そしてマフラーはひとすじの糸となる
「ちょっと、徳郎! どこ行く気?!」
私は、教室を出ようとしていたあいつに向かって、声を張り上げた。
「どこって、決まってんだろ。クラブだよ」
「今週、掃除当番だってこと忘れたの? 昨日みたいに、一人だけサボろーったって、そうはいかないんだから」
「俺一人ってことないだろー。大体、男がマジに掃除なんてやってられっか」
徳郎は、ふてたように口をとがらす。
「なーに、時代錯誤なこと言ってんの。ほら! このモップ持って!」
「わーったよ。わかりました。やりゃー、いーんだろ。やりゃあ!……ったくおっかねーの」
「何! なんか言った?!」
「いえいえ。工藤さんは掃除が好きな女らしい人だなあーと」
「バカ言ってないでちゃんとやりなさいよ」
「へいへい」
観念したのか徳郎は、鞄を机の上に放り投げると、とりあえず床を磨き始めた。
「すごいわねー、ゆう」
「……純?」
突然、背後から声がしたと思ったら、純が立っていた。
「何がスゴイの?」
「だって、男子相手に対等にやりあってるんだもの」
「あら、純こそ、いつも堂々としてるじゃない? ホームルームの時間なんかさ。前に立って、しっかりクラスまとめてるくせに」
「あれは、無理してるのよ」
純は苦笑するように、一言、そう言った。
「……なんていうか、私。男子とうまく喋れないのよね。ゆうみたいに意識せず、気楽にポンポン言い合えたらいいなあ、ていっつも思うわ」
「でも、浩太朗君とはよく喋ってるじゃない」
私は、ちょっと意地悪くそう言ってみた。
「あ、ああ。彼とは席が前後でしょ。だから……」
そう言うと、純はふいと顔をそむけてしまった。
その横顔に、時としてハッと目を奪われるのは私だけだろうか。
時々、考える。
学年でもトップクラスの成績優秀で知られる彼女は「優等生」というイメージばかりが先行して、「可愛い」という形容詞はおよそ彼女には似合わない。
「神崎委員長」「神崎女史」……面と向かって言う者はいないが、それが彼女を表す肩書。
けれど、あれは済陵祭の準備中のこと。
彼女が久し振りに髪型をポニテにしてきていた朝のことを私はよく覚えている。
知的さは相変わらずなのに、ほどよい後れ毛の具合がなんとも艶やかで、一瞬、目を奪われた。
その時、私は初めて気づいた。
彼女の持つ知的な大人っぽさと同時に、彼女の艶やかな微笑みに彩られる十七歳らしいあどけなさ……そんな彼女の隠れた魅力に。
頭が良くて、ルックスも悪くない彼女は、私から見たら見えない自信に支えられ、のびのびと自由にふるまっているように思える。
それにひきかえ、私は……。
中性的な色気のないルックス。
ひいき目に見てもごく普通の顔と頭。
加えて、女の子にしては乱暴とも言える自分の粗野な性格には、我ながらほとほと嫌気がさす。
「ゆうちゃーん! お掃除おわったあ?!」
その時、げんきいっぱい!て感じの声で我に返ると、舞が外庭の掃除から帰ってきたらしく、早々と手に鞄を持って立っていた。
「早く帰ろうよお。今日は「DONALD」でぱふぇの約束でしょ」
「あ、舞達、いーなあ。私も「DONALD」のチョコパフェ、大好き!」
「純ちゃんも一緒にどお? ね、ゆうちゃん」
「え…うんうん。お杏も誘ってさあ」
「きゃあ! お杏、お杏! 今からさあ─────」
そうやって、その放課後、私達はカフェ「DONALD」でお茶することになった。
***
「じゃあ、純と私がチョコパフェ。舞がフルーツパフェ、ゆうが豆乳プリンパフェでいいのね?」
お杏の言葉に三人が頷く。
そして、お杏がオーダーをまとめて告げ、程なくテーブルに豪華なパフェが四つ並んだ。
「私、「DONALD」のパフェ、大好き!」
舞が嬉々とした声で、まず器からはみ出さんばかりのパイナップルに手を伸ばす。
「ここのチョコパて絶品よねー。このチョコレートアイスクリームのボリューム!」
嬉しそうに、純もアイスをスプーンですくう。
「豆乳プリンもヘルシーで、美味しいわよ」
と、私。
「そうそう」
その時。
お杏が、スプーンの手を止めて言った。
「徳郎がさあ。期末考査も終わったし、今度の日曜、みんなで遊びに行こう、て言ってたわよ」
「遊びってどこに?」
「どのメンツで??」
お杏が答える。
「女子は私達このメンバーでしょ。それに男子は、徳郎、浩太朗君。守屋君に吉原君。その辺で。「よつばグリーンランド」まで電車で遠出しよう、て」
