第6話 牢内イチャイチャ生活
わたしが命を賭けて殿下をかばったことで、ゲオルギーさんはうろたえたようだった。
無理をして殿下を殺せば、わたしも死ぬ。そうなれば、チャイコフスキー公爵家が黙っていない。
ゲオルギーさんは判断に迷ったのか、後ろの家臣たちを振り返った。家臣たちもどうすればよいかわからないようだった。
子爵のアナスタシアさんは、驚いたように金色の目を大きく見開いて、じっとわたしを見ている。
わたしは緊張して、ゲオルギーさんの答えを待った。
後ろを振り返ると、わたしに向かって、殿下は穏やかに微笑んでくれた。
殿下を……絶対に死なせない!
ゲオルギーさんの家臣の中から、一人だけ進み出た男の人がいた。
ゲオルギーさんより少し年上の三十代ぐらいの人だろうか。
黒い衣装に身を包んでいて、髪も黒色。黒い瞳は鋭い眼光をたたえていて、ただ者ではない雰囲気があった。
「ゲオルギー様。ここで王子と婚約者を殺せば、たしかに面倒事になります。それよりも屋敷の牢に監禁しておいて、生きたまま王都の役人に引き渡した方が賢明かと」
「しかし、もし第一王子の反乱の計画がでっち上げだと判明すれば、罪に問われるのは私だぞ」
「政府の官僚と事前に打ち合わせておけば問題ないでしょう。アレクサンドル殿下を葬りたい人間はいくらでもいるのですから」
「……なるほど、バラキレフの言う通りかもしれない」
この優秀そうな家臣は、バラキレフという名前らしい。
ともかく、この場で殿下が殺されることはなくなった。
でも、安心できない。
「牢に入れるなら、わたしと殿下は同じ牢にしてください。もし違う牢にするということであれば、わたしはこの場で命を絶ちます」
こうしなければ、殿下の安全を確保できない。わたしの知らないところで、殿下が殺されてしまうかもしれないから。
仕方なさそうにゲオルギーさんはうなずいた。
これで大丈夫のはず。
わたしはほっとして、安堵のあまりへなへなとその場に座り込んだ。
こんなに激しい口調で話したのも、こんなに緊張したのも、18年生きてきて初めてだ。
まるで自分が自分でなくなったかのような感じだ。
ううん、きっと……わたしは変わっている。殿下に出会ったから、わたしはこんなふうに勇気を持って行動できた。
そう。
大丈夫。わたしは殿下と一緒にこの危機を乗り切れるはずだ。
☆
わたしと殿下は兵士の手で拘束され、牢のある地下へと連行される。
牢は小さなベッドなどの最低限の設備はあるらしい。ただ、じめじめと湿気っぽいし、薄暗くて快適とは言えなさそうだった。
廊下との間に黒い鉄格子がはめられている。
兵士は牢の扉を開く。
「きゃあっっ!」
兵士はわたしを突き飛ばすようにして牢の中に入れた。わたしは床に倒れこみ、膝をしたたかにぶつけてしまった。
「……っ!」
痛みに思わず顔をしかめる。
まるで罪人のような扱いだ。わたしに続いて、殿下も牢に放り込まれる
それを確認すると、兵士は鍵を閉めて、立ち去ってしまった。
わたしがひどい扱いに憤慨していると、そっと殿下が手を差し伸べてくれる
「アリサ……大丈夫?」
殿下がわたしの耳元でささやいた。
わたしは殿下を見上げ、その手を握り返す。殿下の大きくて温かい手がわたしを包み込む。
そして、わたしは立ち上がった。
殿下は泣きそうな表情で、わたしを青い宝石のような瞳で見つめている。
「俺のせいでこんなことになってしまって……ごめん」
「殿下のせいではありません。悪いのは、王族を殺そうとした大罪人のゲオルギー・プロコフィエフ一人です」
わたしははっきりとそう言い切った。殿下は何も悪くない。
こんな理不尽に巻き込まれていい理由なんて、何一つ無い
「でも、俺はアリサを守ると誓ったのに、何もできなかった。アリサは勇気を出して命を差し出そうとしてくれたのに、俺は何もできなかった。俺は自分のことを……嫌いになってしまいそうだ」
「殿下、そんなことを仰らないでください。もしわたしに勇気があるとすれば、それは殿下のおかげです。殿下がそばにいるから、殿下の力になりたいと思うから、命を賭けたりできるんです」
わたしは笑って、殿下を励ました。殿下がわたしを必要だと言ってくれなかったら、わたしは弱い自分のままだった。
流されるままに生きてきたわたしに、命を賭けるほどの意味を与えてくれたのは、アレクサンドル殿下だ。
でも、わたしの言葉を聞いても、殿下の心は晴れないようで暗い顔をしていた。
そのとき、床を何かが這いずり回るのを目にした。ちっちゃくて、灰色で、そして禍々しいしっぽを持っている……。
「ね、ネズミ……!?」
わたしはこれでも公爵令嬢で、地下牢に閉じ込められたことなんてない。もちろんドブネズミを見る機会なんてなかった。
わたしはその素早さにびっくりする。しかも、こっちに向かってくる。
「こ、来ないで!」
わたしは思わず殿下の後ろに隠れ、殿下にぎゅっとしがみつく。
