第2話 お姉ちゃんが幸せになれるように
「し、しばらく、このお屋敷にいるって……本当?」
わたしはぎょっとして、エレナに尋ねた。フェリックス君やアナスタシアさんもびっくりして固まっている。
エレナはちょこんと首をかしげる。
「そうだよ? あたし、なにかおかしなことを言った?」
「そうじゃないけど……『しばらく』って、どのぐらい?」
「せっかく長旅して来たから、二ヶ月ぐらいここにいようかなあ」
わたしより二つ年下のエレナは、まだ王都の学園の生徒だった。でも、この時期の学園のお休みは長いけれど、それでも滞在期間が休みの期間を超えてしまうような……。
「そ、そんなに長くいるの?」
「そのつもりだけど……お姉ちゃんは、あたしがいると嫌?」
エレナは少し寂しそうに、甘えるように、わたしを上目遣いに見つめた。わたしは慌てて首を横に振る。
「ううん、そういうわけじゃないの。ただ、急な話だからびっくりして」
べつにエレナのことが嫌いなわけじゃないし、久々に会えて嬉しいのだけれど……急にやってきてこんな何もないところに長期滞在するつもりだなんて、どういう風の吹き回しだろう?
それに……。
わたしはちらりとエレナを見る。エレナは美少女で……わたしなんかよりずっと性格も明るくて、魅力的な女の子だ。
そんなエレナがずっとここに滞在して、アレク様がエレナに惹かれるようになったら、どうしよう……?
もちろん、わたしはアレク様を信じている。信じているけど……。
エレナがぺろっと舌を出して、わたしに手を合わせる。
「ごめん。本当はちゃんと事前に連絡しておこうと思ったんだけど……来ちゃった。迷惑はかけないから、安心して」
迷惑はかけないと言われても……エレナが泊まれるような部屋とかあったっけ? それと、従者や侍女の扱いは?
エレナは、王太子ミハイル殿下の婚約者。仮にも未来の王妃様だ。いい加減な扱いはできない。
「昔みたいに、お姉ちゃんと同じ部屋でもいいよ?」
エレナはそう言って、くすっと笑った。
たしかに実家のチャイコフスキー公爵家時代は、同じ子ども部屋で寝ていたこともあったけれど、それはだいぶ小さな頃のことだった。
それに、今はそういうわけにはいかない。
「あー、えーと、それはできないの……」
「どうして?」
「そ、その……わたし、アレク様と同じ寝室で寝ているから……」
エレナはきょとんとして、それから少し頬を赤くした。
「そ、そっか……。そうだよね……」
わたしとアレク様は同じ寝室で寝ているだけで、それ以上のことは無いのだけれど……。
そう言いかけて、わたしは口を止めた。
黙っておけば、エレナは誤解してくれる。その方がわたしにとっては良いかもしれない。
見栄を張りたいという気持ちもあるし、万一エレナとアレク様の仲が深まるという危険も小さくなる……ような気がする。
いや、でもエレナに嘘をついたみたいになるのは嫌だな……。
そんなわたしの悩みは、すぐに消えてしまった。横からフェリックス君が口を挟んだからだ。
「殿下とアリサ様のお二人は手をつなぐのがやっとの関係ですよ。エレナ様が想像するようなことは、残念なことになーんにもありません」
「あれ? そうなの?」
エレナが「なーんだ」という顔をする。
……フェリックス君。余計なことを!
そして、フェリックス君は微笑んだ。
「ですから、エレナ様も僕と一緒に、お二人の仲を深めるのに協力していただけると嬉しいですね」
ああ、なるほど。
フェリックス君はそれを言いたかったんだ。
エレナは黙ってフェリックス君を見つめた。奇妙な間が空く。
フェリックス君が訝しげにエレナを見つめ返した。
そして、エレナは意味ありげな、不思議で魅力的な微笑みを浮かべた。
「そうだね。あたしはお姉ちゃんが幸せになれるように努力するよ」
わたしは背筋がぞくっとする。
他人から見れば、エレナの言葉は、姉であるわたしのためを思っての普通の発言に聞こえるかもしれない。
実際、フェリックス君は「うんうん」と嬉しそうにうなずいている。
でも、わたしはエレナの姉だからわかる。エレナの言葉には、なにか裏があるような気がした。
エレナが王都からはるばるこの土地までやってきた理由は、やっぱり何かある。
でも、今のわたしには、それはわからなかった。
部屋をとんとんと穏やかにノックする音がした。入ってきたのは、アレク様だった。
「ちょっとアリサに用事があって……あれ?」
アレク様は、不思議なものを見るような目で、エレナを見た。
しばらく、アレク様は考え込んだ後、ぽんと手を打つ。
「アリサの妹のエレナさん……?」
「はい! 殿下とお会いするのは久しぶりですね!」
エレナが殿下に駆け寄り、きらきらとした灰色の目を輝かせる。
そして、エレナは……ぎゅっとアレク様の手を握った。
「いえ、もうお義兄様とお呼びしないといけませんね?」
エレナがどこまで意識しているかはわからないけれど、エレナみたいな可愛い子に手を握られて、あんなにきらきらとした目で見つめられたら……同じ年頃の男性だったら、きっと動揺するだろう。
アレク様だって……顔を赤くするに決まって……。
あれ? アレク様は目を白黒させているけれど、特に顔を赤くしたり、照れたりしている様子はない。
エレナに抱きしめられて、赤くなっていたフェリックス君とは違う。
わたしは少し嬉しくなった。わたしだけが、アレク様を恥ずかしがらせて、照れさせて、頬を赤くさせることができるんだ。
アレク様は穏やかな笑みを浮かべて言う。
「そうだね。君はミハイルの婚約者でもあるから、二重の意味で俺にとっては妹だ」
アレク様の言葉になぜかエレナは少し不満そうな顔をした。







