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第7話 幼き子爵の賭け

「殿下もアリサ様も……ど、どうぞ……続けてください」


 幼い子爵アナスタシア・プロコフィエヴァさんは、牢の中のわたしたちを見て、頬を赤く染めていた。


 殿下とわたしはベッドの上で、殿下がわたしを押し倒すような形で、わたしにキスをしようとしているところだった。


 わたしと殿下は顔を見合わせる。そして、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。


 殿下は大慌てで立ち上がって、そして床に正座した。


 わたしも起き上がると、衣服の乱れを直し、殿下の隣に正座する。


 こんな小さな子を相手に、まるで叱られるみたいに、わたしたち二人は膝を並べていた。


 だって……まさかアナスタシアさんが牢にやってくるとは思わなかった。


「続けてくださって良かったのに……」


 アナスタシアさんは残念そうにつぶやくけれど、そういうわけにはいかない。……き、キスができなかったのは残念だけど。


 それにしても、どうしてアナスタシアさんは、わたしたちを監禁するための牢に来たんだろう?


 見たところ、従者や侍女は一人も連れてきていないようだった。


「なにか……お話があるんですね?」


 わたしが尋ねると、アナスタシアさんはびくりと震えた。

 そして、金色の瞳でわたしを上目遣いに見ると、こくこくとうなずく。


 ちょっとした仕草がとても愛らしい。殿下とわたしの子どもも、こんな可愛い子だったらいいのだけれど。

 

 そんな想像をして、それから自然に「殿下とわたしの子ども」と考えたことに頬が熱くなる。

 い、今は……そんなことを考えている場合じゃない!


 アナスタシアさんは、真剣な表情になると、深々と頭を下げた。


「まず……こんなことになってしまって、ごめんなさい。言い訳にはなってしまいますが……殿下とアリサ様の監禁は、ゲオルギーさんが勝手にやったことなんです」


 そうだとは思っていた。


 ゲオルギー(もう「さん」をつけるつもりはない)は、殿下を王都に売ることで、あくまで自分の利益を図るつもりのようだったし。

 子爵領の領地経営の実権は、アナスタシアさんではなく、ゲオルギーが握っている。


 それなら、アナスタシアさんに、今回の事件の責任はないのだと思う。


「もしかして、アナスタシアさんは、わたしたちを助けに来てくれたんですか?」


 わたしが期待をこめて問いかける。ところが、アナスタシアさんは首を横に振った。


「私は……すごく勝手なお願いをしに来たんです。……殿下、そして、アリサ様に……私を助けてほしいのです」


 わたしと殿下は顔を見合わせた。

 

 今のわたしと殿下は、この牢で監禁されている。

 そんなわたしたちが、アナスタシアさんを何から助ければ良いんだろう?


 アナスタシアさんはうつむいて言う。


「ゲオルギーさんをやっつけて、代わりにわたしの後見人になってほしいんです」


「そうしてほしい理由は?」


「私の両親が亡くなってから、ゲオルギーさんがこの土地にやってきて、勝手なことばかりしています。子爵家の財産をたくさん使っちゃって、気に入らない村の人を殺して、鉱山ではお金のために無理な働かせ方をして……領地は無茶苦茶になってしまいました」


「そうだったのですね……」


 やっぱり、わたしが農村で見たとおり、この子爵領は荒れ果てていて、領民は苦しんでいる。

 その原因がゲオルギーらしい。


「それに……私、このままだと、来年にはゲオルギーさんと結婚させられるんです」


 アナスタシアさんの声が、小さくなる。

 そっか……。


 アナスタシアさんと婚姻を結べば、ゲオルギーは子爵領を手に入れることができる。

 単なる後見人だったときよりも、ずっと好き勝手ができてしまう。


 ……それにしても、アナスタシアさんはまだ10歳なのに。アナスタシアさんは、とても可愛いけれど、でも幼い女の子にすぎない。


 それなのに、来年には結婚しようというのは、もちろん愛があるからではなく、子爵家の財産目当てで無理をするつもりなんだと思う。


 殿下を殺そうとしただけでも許せないけれど、それ以外にも、ゲオルギー・プロコフィエフは問題のある人だった。


 一言で言えば……。


「ゲオルギーは、領主失格だな」


 殿下はすぱっとそう言い切った。


 そう。

 自分のことしか考えず、領地の発展を努力しようともしない。無茶苦茶ばかりやって、アナスタシアさんを良いように利用している。


 そんなゲオルギーが、この地の領主であるべきではない。

 なら、どうすればよいか?


