第3話 同じ部屋!?
わたしたちの住むルーシ王国は、大陸の北東に位置する。
土地だけは広大な国なのだけれど、その多くが凍土や砂漠で占められている。
厳しい気候の国だ。
それに、西にある国々と比べて、文化も文明も遅れているというのが、貴族たちの共通認識だった。
だから、ルーシの貴族は、大陸西方のオルレアン帝国の言語を学び、その詩や小説を読み、様々な学問を輸入している。
オルレアン帝国は文化国家であるだけでなく、軍事力においても圧倒的な存在だった。ルーシは国を挙げて、オルレアンに追いつこうとしているけれど、すぐには難しい。
そんな北東の後進国ルーシ王国の中でも、わたしたちの住むことになるアルハンゲリスクは、北方に位置する辺境だ。
40日の馬車の旅を経て、ようやくわたしたちはアルハンゲリスクに着いた。
着いたのだけれど……。
「これが辺境伯のお屋敷……?」
わたしは呆然として、門の前に立って、屋敷を見上げた。
二階建てのその建物は、赤レンガでできていて重厚感はあるけれど、とてもこじんまりしている。
王都の男爵家の屋敷よりも小さいと思う。
壁には蔦が生えていて、控えめに言って、ぼろぼろだった。
屋敷の庭も雑草が伸び放題。
今はまだ秋だからいいけれど、北方の厳寒が身に染みる冬になったら、この屋敷で乗り越えられるだろうか。
わかっていたことだけれど、王家のアレクサンドル殿下に対する扱いは、ひどいもののようだった。
わたしはちらりとアレクサンドル殿下の顔を見た。
殿下は申し訳無さそうな、恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。
「俺についてきたこと、後悔している?」
「いえ、後悔なんてしていません」
「でも、俺は……後悔してしまいそうだ。俺は身勝手なんだよ。本当は、俺との婚約なんて破棄して、王都で暮らしていた方が、アリサは幸せになれたのかもしれない。苦労させるとわかっていながら、俺はアリサをこの辺境に連れてきた」
「殿下は……優しくて、正直な方ですね。でも、わたしが殿下についてきたのは、わたし自身が選んだことです。ですから、殿下におっしゃってほしいのは、そんなことではありません」
わたしは、じっと殿下の青い瞳を見つめた。殿下は、宝石みたいな綺麗な瞳で、わたしを見つめ返す。
しばらくして、殿下はうなずいた。
「そうだね。俺がするべきなのは、後悔じゃない。俺にはアリサが必要なんだから。必ずこの領地を豊かにして……アリサを、後悔なんて思いつきもしないぐらい幸せにするよ」
殿下はきっぱりと言い切ってから、やっぱり恥ずかしかったのか、顔を赤くした。
わ、わたしも、そこまで気恥ずかしいことを殿下に言ってほしかったわけではないのだけれど……嬉しい気もする。
それに、殿下が勇気を出して、そんな約束をしてくれたのなら、わたしも応えないわけにはいかない。
「はい。わたしは、きっとこの先も後悔なんてしないと思います」
わたしの言葉に、殿下は嬉しそうにうなずいた。
冷たく厳しい秋風が、あたりを吹き抜けるけれど、わたしは全然寒さを感じなかった。
こういうとき、抱きついて「大好き」と言ってみたら、殿下は喜んでくれるんだろうか?
