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第10話 答は決めていた

この話で、本章は完結です!


 愛妾。つまり愛人、妾。王侯貴族に仕える、正妻以外の女性。


 リバルシ大公クヌート殿下は、わたしに愛妾になれと言った。

 理解が追いつかないけれど、それが取引の条件らしい。


 フェリックス君が顔色を変えて、口を開きかけたけど、わたしはそれを手で制する。


「殿下……どういう意味でしょうか?」


「言葉通りの意味です。アリサ殿にはこのリバルシの地にとどまり、わたしの愛人となってもらいます。そうすれば、アルハンゲリスクとの木材貿易と資金の貸付を認めますよ」


「そ、そんな……わ、わたしはアレク様の婚約者です!」


「ですから、婚約は破棄すればよろしい」


 クヌート殿下は、急に冷たい声になった。さっきまでの優しげな表情は嘘のように消えている。

 美形の顔に、怖い表情が浮かぶととても恐ろしい。


 わたしはなんとか声を振り絞る。


「そ、そういうわけにはいきません。それに……なぜわたしを?」


「ルーシの名門公爵の娘を妾としたとあれば、私の地位も上がるというもの。しかも元王太子殿下の婚約者。利用価値はいくらでもある」


 それはクヌート殿下の都合のみの、勝手な言い分だった。


 正妻であればともかく、わたしの身分を考慮すれば、たとえ大公殿下の相手とはいえ、愛人になるなどありえない。


 ルーシにせよ、ニーノルスクにせよ、愛人に正式な地位を教会は認めてくれない。わたしがクヌート殿下の愛妾になるということは、平民に身を落とすも同然だ。


 フェリックス君が一歩前に進み出る。険しい表情で、フェリックス君はクヌート殿下を睨みつけていた。


「たとえ大公殿下とあっても、無礼ではありませんか! アリサ様は、ルーシ第一王子アレクサンドル殿下の婚約者にして、チャイコフスキー公爵家のご令嬢。そのような高貴な女性に愛妾になれなど、非礼の極みです!」


「非礼? 私は取引をしているんです。スターリング連合王国からの借金で首が回らないんでしょう?」


 わたしは息を呑んだ。そのことは交渉が不利にならないように、秘密にしていたはずなのに。

 クヌート殿下の翡翠色の瞳が光る。


「小国とはいえ、情報収集能力で負けているつもりはありません。我々には議会直属の情報機関もあるのですから。さて、そのような不利な条件で、あなた方に何ができます?」


「それは……」


「アリサ殿は、美しく高貴な、しかしただの小娘にすぎない。チャイコフスキー公爵家の威光も、王族の婚約者の権威も、このニーノルスク共和国では通用しません。あなた一人では何の力もないんですよ。ただ、私にとっては、あなたは、かつて手の届かなかった魅力的な女性だ」


「だから、無力なわたしがクヌート殿下に身を差し出せば……アレク様やアルハンゲリスクは助かるということですね?」


「そのとおりです。賢明な判断を期待しますよ」


 クヌート殿下は冷酷な表情を崩し、優しげな微笑みを浮かべた。

 さっきまでの優しい態度と、今の無礼で冷酷な態度。どちらが本当のクヌート殿下なのだろう?


 仮面をかぶっていただけなのか、それとも……。


 わたしは考えた。

 たしかにクヌート殿下の提案を受け入れれば、アルハンゲリスクは救われる。アレク様も、領主を続けることができると思う。


 わたしもクヌート殿下の愛妾になっても、そうひどい生活が待っているとは思えない。

 

 高い身分はなくなるけれど、一応、ニーノルスクの三大貴族の保護下に置かれるわけで、一生裕福な暮らしは保証されていると思う。

 

 合理的に考えれば、ここで提案を飲むことはありうる選択だ。わたしが犠牲になれば、みんなを救える。


 でも……。


「あ、アリサ様……」


 フェリックス君がわたしのドレスの袖をつまむ。不安そうに、フェリックス君は上目遣いにわたしを見つめた。


 わたしは微笑む。


「安心して、フェリックス君」


 わたしはぽんぽんとフェリックス君の頭を撫でると、フェリックス君は赤面したけれど、「はい」と小声でうなずいた。


 わたしはクヌート殿下に向き直る。ほぼ同時にクヌート殿下が机を離れ、わたしの方へと近づいてきた。


 そして、彼はわたしの正面に立つ。長身のクヌート殿下とわたしとでは、頭一つ分以上の差があるから、見下される形になった。


 次の瞬間には、クヌート殿下の細い手がわたしに伸ばされる。

 そして、わたしの顎に手を添え、くいっと強引に引いた。無理やり、クヌート殿下の翡翠色の瞳を見つめさせられる形になる。

 

 わたしは頬が熱くなるのを感じた。恥ずかしさと怒りからだ。


「……放してください!」


「ダメですね。無力なアリサ殿は、もう私のものになる以外の選択肢はないのですから」


 そう。わたしは無力だ。

 立場を取り去れば、アレク様がいなければ、ただの何の力もない少女に過ぎない。


 学園にいたときも、わたしには何もなかった。

 でも、今は違う。


 もう答は決めていた。


「クヌート殿下……せっかくのご提案ですが、お断りします」


 わたしは殿下の手を振り払った。そして、まっすぐに、きつく相手を睨みつける。

 クヌート殿下は、無機質な翡翠色の瞳でわたしを見下ろす。


「アレクサンドル殿下が、アルハンゲリスクがどうなっても良いのですか?」


「わたしはアルハンゲリスク辺境伯夫人……辺境伯の未来の妻として、この交渉に赴いています。それがわたしをこの場に赴かせ、わたしという存在を正当化している理由です。それなのに、どうして、クヌート殿下の愛妾となることができるでしょうか?」


