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第9話 娘と妹

 バラキレフさんは、わたしたち三人を睨みつける。


「これは、アナスタシア様がなさったのですね?」


 彼の言葉に、アナスタシアさんはびくっと震え、こくこくとうなずく。


「だ、だって……殿下やアリサ様は何も悪いことをされていないもの」


「それで、殿下たちを利用して、ゲオルギー様を誅殺しようとお考えになったわけですね」


 バラキレフさんは、アナスタシアさんの計画をお見通しのようだった。


 わたしたちは単に逃げ出さず、二階のゲオルギーの寝室の前まで来た。

 そこから、ゲオルギーを倒して問題を解決しようとしていると、察したんだろう。


 アナスタシアさんが怯えたように、金色の瞳でわたしを見上げる。

 わたしは微笑み、ぎゅっとアナスタシアさんの小さな手を握る。


 アナスタシアさんは安心したようにうなずき、銀色の髪がふわりと揺れた。

 そして、アナスタシアさんはバラキレフさんをまっすぐに見つめる。


「バラキレフ……どうしてゲオルギーさんの味方なんかするの? あの人のせいで、私たちの領地は滅茶苦茶になってる。あなたならわかるでしょう?」


「たとえそうだとしても、先代の子爵様はゲオルギー様にこの領地とアナスタシア様を託されました。先代は、流浪の私を重臣に取り立ててくださった恩人です。どうして私はその言葉に背くことができるでしょう? アナスタシア様が立派に成長されるまでは、私はゲオルギー様に従わざるを得ません」


「私はあのゲオルギーさんと結婚させられるんだよ? 成長しても一生、この領地も私も、それにバラキレフも、ゲオルギーさんに支配されたままでいいの!?」


 アナスタシアさんの叫びに、バラキレフさんの眉がわずかに上がった。ほんのかすかだけれど、動揺している。


 これは……わたしたちの味方になってくれるかもしれない。

 けれど、それは儚い期待だった。


 バラキレフさんはすぐに無表情に戻ると、腰にさげた大剣を抜いた。

 

 刀身が大きく背に曲がった不思議な剣だ。軍用の標準的な剣とは違う。

 大きな刃が鈍く光る。


 そして、バラキレフさんは静かにいう。


「そのアレクサンドル殿下も……ゲオルギー様とどう違うというのです? 親族でない分、もっと露骨にアナスタシア様を利用して、子爵領を欲望のままに略奪するかもしれません」


「私はそんなことをしない!」

 

 激しい口調で殿下は答えたが、バラキレフさんの目は冷たかった。


「仮に殿下が善良な王族だとしても、殿下は危険人物です。国から危険視され、場合によっては命を狙われている。そんな相手にアナスタシア様の命運を預けるわけにはいきませんな」


「だからといって、現状が良いわけないだろう?」


 バラキレフさんは殿下の言葉を無視し、そして、剣を構えた。

 もはや言葉は不要ということだろう。 


 殿下も緊張した面持ちで、長剣を抜き放った。アナスタシアさんから預けられた、この地の聖剣だ。


 殿下がわたしを振り返る。その青い瞳は、不安に揺れていた。


「……アリサ」


「一緒に領地へ帰りましょう」


 わたしはぎゅっと殿下の服の裾をつかみ、そう言った。

 殿下は少し柔らかくなった表情でうなずき、そして、バラキレフさんに向き合った。


 ここで殿下がバラキレフさんに勝たない限り、ゲオルギーを倒すことはできない。つまり、アナスタシアさんを解放することも、わたしたちが領地に帰ることもできなくなってしまう。


 バラキレフさんは素早く一歩を踏み込み、大剣を横に払った。殿下がそれを剣で受け止め、火花が散る。


 バラキレフさんは不敵な笑いを浮かべた。


「私は素性の知れない下賤の人間です。王族どころか貴族の末端ですらない。しかし、一つだけ誇れることがあるとすれば……私が大山脈より東では『最強の剣士』と呼ばれていたことでしょうか」


 ルーシ王国は、南北に広がる大山脈で、国土が東西に二分されている。王都のある西部より、東部は気候が厳しく、また異民族との争いも耐えない土地だった。


 そんな東部で「最強の剣士」と呼ばれていたなら、剣術の達人中の達人だ。


 殿下も学園では五本の指に入る剣術の腕を持っていた。

 だけど、本物の剣士のバラキレフさんには勝てないかもしれない。


 それでも、殿下は善戦していた。

 ただ、次第に押されていって……。

 

 バラキレフさんが剣を振り下ろすたびに、殿下は受け止めるのがやっとという状態だった。


 どうにかしないと……。

 

 これは決闘じゃない。殿下が一人で戦う必要はないんだ。


 アナスタシアさんがわたしを不安そうに見つめる。


「アリサ様……?」


「大丈夫。怖いことはないから……じっとしていてね」


 わたしは護身用の短刀をメイド服のポケットから出した。普段持ちあるいているもので、着替えたときにも、これだけは持ってきた。


 無謀だとはわかっている。

 でも……わたしも、殿下の力になりたい。


 殿下が壁際に追い詰められたとき、わたしは一歩を踏み出し、バラキレフさんへと短刀を突き出した。


 もちろん、わたしの攻撃なんて、当たるわけがない。相手は剣術の達人だ。


 けれど……ほんの一瞬だけ、バラキレフさんの体勢が崩れる。


 殿下はその隙を逃さなかった。殿下の剣が、鋭くバラキレフさんの剣をとらえ、弾き飛ばす。

 

