見開き、そして頬が緩むのを感じた。
良かった。殿下の役に立てているんだ。
殿下はわたしのことを必要としてくれている。そのことを改めて言葉で聞くことができて、わたしはとても嬉しかった。
殿下は微笑み、わたしを見つめる。
「でもね……俺を頼ってくれても良かったのに、ってちょっと俺は拗ねたんだよ。背が高い俺を使ってくれれば、アリサが怪我しそうになることもなかったし」
「で、殿下を使うだなんて……そんな恐れ多いこと……」
「そんなことは気にしないでいいよ。ここでは、俺は領地も領民も家臣も少ない、ただの辺境伯だ。それよりも、俺はアリサが怪我をするほうがよっぽど怖いし、アリサが喜んでくれることが第一だから」
「えっと……その……ありがとうございます」
「だから、アリサが必要とすること、してほしいことがあったらいつでも言ってよ。何でもするから」
殿下はそう言って、青い宝石のような瞳で、わたしを優しく見つめた。
ああ……この人は、本当に優しい人だな、と思う。そして、わたしがその優しさを受け入れることを望んでいる。
殿下は、「何でもする」と言った。
それなら、少しだけ、わがままなお願いをしても、いいのかもしれない。
「あの、殿下……お願いがあるんです」
「なに?」
殿下は目を輝かせ、わくわくといった感じで、わたしの言葉を待った。
わたしはためらいがちに、目をそらしながら言う。
「さっきみたいに……少しだけ抱きしめてくださいませんか?」
「え?」
「あの……殿下に抱きしめられると、安心できて……心地よいんです。……ダメ、ですか?」
わたしはありったけの勇気を出して言ってみた。わたしは臆病者だ。だから、殿下が「何でもする」なんて言わなければ、わたしもこんなことを口にしなかったと思う。
殿下はみるみる顔をふたたび真っ赤にして、そしてためらい、迷うようにわたしを見た。
「だ、ダメならいいんです! こんなときに変なお願いをしてしまってすみません……!」
わたしは慌てて言葉を加える。やっぱり、変なことを口走ってしまった。殿下にはしたないと思われていたら、どうしよう?
けれど、殿下は黙って首を横に振った。そして澄んだ青い瞳で、わたしを見下ろす。
わたしはどきりとして、思わず一歩後ろに下がり、壁にぶつかった。
それに合わせて、殿下が一歩わたしの方へと踏み込み、わたしは壁際に追い詰められる。逃げることはできない。
殿下は……わたしの願いを聞いてくれるつもりのようだった。
わたしは急に恥ずかしくなってきた。でも、もう遅い。
さっきと同じように背後から抱きしめられるものと思っていたけど、よく考えたら、普通はハグは正面からする。
殿下もそのつもりなんだ。
殿下は顔を赤くしていたけれど、その目はいつになく真剣な色を帯びていた。
「アリサが良いと言ったんだよ」
「はい……」
殿下が、わたしの体に向かって手をのばす。
心臓が痛いほど、どきどきする。そして、わたしは次の瞬間のことを思い……そっと目をつぶった。
<あとがき>
あと1,2話程度で、第一章は完結するはずです。次章はアリサと殿下の関係も進展&妹エレナも登場予定……!