第3話 連合王国
ほ、ほんとに……アレク様がわたしに頬ずりするの!?
アレク様はその手をわたしの肩から離し、頬へとそっと動かした。
ぎゅっとアレク様の大きな手のひらが、わたしの頬を挟む。
わたしはじっとアレク様を見つめ返すと、アレク様もサファイアのような瞳でわたしを見つめ返した。
「アリサの頬は……柔らかいな」
そういうふうに言葉で言われると、少し恥ずかしい。
そして、わたしの頬を手のひらで優しく撫でる。
わたしはびくっと震えた。このあと抱きしめられて、頬をすりすりされると思うと……。
恥ずかしい!
けれど、アレク様は顔を赤くして、そのまま動かなかった。
そして、首を横に振る。
「やっぱりやめておこう」
あ、あれ?
わたしは慌てた。なにか、わたしの態度に問題があっただろうか? 緊張はしていたけれど、キスのときほどじゃないし……。
エレナがからかうように口をはさむ。
「やっぱり恥ずかしくなっちゃいました?」
アレク様は微笑んで、首を横に振った。
「まあ、それもある。けど、よく考えたら頬ずりはちょっと違うなと思って。俺はアリサの婚約者で、アリサも俺の婚約者だ。同い年で、対等の立場の相手に、頬ずりするのは、おかしいからね」
そう言って、アレク様は、エレナとフェリックス君を見て、くすっと笑った。
エレナはまだフェリックス君を抱きしめて、頬をすりすりしている。エレナは末っ子だし、年下で小柄なフェリックス君のことが、弟みたいで可愛いのだろう
そんな二人の関係と、わたしとアレク様の関係はもちろん違う。たしかに……頬ずりはちょっと変だ。
フェリックス君がエレナに抱きしめられて、あっぷあっぷとしながら、言う。
「それは正論ですが、そんなこと気にせずにイチャつけばよかったのに」
わたしとアレク様は顔を見合わせた。そして、互いを見つめて顔を赤くする。
フェリックス君の言う通りかもしれないけれど……わたしたちの課題は頬ずりじゃなくて、もっと別のことだ。
たとえば、キス。
エレナにわたしたちの関係を証明するために、キスの練習をしようともした。結局、これはやめたけど。
それと、もう一つ。わたしはアレク様にまだ聞けていないことがある。
学園では形だけの婚約者だったわたしを、アレク様がこれほど愛してくれているのはなぜだろう?
なにか理由があるはずだと思いながら、怖くて聞けなかった。
このアルハンゲリスクに来ることを決めたのは、わたしだ。
けれど、そもそもわたしがアレク様の婚約者になったのは、わたしの力によるものでもなければ、わたしの意思によるものでもない。
わたしは、幸運にもアレク様の婚約者に選ばれた。
そう。幸運にすぎない。必然ではなかった。
わたしは政略結婚の相手を、形だけの婚約者だったはずだ。
なら、どうして、アレク様はわたしを必要としてくれるんだろう。
その理由を知らないと、わたしは前へ進めない気がする。
けれど、アレク様はそのことについて話してくれる気配はないし、わたしからも聞く勇気はなかった。
もし本当のことを知れば、今まで通りではいられないかもしれない。
ふと顔を上げると、エレナとフェリックス君がじゃれているのが目に入る。
楽しそうなエレナと、困りながらも満更でもなさそうなフェリックス君に、わたしはふふっと微笑む。
「ねえ、お姉ちゃん、ここにいるあいだ、この子をあたしの従者にしてくれない?」
「え? それは……?」
わたしは困ってアレク様を見た。フェリックス君はあくまでアレク様の従者だ。
わたしに許可する権限はない。
けれど、アレク様は微笑んでうなずいた。
「かまわないよ。屋敷の人間のなかでも、誰かエレナさんを案内する人がいた方がいいだろうし。フェリックスさえよければだけど」
わたしとアレク様とエレナに見つめられ、フェリックス君はドギマギした様子で顔を赤くした。
そして、こくこくうなずく。
「僕はもちろん、アレク様のおっしゃるとおりにします」
「やった!」
エレナが無邪気に喜んでいるので、わたしは苦笑する。あとでフェリックス君に本心から良いか聞いておこう。
アレク様やエレナの手前、嫌とは言えないだろうし。多分、フェリックスくんもエレナのことを嫌ったりはしていないと思うけど。
そのとき、ドン、と低い音が、窓の外から響いた。
わたしたちは慌てて北側の窓に駆け寄る。
なんだろう?
窓の外は基本的にひたすら林が広がっている。
ただ高台にあるこの屋敷は、北側の窓からだけは、町と港を遠目に眺めることができるようになっている。
「あれは……」
アレク様は絶句した。
港湾内に何隻もの軍艦が浮かんでいる。
そして、その軍艦には、赤と青の十字をあしらった旗が、高々と掲げられていた。
スターリング連合王国の軍艦が、このアルハンゲリスクを訪れたのだ。