哀色
いつか誰かが言っていた。「人間はどうしようもなく尊いものなんだよ。」私には何を言ってるのか全く理解が出来なかった。むしろ人間は愚かで、未熟で、未完成で、どうしようもなく醜なものだと思っていた。十二月三十一日、空は綺麗な藍色をしていた。ただ美して尊くてどうしようもなく綺麗な、ただそういう意味の藍色。人間は愚かで醜い。だが学ぶことは出来るはずだ、人間は唯一それを許された生き物なのだから。人間は確かに尊いのかもしれない、今を思えばそう感じる。愚かで醜いからこそ、だからこそ愛くるしくて、どうしようもなく尊いのだろう。今を生きることに一生懸命で、その姿が拙くも綺麗でとても魅力的に映る。時には生きる意味を失って、心を失うこともある。それでも闘かい続けて限界を迎えて。逃げて、逃げて、逃げて、逃げて醜くても生きなくちゃいけないって思って、それが人間。喩えるならば人間は花火である。長くも短く、短くも長い一生の間でどれだけ美しく散れるか、輝く一瞬を、その瞬きを生きる意味と呼ぼう。生きている内に、生きる意味を見つける必要は無い。生きることが、生きている間の意味だから。人間の死に意味なんかは無い。それは今もこれからも痛感することになるだろう。だが散る一瞬、その瞬間が私達にとって1番の心の輝きを放てる時だろう。「散り際には悲愴、散る時は花、散った後には虚無」そんな風に思って私は生きている。どんな一輪を瞬かせることが出来るか、それは自分達で決めることが出来る。だから人間は尊い。
十二月三十一日。
その日散った花は彼岸花なんかではなく、見た目は淡くぼやけていてもはっきりと私の心には写ったのだ。とても綺麗な藍色のデイジーだった。
この小説は決して、故人を冒涜するつもりで書いたわけではありません。不快になられた方は申し訳ありません。