いや、はしたないと思われるかも……。
まだ恋人らしいことは何もできていないので、どうすればいいかさっぱりわからない。
悩んでいたら、突然、甲高い声がした。
「いやはや、お熱いですね」
振り返ると、わたしたちから数歩離れた位置に、黒の執事服を着た少年がいた。
十三、四歳ぐらいだろうか。黒髪黒目の小柄な子だ。
子供といってよい年齢だけれど、執事服をばっちり着こなしていて、赤い蝶ネクタイが印象的だった。
しかも、かなりの美少年だ。かっこいいというより、可愛いという感じだろうか。
まだ幼さの残る顔立ちは、完璧に整っている。
ただ、その綺麗な顔には、にやにやと笑みが浮かんでいる。
殿下が慌てて、少年に向き直る。
「フェリックス、いつから見ていた?」
「一部始終ですよ」
朗らかにそう言うと、少年はわたしの前にうやうやしくひざまずいた。
「アリサ様……初めてお目にかかります。ユスポフ伯爵家の三男、フェリックスと申します。アレクサンドル殿下の近習としてお仕えしている身なので、以後お引き立ていただければ幸いです」
「は、はじめまして」
わたしより、よほどこの子の方がしっかりしているなあ、と感心していると、フェリックス君はわたしの右手を取り、その甲にそっとキスをした。
オルレアン帝国を真似て、ルーシでも取り入れられた挨拶の方法だが、まだそれほど一般的ではない。
わたしは恥ずかしくなり、頬が熱くなるのを感じた。
「フェリックス……『アリサ様』ではなく、『奥様』と呼ぶべきだろう?」
そう言ったアレクサンドル殿下を振り返ると、殿下は頬を膨らませて、少し不機嫌そうだった。……ちょっと可愛い。
フェリックス君もくすっと笑う。
「お二人はまだ正式にご結婚されていませんし、お名前で呼ぶのが適切かと」
「それはそうだけれど……気安くアリサの名を呼ばれたくない」
「……殿下、ヤキモチを焼いているのですか? 独占欲強いですね? まあ、でもアリサ様ほど美しい方なら、無理もないかもしれません。アレクサンドル殿下がぞっこんなのも理解出来――」
言葉の途中で、フェリックス君は殿下に首根っこをつかまれてしまった。「早く屋敷を案内してくれ」という殿下の言葉に、フェリックスは笑いながら、素直にうなずいていた。
フェリックス君はおしゃべりで、愛想が良くて、そして、殿下に信頼されているようだった。
殿下が辺境伯に封じられたのに先立って、アルハンゲリスクへと趣き、いろいろと準備にあたってくれていたらしい。
屋敷についても、乏しいお金の中で、できるかぎりのことをしてくれたようだった。ということは、手入れされる前は、もっとひどい状態だったということなんだろうけれど。
「お部屋はこちらになります」
二階の廊下の中央で、フェリックス君は、わざとらしく一礼した。
「ああ、ありがとう。フェリックス」
殿下は微笑み、そして部屋に入った。そして、わたしにもとびきりの笑顔を向け、「アリサもゆっくり休んでよ」と言った。
わたしはうなずこうとして、フェリックス君がにやにやしているのに気づいた。
「もちろん、お二人は同じ部屋ですよ。ちゃんと大きなベッドが一つありますからご安心ください」
「「え!?」」
わたしも殿下もびっくりして固まり、そして、互いに顔を見合わせた。
殿下は顔を赤くして、うろたえている。たぶん、わたしも同じだ。
「お二人は婚約者なのだから、当然でしょう?」
言われてみれば、そうなのだけれど、てっきり別々の部屋が用意されているものだとばかり思っていた。
旅の道中も、宿では別の部屋をとっていたし。
「ふぇ、フェリックス。今からアリサに別の部屋を用意するのは……」
「難しいですね。この屋敷に主人にふさわしい部屋なんて、一つしかありませんよ。後は全部、使用人の私室でいっぱいです」
たしかにこの屋敷の規模を考えると、部屋が足りない。わずかとはいえ、殿下もわたしも使用人を連れてきている。
だから、その住む部屋を削って、わたしの部屋を用意してほしいというのは、わがままかもしれない。
なお食い下がろうとする殿下の袖を、わたしは慌てて引っ張った。
「あの……殿下は、わたしと同じ部屋だと嫌ですか?」
「も、もちろん嫌なわけないけれど……。でも、アリサが気にするかと」
「わ、わたしも嫌じゃないんです。その方が……安心できますし」
わたしは恥ずかしくなって、うつむいて目をそらす。
こんなことを言って、殿下はどう思うだろうか? わたしはぎゅっと殿下の服の裾を握りしめた。「大胆ですね、アリサ様!」などと横からフェリックス君がからかう。
殿下はしばらく黙ったままだった。心配になって、見上げると、殿下は耳まで顔を赤くしていた。
「う、うん……アリサがそうしたいというなら、俺が反対する理由はないな」
「は、はい……」
消え入るような声で答えたわたしの手を、殿下が握った。温かい心地よい手だった。
少しだけ強引に、殿下はわたしの手を引き、わたしと殿下は同じ部屋に入った。
内装は、思いの外きちんとしている。フェリックス君たちが整えてくれていたのだろう。
それに……たしかに、大きなダブルベッドもあった。「頑張ってくださいね!」とフェリックス君は言うと、あっという間にいなくなった。
扉は閉められ、わたしたちは二人きりになった。
「アリサ……」
殿下はつぶやくと、わたしにそっと手を伸ばし……。
<あとがき>
急展開……?