一方、殿下は落ち着いた様子で、しっしっとネズミを追い払っていた。
殿下はくすっと笑う。
「アリサでも、怖いものがあるんだね」
「わたしは怖いものだらけですよ」
「ゲオルギーに啖呵を切ったアリサは怖いもの知らずに見えたな」
わたしは自分の行動を思い出し、恥ずかしくなり、顔が熱くなるのを感じた。
たしかにあんなこと、よくできたものだと思う。
でも、本来のわたしは臆病な性格だ。
「わたしは幽霊だって怖いですし、ネズミも虫も怖いです。苦手な人参の入った料理だって、怖いんです。でも、一番怖いのは……きっと大事な人がいなくなってしまうことです」
そして、わたしはじっと殿下を上目遣いに見つめた。
わたしが怖いのは、フェリックス君や妹のエレナ、従姉のマリヤといった身近な人たちが死んでしまうことだ。
そして、一番、本当に怖いのは……殿下がいなくなってしまうことだった。
だから、その一番怖いことを回避するためなら、どれほどの勇気だって発揮できてしまう。
殿下はうなずいた
「俺にとっても、アリサがいなくなることは、想像したくないぐらい怖いことだ。でも、今の状況は……」
このままだと、殿下とわたしは反逆者として王都に送られる。わたしは公爵の娘として無事でいられる可能性が高い。
けれど、殿下は……最悪の場合、処刑される。
そうでなくても、わたしと一緒にアルハンゲリスクに戻ることはできなくなってしまうかもしれない。
この危機を乗り切れなければ、こんな牢屋での生活が、わたしと殿下が一緒にいられる最後の生活になってしまうかもしれないんだ。
なんとかしないと……!
殿下も深刻に考えこんでいたけれど、ところが、急に頬を赤く染めた。
どうしたんだろう?
「アリサ……えっと、その……少しひっつきすぎじゃないかな?」
「え?」
ネズミに驚いて、思わず殿下に抱きついてしまっていた。
そのままの状態になっていることが、完全に意識から抜けていた。
わたしが殿下の右腕にしがみついていて……まるで恋人みたいに密着している。
し、しまった……。
わたしも恥ずかしくなって、慌てて離れようと一歩下がる。間が悪く、その床になにか石みたいなものが落ちていたみたいで……わたしは足をとられてしまう。
「わっ、きゃあっっ!?」
「あ、アリサ!?」
わたしはそのまま背後にあるベッドの方へと後ろ向きに倒れ込んでしまう。
殿下がわたしを抱きとめようとするが間に合わない。かえって殿下の手も空を舞い、体勢を崩し、前向きに倒れてしまった。
結果として、どうなったかというと……。
「痛い……あれ?」
気がつくと、わたしは狭いベッドの上に仰向けに倒れていた。
それはいいのだけれど、殿下も一緒になって、わたしと一緒にベッドに倒れ込んでいる。
というより……殿下がわたしを押し倒しているような格好になっているんだ。
殿下が右手でわたしの細い手首を押さえていて、左手はわたしの肩にある。
わたしに覆いかぶさっている。
「ご、ごめん……アリサ」
「い、いえ……」
わたしは殿下の綺麗な顔がすぐ上にあってどきどきする。整った顔は真っ赤に染まっていた。
殿下は青いサファイアのような瞳で、わたしをじっと見つめていたけれど、やがて恥ずかしくなったのか、目をそらした。
わたしもたぶん顔が真っ赤になっていて、心臓が大きく鼓動を立てるのを止められなかった。
こんなとき恋人同士だったら……キスをしたりするんだろうか?
わたしは殿下と一緒にアルハンゲリスクの屋敷に絶対に戻るつもりだ。だけど、もし失敗したら……わたしたちは二度と一緒にいられなくなるかもしれない。
そう思うと、殿下への愛おしさがこみ上げてくる。
これが、殿下と触れ合える最後の機会かもしれないんだ。一歩ずつ距離を縮めていくことなんて、もうできないかもしれない。
殿下が慌てて立ち上がろうとするけれど、わたしはその服の裾をつまんでそれを止めた。
驚いたように、殿下が大きく目を見開く。
「あ、アリサ……?」
わたしは精一杯の勇気を振り絞り、殿下に微笑む。
「恥ずかしがらないでください、殿下。わたしは殿下の婚約者なんです。だから……殿下になら、何をされても良いと思っているんですよ?」
殿下はもともと赤かった顔をさらに耳まで真っ赤にして、目を空にさまよわせた。
そして、殿下はそっと手を伸ばし、わたしの髪を軽く触った。優しくて、心地よいふわりとした撫で方だった。
それから、殿下はそっとわたしの唇に自分の唇を重ねようとし――。
そのとき、牢の扉がガチャリと開いた。
わたしも殿下も凍りつき、扉の方を見る。
そこにいたのは……幼い女の子だった。ふわふわの銀色の髪に、金色の大きな目。
とても可愛らしいこの子は……10歳のホルモゴルイ子爵アナスタシアさんだ。
彼女は白い頬を赤く染め、そして、もじもじしている。
「殿下もアリサ様も……ど、どうぞ……続けてください」
幼い少女は恥ずかしそうにしながらも、興味津々といった様子で……わたしたちを見つめていた。