「ちゃんとした家臣の人たちはいないんですか?」


 わたしの問いに、アナスタシアさんは首を横に振る。


「お父さんやお母さんがいた頃の家来の人たちはみんな辞めるか、追い出されてしまいました。一人だけ残ったのは……バラキレフです」


 へえ、とわたしは意外に思う。

 バラキレフって、あのいかにも切れ者という印象の家臣のことのはず。


 ゲオルギーに付き従っていたけれど、子爵家の昔からの家臣なんだ。


「バラキレフは……強い人なんです。東方の剣術の達人として有名な人で、私が生まれる頃に、お父様が家臣にしました」


「でも、もともと子爵家に仕えていたのに、ゲオルギーなんかの言いなりになっているんですね」


「仕方がないんです。みんなゲオルギーさんには、逆らうことができないですから。でも、バラキレフさんだけはゲオルギーさんに従うふりをしていても、本当は……私のことや領地のことを心配してくれているんです。できる範囲でいろいろ領地の立て直しもやってくれていますし」


 なるほど。

 バラキレフさんという人は、悪い人ではないらしい。

 だからといって味方になってくれるかどうかは別問題。


 ゲオルギーの手下だし、わたしたちをここに閉じ込めた張本人だ。


 アナスタシアさんは、手に下げていた荷物から、細長く白い包みを取り出す。


 包みを剥がすと、そこにあったのは、一本の長剣だった。

 かなり古びている。


 剣の鍔の部分には、天使をかたどった装飾があった。

 それを、アナスタシアさんはうやうやしく殿下に差し出す。


「……これは?」


「ホルモゴルイ子爵領に伝わる、聖王から下賜された剣です。このホルモゴルイ子爵領の領主の証となっています。これを殿下にお預けいたします」


 殿下はおそるおそるといった様子で。その剣を受け取り、剣を鞘から抜いた。


 古びた外見の印象とは違って、澄み渡るような晴れやかな刃の色が印象的だった。


「これを使って、ゲオルギーを倒せということか」


「はい。私一人では無理ですが、第一王子殿下とアリサ様の力があれば、必ず倒せると思います。上手くいったら、ゲオルギーさんに代わって、わたしの後見人になっていただきたいんです」


 悪い話じゃない。殿下とわたしはここから脱出できる。ゲオルギーを排除して、危険も排除できる。


 ゲオルギーが寝室で一人だとすれば、襲撃するのは簡単だ。そうしてゲオルギーから後見人の立場を失わせれば、あとはアナスタシアさんを旗印に、子爵家を立て直せる。


 そして、アナスタシアさんが成長するまで、殿下がホルモゴルイ子爵領を統治することになるから、ホルモゴルイ鉱山の鉄を、アルハンゲリスク経由で輸出できる。

 

 でも、殿下は優しい表情で、アナスタシアさんに尋ねた。


「一つ聞いてもいいかな、アナスタシア。もしかしたら、俺は悪人で、後見人が俺になったら、ゲオルギーと同じように領地やアナスタシアにひどいことをするとは思わなかった?」


 たしかに、アナスタシアさんが殿下を信用したのは不思議だった。まだ会ったばかりだ。

 ゲオルギーがいなくなっても、殿下が同じように子爵領の領地で好き勝手をやってしまえば、問題は解決しない。


 もちろん、わたしは殿下がそんなことをしないと知っている。でも、アナスタシアさんは、どうして殿下を信じることができたんだろう?


 くすっとアナスタシアさんは、笑った。


「アリサ様が命がけで殿下をかばわれたからです。あんなふうに命を賭けて信じてくれるような相手がいるなら……その人はきっと悪い人じゃないと思うから。だから、私は殿下に賭けてみようと思ったんです」


 そして、金色の瞳でわたしを見つめる。その表情はとても大人びていた。


「いつか、わたしもアリサ様にとってのアレクサンドル殿下のような、素敵な男の人と出会えたらいいなって思うんです。わ、私なんかには無理かもしれませんけれど……」


 わたしは微笑み、そっとアナスタシアさんの髪を撫でた。


「きっと会えますよ」


 びくっとアナスタシアさんは震えたが、やがて安心したような柔らかい表情になった。


 ずっと一人きりで、アナスタシアさんは不安だったと思う。今日、ここに来たことだって、すごく勇気がいることだったはずだ。


 殿下は立ち上がると、剣を腰に下げ、そして、わたしを見た。

 わたしは殿下を上目遣いに見る。


 殿下は凛々しい表情で、その顔には勇気と気品があふれていた。


「どうなさいますか、殿下?」


「アリサが勇気を出したのに、俺だけが逃げたりするわけにはいかないさ。たとえ困難であっても、俺は……この剣で、ゲオルギーを倒す。そして、アリサと一緒にアルハンゲリスクへ帰るんだ」


「はい、殿下ならきっとできると信じています!」


「ああ。アリサが一緒にいてくれるからね。さあ、戦うとしようか」


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