第7話 言葉があれば十分で
アレク様の手がわたしの肩に触れる。その大きくて温かい手がわたしをしっかりとつかまえていた。
わたしは壁際に追い詰められ、殿下の綺麗な顔がわたしのすぐそばにあった。
つ、ついに……キスされるんだ……。
わたしはアレク様の唇を見て、それからぎゅっと目をつぶる。
……本当にこれでいいんだろうか?
ううん。エレナに、アレク様の愛を証明するためだもの。
それにアレク様との関係を進展させることもできるし……。
何も悪いことはない。
でも……。
わたしはびくっと震え、次の瞬間を待った。
けれど、何も起きない。
代わりに、大きな手がそっとわたしの髪を撫でるのがわかった。
わたしはおずおずと目を開いた。
アレク様が、優しげな表情でわたしを見つめている。
「やっぱり、やめておこうか」
「ど、どうしてですか?」
「アリサが……怖がっているように思えたから」
わたしはどきりとする。首を横に振ろうとし……でも、アレク様の言う通りだということに気づく。
アレク様との関係が進むのは嬉しい。でも、これは焦りすぎかもしれない。
「アリサがキスをしてもよいと言ってくれたのは嬉しいけれど、無理をする必要はないと思うんだ。それに……」
「それに?」
「正直に言えば、俺も心の準備ができていなかったし」
アレク様は顔を赤くして、金色の髪をぽりぽりとかいた。
わたしはなんだか温かい気持ちになって、そして、ふふっと笑った。
アレク様とキスできなかったのは残念なような気もするけれど、でも、アレク様がわたしを大事にしてくれているのがわかって、とても嬉しい。
アレク様は照れ隠しなのか、窓の外を眺めながら言う。
「それに、エレナさんにミハイルを説得してもらうために、アリサとキスをするというのも……おかしい気がして。これじゃ、アリサを利用しているみたいだし……アリサと、その、そういうことをするのは、もっと大事なときにとっておきたいなと思って。ダメかな?」
「いえ! わたしも……その方がいいです」
わたしは恥ずかしくなって消え入るような声で言うと、アレク様は微笑み、そして、もう一度髪を撫でてくれた。
とても柔らかくて、温かい手だ。
この心地よい感覚だけで、今は十分な気がする。
でも……エレナの問題は残ったままだ。
殿下はそっとわたしの髪を指先ですくい、そしてささやく。
「エレナさんに、俺がアリサを愛していると証明するなんて、よく考えたら、簡単なことだ」
「そ、そうでしょうか?」
「エレナさんのいる前で、言葉で伝えればいい」
言葉で伝えるということは、例えばアレク様が「アリサを愛している!」と宣言するとか、そういうことだろうか。
それでエレナは納得してくれるのかな。
わたしが不安そうにしていると、アレク様は微笑んだ。
「エレナさんは、きっと大事な姉のことが心配なんだ。もし俺が彼女の立場なら、気持ちはよく分かるな。王位を失った無力な王子についていき、辺境で苦労させられているんだから、そんな姉のことを心配する気持ちはよくわかるよ」
「わたしは……アレク様を無力だなんて一度も思ったことはありませんし、辺境で苦労していると思ったことも一度もありません。わたしは……ここにいて幸せですから」
「ありがとう。アリサがそう言ってくれて嬉しいよ。だから……俺も婚約者の妹のことを安心させてあげないとね。俺が……どれだけアリサを大事にしているか、そのことを熱く語れば、きっと納得してくれる」
アレク様の言葉に、わたしは嬉しくなって微笑み……そして、重大なことに気づく。
つまり、エレナの前で、アレク様がわたしを愛していると熱弁を振るうことになる。
それって……キスするより恥ずかしいような……。
「さあ、エレナさんに会いに行こう!」
アレク様は意気揚々としている。
けれど、わたしはそのときのことを想像してしまい、まだ始まってもいないのに羞恥心に顔が熱くなるのを感じた。
お願いだから、上手くいきますように……。