第2話 俺のアリサに、何をしていたのかな?
フェリックス君は、部屋の入り口で固まっていた。
わたしたちは……ベッドの上で、殿下がわたしを抱きしめ、わたしが殿下の頬にキスしようとしていて……。
そんなわたしたちを見て、フェリックス君は顔を赤くしていた。わたしと殿下は慌てて起き上がり、互いから離れる。
恥ずかしくて、互いの顔も見られない。
フェリックス君は頬を紅潮させ、ジト目でわたしたちを睨んでいる。
「夜もたっぷりあったのに、お二人は朝からイチャイチャしているんですね……」
「ふぇ、フェリックス君。これは、その、誤解だから……」
わたしがしどろもどろに言うと、フェリックス君はにやりと笑みを浮かべた。
「何が誤解なんですか? それに何もやましいことはないでしょう? お二人は婚約者なのですから。この分だとお世継ぎの顔も早く見られますね?」
……お、お世継ぎ!? それは……つまり、わたしたちの子どもということで……。
わたしと殿下は思わず顔を見合わせた。殿下は赤い顔で、首をぶんぶんと横に振った。
ごまかすように、殿下はフェリックス君を睨みつける。
「フェリックス……いつ入ってきていいと言った?」
「返事がないから心配で部屋を開けたんですよう。僕を信頼して合鍵を渡してくれたのは殿下じゃないですかー」
「それはそうだけれど……」
「でも、お邪魔してしまったことは確かですね。失礼いたしました。あとは二人でごゆっくりイチャイチャと――」
「朝食に行くから大丈夫だ!」
殿下は悲鳴のように叫ぶと、逃げるように寝室奥の別室へ行ってしまった。着替えに行ったんだと思う。
あとに残されたわたしは、フェリックス君と二人きりになる。
フェリックス君はくすくすと笑っていた。そして、急に神妙な顔になると、わたしの前にひざまずく。
「アリサ様……良いところだったのに、お邪魔してしまって、申し訳ございません」
「ち、違うの! フェリックス君……本当にあれは何でも無くて……」
わたしは経緯を説明した。つまり、殿下が寝ぼけてわたしに抱きついていただけだ、と。
ついでに、昨日も抱きしめ合うとか、髪を撫でるとかぐらいしかしていないということも、白状する羽目になった。
フェリックス君は「なーんだ」という感じで肩をすくめる。
「あの殿下の性格なら、そうですよね。薄々そんな気がしていました。まあ、でも、そういう真面目なところが、殿下の良いところだとは思いますけれど」
「……フェリックス君って、殿下にずっと前からお仕えしているの?」
「そうですねえ。三年ぐらい前ですよ」
フェリックス君は、いま十三歳だというから、十歳のときということになる。そんな子どもの頃から、殿下にお仕えしていたんだ。
フェリックス君はくすっと笑う。
「いろいろあって、僕は生まれた伯爵家を追い出されちゃいまして。それで、宮廷に奉仕に出されて、殿下に拾われたというわけです。殿下は僕の恩人ですね」
フェリックス君は、幼さの残る可愛らしい顔に、少し大人びた表情を浮かべて、遠い目をして沈黙した。
わたしは、フェリックス君の事情に、それ以上立ち入らなかった。フェリックス君はなにか理由があって、伯爵家を追い出されたと思うけれど、それはいつかフェリックス君が話してくれると思う。
わたしが、フェリックス君に信頼されるようになれば。
わたしは殿下の力になりたい。そのためには、領地の人たちや、殿下に仕える人たちの信頼を勝ち取る必要がある。
殿下の妻として……アルハンゲリスク辺境伯夫人として、ふさわしい人間にわたしはなる必要がある。
そのための一歩として、フェリックス君にも、わたしを信頼してもらいたい。
わたしがじっとフェリックス君を見つめているのを見て、フェリックス君は微笑んだ。
「それにしても殿下はヘタレですね」
「へ、ヘタレって……そんなことないよ」
「そうですかねえ。僕だったら、こんな綺麗な人と一緒のベッドに寝て、抱きしめてぐっすり眠るだけなんて、しないのに」
「き、綺麗な人って……わたしのこと?」