 からん、と大きな音が鳴る。


 バラキレフさんの剣が床に落ちたんだ。


 呆然とした様子のバラキレフさんは、殿下に首筋に剣を突きつけられる。


「勝負あったな」


「……そのようですね、殿下」


 意外にもバラキレフさんの表情は穏やかだった。


 彼も心の底からゲオルギーに忠実なわけではないだろうし、負けたことで重荷が降りたのかもしれない。


 そのとき、ゲオルギーの部屋の扉が開く。


 まだ着替えていなかったのか、軍服姿のゲオルギーが、顔を真っ青にしていた。


「これは……どういうことだ?」


「第一王子として、子爵領の簒奪者であるゲオルギー・プロコフィエフを裁きに来た。おとなしく降伏した方が身のためだ」


 殿下は淡々と告げる。

 ゲオルギーはうめき、そして、怒りに顔を赤くしながら、アナスタシアさんを睨みつける。


「アナスタシアの差し金か! おとなしくしていたと思えば、勝手なことをしやがる! 先代を殺したとき、アナスタシアも殺しておくべきだったな」


「先代を殺した?」


 わたしは思わず聞き返す。

 ゲオルギーは口をすべらせたようだったが、破れかぶれなのか、笑みを浮かべた。


「先代の子爵が急死したのは、私が毒殺したからだよ」


 ……そうだったんだ。

 先代の子爵が亡くなったので、やむなく、親族のゲオルギーが領主を代行していたと思っていたけれど。 

 最初からゲオルギーは子爵家を乗っ取るつもりだったらしい。そして、アナスタシアさんの父親である先代の子爵を殺した。


 アナスタシアさんは衝撃のあまり、顔色を失っていた。


「……その罪、許されることではないぞ」


 殿下の言葉に、ゲオルギーは嘲るように笑った。そして、ゲオルギーが腰の剣を抜く。殿下は、その動作に気を取られた。

 

 ゲオルギーはにやりとした。


「こうなっては、殿下も婚約者もアナスタシアも殺して口をふさぐしか道はない。バラキレフ!」


 突然、バラキレフさんはさっと身をかわし、そして、床に落ちている剣を取った。

 一瞬で、バラキレフさんが戦える状態に戻ってしまった。


 まずい……。

 こちら側で戦えるのは殿下だけ。わたしは短刀を持っているとはいえ、我ながらほとんど当てにはならない。もちろん子どものアナスタシアさんはなおのことだ。


 なのに、相手は軍人と剣士という戦闘を本職とする人間が二人もいる。

 わたしは死を覚悟した。殿下と一緒に死ぬことができるなら……悪くないかも知れない。


 でも……もっとやりたいことがあったのに。殿下と一緒に……領地を繁栄させるはずだったのに。


「……がはっ」


 突然、変な声がした。見ると、床に血溜まりが広がっていく。

 その血は殿下のものでも、アナスタシアさんのものでも、わたしのものでもなかった。


 ゲオルギーが、口から血を吐き、そして、胸に剣を突き立てられていた。

 やがて、ゲオルギーは倒れ、それをバラキレフさんが冷たく見下ろしていた。


「私の忠誠は先代子爵に捧げられていました。その子爵を殺したのがあなたなら、私は仇を討たないといけません」


 ゲオルギーを殺したのは、バラキレフさんだった。やがて、ゲオルギーは動かなくなる。

 

 そして、バラキレフさんはうやうやしく殿下にひざまずいた。


「殿下……これまでの非礼をお許しください。こうなった以上、我々ホルモゴルイ子爵領には誰かの後ろ盾が必要です」


「それを私に委ねてくれるのか?」


「殿下と奥方の勇気に敬意を表してのことです。少なくともゲオルギーよりはマシでしょう」


 その言葉の裏には、ゲオルギーよりもひどい統治を行えば、許すつもりはないという意味が込められていたと思うけれど。

 

 これでわたしたちはアナスタシアさんの後見人となることに成功した。

 鉄鉱山の資源も、アルハンゲリスクから輸出できる。


 ゲオルギーには数え切れないほどの罪状があるし、貴族とはいえ、罪状を含めて誅殺したことを王都に知らせれば、その死は問題とはならないだろう。

  

 そして、何より大事なのが……わたしと殿下が、無事にアルハンゲリスクへと戻れるということだった。

 これで、また二人で領主生活を送ることができる。


 わたしと殿下は顔を見合わせて、くすっと笑った。


「これもアリサのおかげだな」


「いえ、殿下の力ですよ」


 殿下は首を横に振った。


「俺一人だったら、負けていたよ。アリサが勇気を出して、バラキレフに挑みかかってくれたから、俺は死なずに済んだ」


 でも、殿下の剣術の実力がなければ、そもそもバラキレフと互角に戦えず、わたしが助ける余地なんてなかったと思う。


 つまり、二人だったから、なんとかなったんだ。

 二人だから勇気を出して戦えて、二人だから勝つことができた。


 アレクサンドル殿下との関係でも……わたしは一歩を踏み出したい。

 そのための一歩は何が良いだろう?


