第5話 一人でできるの?
わたしが考えたのは、ニーノルスク共和国から資金援助を受けるということだった。
ニーノルスク共和国は、アルハンゲリスクと北海を挟んで対岸にある小国だ。
アルハンゲリスクの港からはルーシの穀物を輸出し、代わりにニーノルスクの魚介類を輸入するという小規模な貿易を行っていた。
西方の強国であるスターリング連合王国に比べれば、ニーノルスクは小さな国だ。
けれど、決して貧しい国じゃない。
貴族が議会を作り、優れた政治を行っている国だと評判だ。
実際、小さいながらに各国との中継貿易で栄えていて、富を蓄積している。
そのニーノルスクに、アルハンゲリスクの林業資源を売り込めばいい。
昔はニーノルスクにも豊かな針葉樹林があったらしい。けれど、今は乱伐で枯渇している。
王立学園の図書室で読んだ本に書いてあった。
それなら、貿易の盛んなニーノルスクなら、船材としての木材は絶対に必要とされているはずだ。
その輸出を見返りに、スターリング連合王国への借金返済の資金を借りよう。
わたしは頭のなかで計画を思い浮かべた。
大丈夫。アレク様と一緒なら、きっと乗り切れる。
二人で一緒にニーノルスクへ交渉に行こう。
ところが、スターリングの商人クライヴは、にやりと笑った。
「まあ、二ヶ月以内に金を集めてくるなど無理だと思いますが、せいぜい頑張ってください。ですが、アレクサンドル殿下には、この屋敷から離れないようにしていただきますよ」
「え?」
わたしはきょとんとしてしまった。アレク様はこの屋敷から離れられない?
「借金の債務者が行方不明になったり、あるいは反故にするために軍を集めて反撃に出られては困りますからね。契約書上もそうなっているでしょう?」
言われてみれば、そうだった。
ということは……事態を解決するために、アレク様は動けない。
つまり、わたし一人で……すべて解決しないといけないってこと?
わたしは自分の顔がさあっと青くなるのを感じた。
これまでわたしたちが困難を乗り越えてこれたのは、二人だったからだ。
ううん、アレク様がいてくれたから……気弱なわたしは勇気を持つことができた。
でも、今回は違う。
どうしよう……?
わたしは途方に暮れてしまった。
☆
ともかく、二ヶ月のあいだに問題を解決しないといけない。
クライヴたち商人が帰った後、わたしとアレク様は二人で寝室に戻った。
わたしはわたしで思い悩んでいたけれど、アレク様はもっと落ち込んでいるようだった。
クライヴたちのいる前で、ニーノルスクへ行く計画を話せなかったせいでもある。
「俺は……愚かだ。こんなことになるなんて……」
「アレク様のせいではありません。悪いのは……卑怯なクライヴさんたちと、第二王子派です」
「そうだとしても、もう絶体絶命だ。アリサに苦労してここまで来てもらったのに、これで領地を奪われてしまえば、もうアリサとは一緒にはいられない」
アルハンゲリスク辺境伯の身分すら失えば、アレク様の居場所は王国のなかのどこにもなくなる。
そうなれば、わたしがアレク様の妃となることもできないし、婚約を解消しないといけない。
けれど……。
「もしそうなったら、一緒に外国に亡命しましょう」
アレク様が青い綺麗な目を見開く。
「でも、そうなれば、もうルーシに戻ることはできない。それでいいの?」
「はい。アレク様のいるところにいるのが、わたしの幸せですから」
妹のエレナたちに会えなくなるのは、寂しいけれど。
それでも、わたしにとって、アレク様より大事なものはない。
アレク様は嬉しそうに微笑むと、わたしの手を握った。
「ありがとう……。アリサがそう言ってくれれば……たとえどんなところへ行っても平気な気がする」
わたしも微笑み返してうなずいた。
そう。わたしも同じ気持ちだ。いざとなったら亡命してでもアレク様と一緒にいよう。
でも、一番良いのはアルハンゲリスクの領地にとどまってアレク様が領主でいられて、わたしがそれを支えられることだ。
そのためには……。
わたしはニーノルスクに協力を求める計画を、アレク様に話した。
アレク様は驚いた様子で、わたしの話に聞き入ってくれた。
そして、一通り聞き終わると、心から感心したという様子で、わたしをサファイアのような瞳で見つめた。
そんなふうにまっすぐ見つめられると、照れてしまう。
「さすがアリサ。その手があったね。言われてみれば実現可能性の高い案なのに、思いつかなかった」
「いえ、大したことでは……」
「いや、これで希望が見えてきたような気がする」
さっきまでとは打って変わり、アレク様の顔には生き生きとした色が蘇った。
でも、問題がある。
「あのー、アレク様」
「なに?」
「アレク様はこのお屋敷から出られませんよね?」
アレク様とわたしは顔を見合わせた。
結局、わたし一人でなんとかしないといけない。
でも、わたしが? 一人で?
ちょっと前まで学園で、一人ぼっちの生活を送っていたわたしが……ニーノルスクの貴族を相手に、交渉して資金を勝ち取らないといけない。
もちろん、誰か補佐役をつけることはできると思う。例えば、領地経営を手伝ってくれているバラキレフさんだ。
それでも、交渉は身分が同じ者同士で行わないといけない。
アルハンゲリスク辺境伯の代理を務められるのは、その婚約者のわたしだけだ。
「わたしにできるのでしょうか?」
わたしは、アレク様に短く問いかけた。