第1話 朝、目が覚めると……
窓のカーテン越しに、朝日がうっすらと部屋に射し込んでいる。
わたしたちの領地アルハンゲリスクは北方にあるから、秋の今でも肌寒い。
朝日の光と、明け方特有の寒さで、わたしは目を覚ました。
毛布をかぶり直して、二度寝したいけれど、そんなことをしたらアレクサンドル殿下に、呆れられてしまうかもしれない。
そう。
わたしは殿下と一緒のベッドで寝ているんだ。
アレクサンドル殿下はわたしの婚約者だ。王太子の位を失った殿下は辺境の領主とされ、わたしはそんな殿下についてきた。
殿下がわたしを必要だと言ってくれたから。
まだ三日目だけれど、わたしはこの領地に来て良かったと思う。
以前のわたしは、ただの政略結婚の道具に過ぎなかったけれど、殿下とともにこの地に来ることを選んだのはわたし自身だ。
殿下がわたしを必要としてくれて、わたしは殿下の力になる。そんな関係は……とても素敵で、幸せだった。
ただ……わたしたちは、ずっと形だけの婚約者だったので、ほとんど恋人らしいこともしていないし、互いの距離の詰め方もわからない。
それでも、昨日は……わたしが勇気を出して、一歩を踏み出した。殿下を抱きしめてみた!
恥ずかしかったけれど……でも、自分を褒めてもいいような気がする。
うん。殿下も照れていたけど、抱きしめ返してくれたし……。
それに寝ている殿下の髪を撫でたり……。寝顔も可愛かったなあ、と思い返す。
……あれ?
そういえば、殿下は?
部屋は寒いのに、腰のあたりだけなぜか温かい。
……?
もぞっと、わたしの腰のあたりで何かが動く。
「ひゃっ!」
わたしはくすぐったさに、思わず悲鳴を上げた。
殿下の手が、わたしの体を抱きしめていた。
よく見ると、すぐ近くに寝顔もある。殿下はすやすやと眠っていて、穏やかな顔をしている。
たぶん寒かったから、近くにある温かいもの……わたしに無意識に抱きついたんだろうけれど。
こ、これは反則だ。
起きているときは、あんなに恥ずかしがって、わたしを抱きしめてくれなかったくせに!
わたしは頬が熱くなってくるのを感じた。殿下はぎゅっとわたしを抱きしめていて、放してくれそうにない。
こ、こんなにわたしは恥ずかしい思いをしているのに、本人はぐっすりと眠っていて、とても幸せそうで、理不尽だと思う。
「……仕方のない人。でも……」
殿下の心地よさそうな寝顔を見ていると、何でも許してしまいそうな気持ちになってくる。
それに……殿下の大きな手がわたしを抱きしめているのは、わたしにとっても心地よいことだった。
わたしはそっと殿下の背中に右手を回し、左手で殿下の髪をそっと撫でてみた。殿下はぴくりと身じろぎしたが、相変わらず起きる気配がない。
わたしは微笑ましくなり、そして考える。
……勝手にわたしに抱きついたのだから、少しぐらいお返しをしてもいいのかもしれない。
しかも、殿下はぐっすり寝ているのだから、何をしても気づかれないのでは?
こういうとき、何をすれば……恋人らしいだろう?
わたしは、殿下の唇を見て、どきりとする。わたしはぶんぶんと首を一人で横に振った。
さすがに、いきなりキスをする勇気はない。でも……殿下のほっぺたにキスをするぐらいならいいのかも……。
殿下の頬は、白く、女の子のように肌がきめ細かかった。さすが王族という感じがする。
わたしは緊張し、そして、勇気を振り絞った。
どうせ殿下は何も見ていない。今、一歩を踏み出さなければ、いつまでも踏み出せない気がする。
わたしは殿下の頬にキスをする覚悟(?)を決め、そっと自分の唇を殿下の頬へと重ねようとした。
そのとき。
「……アリサ」
殿下が、小さくわたしの名前を呼んだ。わたしは心臓が跳ねるほど驚く。
一瞬、殿下が起きたのかと思って、わたしはうろたえてしまった。
でも、寝言だったみたいで、殿下の目は閉じられたままだ。すぐにまた規則正しい穏やかな寝息を立て始めた。
……大丈夫。殿下が起きてしまう心配はない。
今度こそ……。
そのとき、扉を勢いよくノックする音がした。
「おふたりとも起きてくださいよー。もう朝食もできていますよー」
廊下から、執事のフェリックス君の快活な、よく響く声がする。
た、タイミングが悪い……!
「う、うーん」
案の定、殿下はうめき声をあげ、そして目をぱっちりと開いた。
青い宝石のような瞳が、焦点の合わないまま、ぼんやりとわたしを見つめる。
「お、おはようございます、殿下」
わたしは殿下に抱きしめられ、頬にキスする直前の体勢のまま、とりあえず挨拶をしてみた。
殿下はきょとんとした顔をして……すぐに自分の置かれた状況に気づいたのか、一瞬で顔を耳まで真っ赤にする。
いつまでも返事をしないわたしたちに業を煮やしたのか、フェリックス君が部屋の扉を勢いよく開け放ったのは、その直後のことだった。
<あとがき>
ここから第二章「たとえどんなことがあっても」スタートです! イチャイチャ、領地経営、妹との対決などなどあるのでお楽しみください!