 わたしは考えて、そして、殿下にささやく。


「さあ、帰りましょうか。……アレク様」


「ああ。……あれ? いま……俺のことを……」


「愛称で『アレク様』とお呼びしました」


 わたしはいたずらっぽく片目をつぶってみせる。こんな仕草、以前のおとなしいわたしだったら、絶対にしなかった。


 でも、今のわたしは自然にできてしまう。きっと……相手が、わたしを必要としてくれるアレク様だからだ。


 アレク様は顔を赤くして、それから嬉しそうに微笑んだ。


「そうだね。俺たちの屋敷に帰ろう、アリサ」


「はい、アレク様!」





 あの後、わたしたちは無事に屋敷に戻り、子爵領からの鉄を、アルハンゲリスクの港を通して輸出する計画を始めた。


 貿易船の数も増え、おかげで町には活気が戻り、ココシキン町長たちも喜んでいるみたいだ。


 アルハンゲリスク辺境伯の財政も、かなり改善した。

 まだまだ領地も港も繁栄しているとまでは言えないけれど、大きな前進だ。


 そして、二ヶ月が経った。


 アレク様が管理することとなった子爵領は、立て直しが始まったばかりだ。二ヶ月ではすぐには良くならないほど、領地は荒廃している。

 

 それでも、無理な税の取り立てやゲオルギーの横暴がなくなったことで、子爵領の領民たちはアレク様に感謝している。


 その子爵領の本来の当主のアナスタシアさんは……わたしたちの養女となった。成人するまで、アレク様とわたしが親代わりとして面倒をみるように、と王都から通達があった。


 だから、アナスタシアさんは、アルハンゲリスクのわたしたちの屋敷に住んでいる。


 将来、アナスタシアさんが成長して、結婚相手を見つければ、子爵領はアナスタシアさんに返却されることになる。


 それまでのあいだ、子爵領をなるべく豊かにして、そしてアナスタシアさんを育てるのがわたしたちの責任だ。


「アリサお母様は、とっても優しいから、私は大好きです」


 アナスタシアさんは、屋敷の暖炉の前で、顔を赤くしてわたしに抱きついている。もうすっかりアナスタシアさんはわたしを慕ってくれるようになった。


 ……まだアレク様との結婚もまだなのに娘ができるとは思わなかった。

 でも、アナスタシアさんみたいな可愛い子に懐かれるのは、とても嬉しい。


 そうそう。バラキレフさんは、わたしたちの領地経営に協力してくれている。

 悪い人ではないし、子爵家の重臣だったから、実務もできるから、とても助かる。


 すべてが順調だった。たった一つ、領地のことで忙しすぎて、わたしとアレク様の関係はほとんど進展がないことだけが不満だ。


 やっと名前で呼べるようになったのに、それで止まってしまうなんて……。

 でも、きっと、いつか距離を縮めることができるだろう。


 殿下はわたしを必要としてくれて、わたしも殿下のことが大好きなのだから。たとえどんなことがあっても、わたしたちはずっと一緒にいる。


 そして、わたしと殿下の関係を変えるきっかけは、実際にすぐにやってきた。


「アリサ様……お客様がお越しのようなのですが……」


 フェリックス君がノックとともに部屋にやってきて、神妙な顔で告げる。

 普段は快活なフェリックス君が、いつになく緊張しているように見える。


 わたしと、膝の上のアナスタシアさんは顔を見合わせた。


「お客様? アレク様に?」


「いえ……それが……アリサ様のお客様でして……その……ちょっと僕には手に余るといいますか……」


 フェリックス君がひきつった笑みを浮かべた。

 いったい誰だろう? フェリックス君がそんなに困る相手なんて。


「実はですね……もうお屋敷に上がってしまって、こちらに向かっていらっしゃ――」


 フェリックス君の言葉の続きは、部屋の扉が勢いよく開いたことで、かき消される。

 部屋の入り口には、すらりとした美少女がいた。


 茶色のつややかな髪に、きらきらと輝く淡い灰色の瞳。わたしと似ているようで、全然違う。

 不思議な魅力と、太陽のような明るい可憐さがある。


 その少女は、誰をも魅了するような、素敵な笑みを浮かべた。


「やっほー、お姉ちゃん。久しぶりだけど、元気してた?」


 わたしの妹のエレナが、当然のようにそこには立っていた。



<あとがき>


これにて第二章「たとえどんなことがあっても」は完結! 次からは第三章「妹との戦い(仮)」が始まる予定ですが

その前に大切なお願いです。


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続きを書く励みになります!


三章はやっと登場したアリサの妹エレナが、アリサとアレクの二人の関係を急激に進展させる……? 引き続きよろしくお願いいたします!

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[一言] 更新ありがとうございます。これからも楽しみにしてます。
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