第8話 お姉ちゃんばっかりずるいよ
わたしとアレク様は、エレナを呼んで応接室に来てもらった。
わたしたちは二人で並んで座り、テーブルを挟んでエレナに向かい合う。テーブルの上には、フェリックス君の用意してくれた紅茶のカップが置かれている。
エレナはじーっと灰色の色素の薄い瞳でわたしたちを見つめていた。
整った顔に……不機嫌そうな表情を浮かべている。
……お、落ち着かない。
ここで三人で話し合いをすることになる。
つまり、アレク様がわたしを愛していると証明するという謎の会議を行うわけだけど……始まる前から恥ずかしくて仕方がない。
アレク様も、二人で話し合っていたときには「エレナさんに会いに行こう!」と意気揚々としていたのに、今は落ち着かない様子でそわそわしている。
心配になって、わたしがアレク様をちらりと見ると、アレク様はうなずいた。
「その……エレナさん。ここに来てもらったのは……俺が……」
「アレクサンドル殿下が、あたしの姉を愛していると証明してくださるんですよね?」
エレナは強い意志のこもった目で、アレク様をにらみつける。エレナはもともと気が強い性格で、たとえ相手が王族でも物怖じしない。
いまや王太子の婚約者なんだから、なおさらだと思う。
アレク様は、うなずくと、緊張した様子で紅茶のカップに口をつけた。逆にエレナは、まったく紅茶を飲む気配がない。
アレク様はティーカップをテーブルに静かに置いた。そして、エレナを見つめる。
「エレナさんは、アリサのことが心配なんだよね」
「はい。わたしの大事な姉ですから」
「安心してほしい。俺はアリサのことを、大好きだから。絶対にアリサを幸せにしてみせる」
「それを、証明していただきたいんです」
「俺はアリサを愛している。その言葉だけではダメかな?」
アレク様はわたしを愛しているとはっきり言い切った。わたしは自然と頬が熱くなる。
やっぱり妹の前で、こんなことをするのは恥ずかしい。アレク様がそう言ってくれるのは嬉しいけれど……。
でも、エレナは納得していないようだった。
「口だけだったら、なんとでも言えますよね?」
エレナのきつい語調に、わたしはびっくりする。
「え、エレナ……アレク様にそんなことを言うのは……」
いくらエレナでも、さすがに王子であるアレク様に失礼だ。アレク様が怒ってもおかしくない。
けれど、アレク様は穏やかな表情だった。
「そう。そのとおり。言葉の表面では、なんとでも言える」
意外そうにエレナは目を見開いた。
「なら、行動で示すべきではないですか?」
「行動だって同じことさ。たとえ抱きしめて、キスをしてみたって、そこに本当の気持ちはないかもしれない」
「あ、あたしには……わかります!」
「それなら、言葉からだって読み取れるはずだ。君はミハイルの心を射止めて婚約者になった。そのミハイルが君のことを愛しているとどうしてわかる?」
「そ、それは……」
「ミハイルが君のことを大事にしていると言葉で伝えるからじゃないのかな。違う?」
エレナは黙った。
そして、きっとアレク様を睨む。
「だから、あたしにアレクサンドル殿下の言葉を信じろって言うんですか?」
「そうだよ。聡明な君になら、俺が言っていることが本当かどうかわかるはずだ」
「仮に、仮に殿下が本当のことをおっしゃっているとして、お姉ちゃんを苦労させない保証があるんですか? お姉ちゃんはこんな何もないところにいるんじゃなくて、王都に帰った方がきっと幸せになれます」
わたしは少し迷って、それからアレク様の代わりに口をはさむ。
「あのね、エレナ。わたしはここにいることが幸せなの」
「違う。お姉ちゃんは間違ってる!」
なぜか必死な表情でエレナは言う。
わたしはためらうことなく首を横に振った。
「何が幸せかを決めるのは、わたしだよ」
「お姉ちゃんは……騙されているんだよ。きっと殿下は、お姉ちゃんを利用しようとしている。お姉ちゃんを本当に愛しているなら、どうして殿下は学園にいるとき、お姉ちゃんのことを大事にしなかったの?」
「それは……」
アレク様が言葉に詰まる。たしかに、わたしとアレク様は、学園にいるときは疎遠だった。
でも、今は違う。
わたしはアレク様のことを必要としていて、アレク様もわたしのことを必要としてくれている。
アレク様が黙っているのをいいことに、エレナは言葉を重ねる。
「こんな人がお姉ちゃんを幸せにできるなんて思えない!」
「やめて、エレナ!」
わたしの声に、エレナはびくっと震える。
エレナは、怯えたようにわたしを上目遣いに見た。
もしアレク様のことを悪く言うなら、わたしはエレナのことだって許せなくなってしまう。
きっとわたしは怖い顔をしていたと思う。
わたしは優しくエレナを見つめる。
「わたしはエレナのことを嫌いになりたくないの」
「でも……」
「わたしはアレク様のことを信じている。だから、わたしの信じるアレク様のことを、エレナにも信じて欲しいの」
甘えん坊で自分勝手なところはあっても、エレナはわたしの大事な妹だ。エレナは笑うととても可愛い、本当は素直で良い子なんだ。
だから、こんなところで仲違いしたくない。
もしミハイル殿下を説得するのに協力してもらえないなら、それでもいい。
ただ、わたしとアレク様のことを、エレナには信じてほしかった。
アレク様も顔を赤くして、そして恥じらうように、小声で横から言う。
「俺にとって、アリサより大事な存在はいないんだよ。王位を奪われることよりも、辺境に追いやられることよりも、アリサが婚約者でなくなることが怖かった。だから、俺はアリサと一緒にこのアルハンゲリスクに来た。エレナさんが心配なのはわかるよ。でも、俺はアリサを絶対に幸せにするつもりだ。だから……信じてくれないかな」
エレナは迷うように、その魅力的な瞳でわたしを見つめた。エレナの瞳が揺れている。
……もしかしたら、エレナの気を変えることができたのかもしれない。
わたしたちはエレナの返事を待った。
エレナの次の言葉は予想外のものだった。
エレナはぽつりと、虚ろな声でつぶやく。
「お姉ちゃんばっかりずるいよ」
「え?」
「あたしだってミハイル殿下の婚約者なのに。あたしは……ミハイル殿下にまったく振り向いてもらえていないの」
エレナはうつむく。そして、その灰色の目から一粒の涙が流れた。







