第8話 キス
タオル越しにアレク様の体の温かさが伝わってくる。
「あ、アリサ!? そ、それはまずいんじゃ……」
アレク様が顔を赤くして、うろたえている。わ、わたしだって恥ずかしいのだけれど……。
でも、何も問題ない。
「わたしたち、婚約者同士ですから」
「そ、そうだけど……」
「アレク様がわたしに借りがあるというなら、それを返してください。わたしに寂しい思いをさせたというなら、これからは寂しい思いをさせないようにしてください。わたしが望むのはそれだけです。わたしのそばにいることが、アレク様がわたしに借りを返すことになるんです」
「でも、俺にはアリサの隣にいる資格なんて……」
「わたしは……アレク様がわたしを選んでくれたことを本当に嬉しく思っているんです。だから、いなくなったりなんかしないでください。わたしは……一人では何もできないんです。アレク様がいるから、アレク様のためだから、わたしは苦しいときも戦えたんです。一人だったら……」
もしわたしがアレク様の立場で、一人でアルハンゲリスクの統治を任されていたと仮定する。もしそうだったら、早々にわたしは破滅していたと思う。前総督を倒すこともできず、ホルモゴルイの子爵領で罠にかけられ、スターリングの商人たちからは港を取り上げられていたと思う。
そうならなかったのは、わたしたちが一人でなかったからだ。わたし一人で上手く対処できたかといえば、そんなことない。
問題に対処するための勇気をくれたのは、アレク様なんだから!
「でも……」
アレク様はまだためらっているようだったので、わたしは体を密着させたままアレク様の耳元にささやく。
「アレク様がこの土地を離れるというなら、わたしは追いかけていきますから」
「お、追いかけるって外国に行くつもりなんだけど……」
「地の果てでも追っていきますよ。だいたい、最初はアレク様との結婚をお父様たちが認めてくれなかったら、二人で亡命する約束だったじゃないですか」
アレク様が土下座したとき、わたしはいざとなったら駆け落ちでもしましょうと提案していた。
それなのにアルハンゲリスクの事情を優先して、アレク様とわたしが離れ離れになる理屈はない。アレク様には……もっと自分を信じて欲しい。わたしはアレク様がいないとダメなんだから。
それでもためらうアレク様の首筋にわたしはそっと手を回す。
こういう体勢になると、さらにアレク様との密着度を高くなる。今までのわたしだったら考えられないほどの大胆さだけれど……アレク様を引き止めるためなら、わたしはなんだってする!
「女の子にここまでさせておいて、アレク様は逃げる気ですか? アルハンゲリスクの立派な領主になれるのはアレク様だけです。わたしではありません。それに、わたしの夫になれるのも……アレク様だけなんですから」
わたしの言葉にアレク様は照れたように顔をそむけた。そして次の瞬間、決意したように、わたしにそっと身を寄せる。
「……へ?」
アレク様の唇がそっとわたしの唇に触れた。
キスされた、ということをわたしは理解して……そして、頬が火が出るほど熱くなるのを感じる。反射的にわたしが身をよじるけれど、アレク様にぎゅっと抱きすくめられてしまう。
アレク様の力強い手がわたしを抱きしめて……その手はとても柔らかくて暖かかった。
やがてアレク様がそっとわたしの体を離す。
「ごめん。……俺がいないほうが、本当はアリサのためになるんじゃないかってずっと思っていたんだ。だから、アルハンゲリスクから逃げるだなんて言った。でも、俺がするべきなのは逃げることじゃないんだ。アリサを幸せにすることが俺の唯一の願いなのに、そこからも逃げようとしていた」
「今は、もう逃げるつもりはないんですか?」
アレク様はうなずき、そして頬を赤らめて目を伏せる。
「キスもしてしまったし」
「く、口に出して言わないでください。恥ずかしいですから……」
「なら――」
アレク様はふたたびそっとわたしに身を寄せ……そして、わたしに口づけをした。
問題は山積みだ。アルハンゲリスクの発展はこれからだし、ミハイル殿下の一派からの妨害もますます激しくなると思う。
けれど。
アレク様がいれば、きっと乗り越えられる。
わたしは……そう確信していた。
†
ルーシ王国の王都。
その王城の「琥珀の間」に、第二王子ミハイルはいた。たった一人、奥の執務席に腰掛け、考え事にふけっていたのだ。
琥珀の間は、すべての装飾が琥珀で作られた豪華な部屋だ。家臣が王太子の謁見を受けるための広間である。もちろん王太子はミハイルだから、ミハイルこそがこの空間の所有者だった。
ミハイルは兄のアレクのことが好きだった。誰にでも優しく、聡明なアレクは、ミハイルにとって唯一対等に気を許せる友人でもあった。
王族であるという光栄と苦悩。それを共有できるのは、アレクだけだった。
だが、兄から王太子の地位を奪ったことをミハイルは後悔していない。なぜなら、それが必要なことだったと確信しているからだ。
貧しい後進国のルーシを導くことができるのは、兄のアレクではない。
アレクは優しすぎる。
そして、アレクは優秀だがミハイルには及ばないのだった。これが自惚れではなく客観的な事実だからこそ、先例を破ってミハイルが王太子の地位についたのだ。
心が傷まないといえば嘘になる。できれば、ずっと良き兄弟、良き友人のままでいたかった。
だが……もしアレクがミハイルの敵となるなら、そのときは――。
排除することもためらわないだろう。
「大丈夫。僕ならできる」
ミハイルはそうつぶやくと、決然と立ち上がった。
これにて第一部完結ですっ!
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