第4話 愛しているって証明してみせて!
「本当に……ここって何もないところだね、お姉ちゃん」
「あはは、そうかもね」
エレナの言葉に、わたしは苦笑した。
いま、わたしとエレナは、二人で屋敷の敷地の林を散策している。
たしかに、港以外に、わたしたちの領地には何もない。
ただ、北方特有のカラマツやモミの針葉樹林はどこに行っても広がっている。
エレナには話をしないといけない。
鉱山の採掘権の許可を、婚約者のミハイル殿下にお願いしてもらう必要がある。
でも、話を切り出しにくい。まるで、エレナを利用するようで……気が引ける。
す、少しずつ本題に近づいていこう。
「と、ところで、エレナはこんなに長くこっちにいて問題ないの? ミハイル殿下が気にしない?」
「大丈夫だよ。ミハイル様はあたしのことが大好きだから。あたしのことを絶対離さないって言っていたもの」
エレナは得意げにえへんと胸を張って言う。
それはそれは……。
さすがエレナ。ミハイル殿下の心をばっちり掴んでいるんだなあ、と思う。
「ミハイル殿下ってどんな人?」
わたしの聞いたなにげない質問に、エレナはぴたりと足を止めた。
どうしたんだろう?
エレナはわたしを振り向き、一瞬間を置いた後、にっこりと笑った。
「優しい人だよ」
「そっか。良かったね」
優しいのはアレク様も同じだ。
わたしはミハイル殿下のことをほとんど知らない。ミハイル殿下はアレク様と似ているんだろうか。
エレナはわたしの幸せを願うと言ってくれた。わたしも王妃になるエレナにとって幸福な未来が待っていることを祈っている。
「ねえ、エレナ。お願いがあるの」
わたしは、鉱山の件の経緯を説明した。
王都からの妨害で、鉱山の採掘ができなくなるかもしれないこと。
それをミハイル殿下に止めていただきたいということ。
エレナはじっとわたしの話に耳を傾けていた。落ち着きのないエレナにしては珍しい。
「こんなことを頼むのは気が引けるんだけど……エレナの口から、ミハイル殿下に頼んでみてくれない? きっと婚約者のエレナが言えば、結論が変わるんじゃないかと思うの」
わたしは手を合わせて、エレナを見つめた。
エレナは淡い灰色の瞳で……わたしと同じ色の、でもずっときらきらと魅力的に輝く瞳で、わたしを見つめ返す。
「それは……どうかなあ」
エレナはぽつりとつぶやいた。あまり乗り気ではなさそうだ。わたしは焦る。エレナは気分屋で、乗り気でないことをやってくれる子ではない。
エレナは言う。
「あのね、ミハイル様は仕事人間だから、きっと鉱山の輸出のことも知っていると思うの。それなら、もしミハイル様がその鉱山の採掘権を許可した方が良いと思うなら、あたしに言われなくてもきっとやっている気がする。逆に、ミハイル様が考えあって、鉱山の採掘を認めないなら……きっとあたしが言っても考えを変えるような人じゃないよ」
エレナの言っていることは、正論だった。昔からエレナは頭の回転が速い。
たしかにそうなのかもしれない。
アレク様の話を聞く限り、ミハイル殿下は完璧超人で、そういう人は原理原則を重視すると思う。
婚約者の個人的な願いで、公的なことを変えるようなことはしないかも。
わたしはちらりとエレナを見る。そういえば、ミハイル殿下って話を聞く限り真面目そうな人だけれど、天真爛漫なエレナと性格が合うんだろうか?
いや、むしろ真逆だからこそ惹かれるものもあるのかもしれないし、ミハイル殿下が実は自由奔放な性格なのかもしれないけれど。
「でも、エレナから言ってみるだけ言ってみてくれると助かるな。ミハイル殿下にとっても、なにか利益のあるような話にできるかもしれないし」
エレナは浮かない顔だった。
わたしはもう一歩踏み込んで見る。
「このままだとこのアルハンゲリスクの領地が破綻しちゃって、アレク様もわたしもここにいられなくなっちゃうの。お願い!」
「……そうなったら、ダメなの?」
「え?」
「アレクサンドル殿下との婚約はなかったことにして、王都に戻ってきたらいいじゃん」
エレナは透明に澄んだ綺麗な目でわたしを見つめる。
その表情はあくまで純粋だった。
「あたしは、お姉ちゃんが幸せになれるように努力するって言った。お姉ちゃんは……今、この辺境にいて幸せ?」
「幸せだよ」
わたしはためらいなく言った。
アレク様がいて、わたしを必要としてくれて、そしてわたしたちの領地がある。わたしがわたし自身の選択で決めた道だ。
幸せでないわけがない。
けれど、エレナは首を横に振った。
「あたしにはそうは思えない。王都からこんな何もないところに流されて、貧乏生活だなんて……幸せといえる?」
「でも……わたしにはアレク様がいるから」
「学園にいたとき、アレクサンドル殿下は、お姉ちゃんを愛しているようには見えなかった。それはどうして? ずっと二人は形だけの婚約者だったじゃない。本当に殿下はお姉ちゃんのことを好きなの? それなのに、今になって、こんななにもないところにお姉ちゃんを連れてきて苦労させるなんて……ずるいよ」
「エレナ。わたしはね、苦労しているなんて一度も思ったことはないの。ここには何もないなんてこともない。港があるし、美しい木々があるし、フェリックス君がいて、アナスタシアさんがいて、そしてアレク様がいる。わたしにはそれで十分」
そう。
わたしは……幸せだ。みんながいて、わたしを必要としてくれる。
その幸せのために、この領地を守らないといけない。
エレナはじっとわたしを上目遣いに見つめ、そして、わたしの手をそっと両手で包み込んだ。
ひんやりとした小さな手が、わたしの手に重ねられる。
この心地よい感触は、よく知っていた。
「小さい頃もこうして手をつないだっけ?」
「うん。お姉ちゃんが……こうしてくれた」
エレナは顔を赤くしてうなずく。
わたしはくすっと笑って、エレナの髪を少し撫でた。
わたしのほうがエレナより優れていることなんて何一つないけれど、でも、わたしはエレナの姉で、こうしてお姉ちゃんらしく振る舞うことが、わたしがエレナにできる唯一のことだった。
「わたしはアレク様のことを信じているし……大好きだから。だから、この土地にいたいの」
「……お姉ちゃんがなんと言おうと、あたしはお姉ちゃんのことが心配。アレクサンドル殿下の命を狙う人もいるんでしょう? それに、お姉ちゃんが巻き込まれたら……」
「大丈夫。きっとアレク様がわたしのことを守ってくださるから」
わたしはアレク様のことを信じている。エレナはアレク様のことをほとんど知らないけれど、わたしは違う。
一緒にこの領地に来て、同じ寝室で寝て、領地を見回って、ホルモゴルイでは危ない目にあって……。
わたしの知っている殿下は、信頼できる、優しい人だった。
けれど、エレナはまだ納得していないようだった。
「……ミハイル殿下に頼んでみてもいいけれど、条件があるの」
「条件?」
「あたしはまだ、アレクサンドル殿下がお姉ちゃんのことを愛しているなんて、信じられないの。だから……そのことを二人で証明してみせて!」
「え、えっと……それって何をすれば……?」
エレナも具体的には何も考えていなかったらしい。しばらく間を置いて、エレナが顔を耳まで赤くして、目を伏せる。
「こ、恋人らしいこととか……?」
エレナが小さな声で恥ずかしそうにつぶやく。
……つまり。
エレナの前で、わたしとアレク様がイチャイチャすれば良いということでしょうか?