フェリックス君は、きらきらと黒い瞳を輝かせ、わたしを上目遣いに見た。
そして、可愛い顔にとびきりの笑顔を浮かべた。
「アリサ様以外に誰がいるんですか? 第一王子殿下がベタ惚れで、学園でも美貌の誉れの高かった、容姿端麗・才色兼備の公爵令嬢アリサ・チャイコフスカヤ様のことに決まっているじゃないですか」
フェリックス君がわたしを褒め殺しにするのを聞いて、わたしは恥ずかしくなってきた。
仮にも王太子の婚約者に選ばれたわたしの容姿はそれなりに整っている。
けれど、単に美しいというだけで言えば、もっと可憐で華やかな令嬢がいたはずだ。
わたしがそう言うと、フェリックス君は首をかしげた。
「そうですか?? 僕が会った女の人の中ではアリサ様が一番可愛らしいですよ」
「そ、そう?」
「はい。その照れた表情とか、赤い頬とか、殿下を一途に思うところとか、とっても魅力的です」
フェリックス君は愛らしい笑顔を浮かべ、そんなことを言う。
わたしはますます顔が赤くなるのを感じた。フェリックス君は……大人になったら、女たらしになるんだろうなあ、と思う。
「……フェリックス君って……おませさんだね」
「むむ。子供扱いしないでください。僕はもう立派な大人です」
フェリックス君は頬を膨らませ、胸をぽんと叩いてみせた。
その仕草は可愛くて、やっぱり子どもだなと思う。
五年だけだけど、わたしの方がフェリックス君よりも長く生きている。だから、わたしもしっかりして、フェリックス君に頼られるような人間にならないと。
でも。
殿下と一緒にいた期間は、フェリックス君の方が長いんだ。わたしはずっと形だけの婚約者だったから、殿下のことを知らない。
フェリックス君のことが羨ましいな、と思う。彼はずっと殿下のそばで仕えていたんだ。
「……ねえ、フェリックス君。お願いがあるの」
「はい、はい! 僕にできることでしたら、何でも喜んで承ります!」
「殿下のことを教えてほしいなと思って」
「殿下のこと、ですか?」
「うん。わたし、殿下のことを何も知らないから……。料理の好みとか、どんな趣味があるかとか……。だから、わたしは殿下のことを知りたいの。殿下が好きになってくれる女の子になりたいなって……思うの」
「そんなことしなくても、もう十分、殿下はアリサ様のことを大好きだと思いますけれど……」
「で、でも、不安なの! わたし、そんなに取り柄もないし……他に誰か素敵な女性が現れたら、殿下の心が移ってしまわないかって心配なの」
フェリックス君は、優しい表情でわたしを見つめると、ぽつりとつぶやく。
「アリサ様のような健気な女性が婚約者だなんて、殿下は幸せ者ですね。大丈夫です。きっといつまでも殿下はアリサ様を必要とし続けますよ」
そして、フェリックス君はぽんと手を打った。
「それはそれとして、殿下のことを知りたいというのであれば、喜んでご協力しましょう。アリサ様と殿下の仲を一日でも早く深めるのが、僕の務めです! 必ず殿下との仲を深めるために有用な情報を提供するとお約束します!!」
「え、えっと……ありがとう」
フェリックス君は、「えいえいおー」と拳を天井に突き上げる。
手伝ってくれるのは、嬉しいけど……そこまで大げさにしなくても……。
そして、フェリックス君は「お約束の証です」とささやき、うやうやしく、わたしの手をとると、わたしの手の甲にそっとその小さな唇を触れさせた。
わたしはどきりとする。
ただの挨拶とわかっていても、ルーシでは新しい風習だし、慣れない……。
わたしと殿下はまだほっぺたにキスとかすらできていないから、なおさら、どきどきしてしまう。
そんなわたしたちを、じーっと見ている人がいることにわたしたちは気づいていなかった。
「……フェリックス。俺のアリサに、何をしていたのかな?」
わたしとわたしの手の甲にキスをするフェリックス君を、着替え終わったアレクサンドル殿下が見下ろしていた。
殿下は笑顔だったけれど……目が笑っていない……!