「だが、アルハンゲリスクは……」


「別の方法を探します。それでも、わたしたちがアルハンゲリスクの領主でいられることができないなら、外国に亡命するまでです。わたしの最大の望みは……アレク様のそばにいることなのですから」


 クヌート殿下は黙って、わたしの言葉を聞いていた。

 わたしはフェリックス君に目で合図すると、部屋から出ることにする。もう、ここには用はない。


 交渉は決裂だ。


 あるいは、クヌート殿下が、言葉を翻す可能性もある。ニーノルスクに有利な提案であることには間違いないし、わたしの身柄を条件から外して、交渉の席にふたたびつくかもしれない。


 数日は、ニーノルスクの宿で様子を見ても良いと思う。

 もしそれでダメなら……困難だとしても、他の手段を探そう。


 そう考えてわたしたちが部屋を退出しようとしたとき、従者の二人の男性が行く手を阻む。


 クヌート殿下が手振りで指示したようだった。

 まずい。


 このまま、強引に拘束されるという可能性もある。もちろんそんなことをすれば外交問題だけれど、わたしたちの立場は弱い。


 たとえばクヌート殿下がルーシの第二王子派と連携をとれば、わたしはこのままクヌート殿下の妾とされ、アレク様は領地を失うという最悪の展開もありうる。


 背後からクヌート殿下に手をつかまれる。

 ああ、やっぱり……。わたしは絶望的な気持ちになったけれど、最後まで諦めるわけにはいかない。


「いやっ、放して!」


 わたしが全力で抵抗しようとすると、クヌート殿下は急に慌てた表情になった。

 そして、突然、わたしの前にひざまずいた。


「え?」


 クヌート殿下は、うやうやしくわたしの前に頭を垂れ、わたしの手にキスをした。

 わたしは硬直し、それから混乱した。き、キスされた? フェリックス君もぎょっとした顔をしている。


 殿下は顔を上げると、申し訳無さそうにわたしを見つめる。その表情は最初の穏やかなものに戻っていた。


「どうかこれまでの非礼をお許しください。アリサ殿を試すような真似をしたこと、誠に申し訳ありません」


「ど、どういうことですか?」


「愛妾になれと申し上げたのは、これはアリサ殿の決意のほどを試したのです。あなたが評判通りの聡明で気高い方か知ることが目的でした」


「え、えっと……結果は?」


 クヌート殿下は立ち上がり、にっこりと笑った。


「もちろん、アリサ殿はわたしの思ったとおりの素晴らしい方でした」


「そ、そんなことはないと思いますが」


 クヌート殿下は首を横に振った。


「アリサ殿は勇気と決断力のあるお方です。はじめに言ったとおり、木材輸出貿易と資金提供の件、喜んで協力しましょう」


「あのー、わたしがクヌート殿下の愛妾になるという件は……?」


「もちろんなしですよ。アリサ殿が首を縦に振っていたら、そのとおりにしていたかもしれませんが」


 背筋が冷たくなる。危なかった。

 クヌート殿下の言う通りにしなくて良かったと思う。いちばん大事なことを見失わずに済んだ。


 クヌート殿下は、書類に金の印章を手に取ると、それを一枚の書類にぽんと押した。

 リバルシ大公家の紋章ヒースの印が、朱色で書類に現れる。


 内容は、新たな貿易と資金提供について、基本的に同意するという内容を認めたものだった。

 また、細部は覚書を別途作って詰めることになるけれど、ともかく交渉は成立した。


 これで、アルハンゲリスクは救われ、アレク様は辺境伯を続けられる。わたしもアレク様と離れ離れにならずに済む。


 すべて解決だ。


 わたしは安堵のあまり、その場に座り込みたくなったけれど、我慢する。


 最後まで、クヌート殿下に対しては、立派な貴族として振る舞わないといけない。

 わたしは……未来のアルハンゲリスク辺境伯夫人なのだから。


 クヌート殿下は、わたしたちが辞去する際に、ふといたずらを思いついたような子供っぽい表情を浮かべた。


「アリサ殿……将来、もしアレクサンドル殿下があなたにふさわしくないと思うことがあれば、いつでも私の元にいらしてください。歓迎しますよ」


「それは愛妾になれということですか?」


「いいえ。私の……リバルシ大公の正妻としてお迎えいたします」


 クヌート殿下は、楽しそうに翡翠色の美しい瞳を輝かせた。


 わたしはこの言葉を冗談だと思った。それに、わたしがアレク様を「ふさわしくない」だなんて思うこともありえない。


 すべては順調に見えた。

 そう。アルハンゲリスクに帰るまでは。


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[一言] 4章最終話の文字を見たのでこの展開は予想通り!(笑) 一国の長が摂る態度では無かったですからねぇ… 4章お疲れ様でした! 次章お待ちしております!
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