皆、その話に夢中になった。
「いいわね! 遊園地。久し振りぃ」
「でしょー。期末終わって、遊びたかったとこなのよ」
「人数もメンバーも妥当なとこじゃない」
その中で、一人、純だけが何か浮かない顔をしている。
「純は行きたくないの?」
と、私が問うた。
すると、
「え…う、ううん。そうじゃないけど。私……そういうの、苦手だから……」
と、純は不安そうな顔をする。
「そんなんだから、純はすぐ情緒不安になるのよ。男子なんて意識せず、みんな一緒に騒げばいいのよ」
明るく私は言って、純の肩を叩いた。
「ゆうちゃんの言う通りだわ。浩太朗君も守屋君も来るんだから、純ちゃん、ばっちりお洒落しなきゃね!」
「そうよ。純もこういう時、「JK」ライフを楽しまなきゃ」
と、舞にお杏。
困ったように、純は笑った。
***
そして、十二月のある日曜日。
朝九時に「久磨駅」に集合し、電車・バスの乗り継ぎで約一時間の「よつばグリーンランド」へと出かけた。
メンバーは、男子が徳郎、浩太朗君、守屋君、吉原君。
女子が、お杏、舞、純に私と、予定通り。
実は、もう何日も前から密かに私はドキドキしていた。
何故なら……メンバーには。
あいつが──────
私の好きな……。あいつが。
その日、私達は一日中、遊びまくった。
フライングカーペット、ミラーハウス、チェーンブランコ、ジェットコースター、コーヒーカップ、巨大迷路……etc、エトセトラ。
園内のほとんどの遊具に乗り、遊び倒した。
ランチも、みんなでよつば名物「激辛ビッグ・ホットドッグセット」を食べて、大満足。
園内には、遊園地にしては珍しく気の利いたカフェもあって、お茶を飲んで一息もついた。
そんな一日も終わりに近づいて、お杏が言った。
「最後はやっぱり、大観覧車に乗ってシメにしましょう」
そして、更に言った。
「せっかくだから、カップルで乗りましょうよ。このトワイライトタイム、ロマンチックに楽しも!」
「えー、マジかよ」
女子より先に男子連中から、声が上がる。
けれど、お杏は構わず、
「そう言わずに!「グッパ」で決めるわよ」
と言って、グーとパーをみんなの前に二回差し出して見せた。
結局。
数回のグッパの結果。
お杏と守屋君君。
舞と浩太朗君。
純と吉原君。
そして……
私と徳郎のカップルで観覧車に乗ることになった。
私はバクバクとなる心臓の音が、あいつに聞こえないだろうか。そんな心配をしている。
この狭い空間で、あいつと二人きり向かい合って、何を喋ればいいんだろう。
北本徳郎……医者の息子で、軽めのラグビー部員。
密かに。
私の、想い人──────
「あー、楽しかったよなあ、今日は」
固い手触りの私を知らぬ気に、徳郎は実にリラックスした様子でそう言った。
何だか、そんなあいつの様子を見ていると、勘違いしそう。
これが、本当にふたりきりのデートのように……。
観覧車は折しも、頂上付近にさしかかっている。
小さな窓から見える晴れた日の冬の夕暮れは、いやが上にもロマンチックな雰囲気を醸し出す。
言ってしまおうか……。
私の中で想いが募る。
私、あんたのこと──────
しかし。
徳郎は、急に、そわそわとした素振りを見せ始めた。
「どうかしたの? 徳郎」
訝った私に、あいつは言いにくそうにしていたが、ジーンズのポッケに両手を突っ込んだまま、その長い脚を組み替えると遂に切り出した。
「あのさ……。工藤。「久磨女」の一年生の坂田美都さん、て……お前の友達だよな」
「うん。小さい頃からの幼馴染み」
私は何故、徳郎が他校の美都の話を持ち出すのかわからない。
しかし、徳郎は言ったのだ。
「誰か……彼氏とか。いるのかな」
その時。
徳郎は横を向いていた。
そのクールな横顔に、あいつの真剣な表情を、初めて見た気がした。
「……うん。多分いない。ううん、いない。フリーよ」
「そっか。そうか……」
破顔一笑。
ホッとしたように、そして本当に嬉しそうに徳郎は笑った。
「好きなの? 美都のこと」
「え、ていうか……うん。まあ」
照れたような困った風に、あいつは笑う。
「クリスマスに告白すれば? 美都、そういうロマンチックなこと大好きだから、普通に告るより可能性高いと思う」
「え、マジ?!」
「うん。あんたなら、大丈夫!」
私は、ポンとひとつ徳郎の肩を叩いた。
「そうかあ」
徳郎はまんざらでもなさそうな顔をしている。
そして、観覧車は何事もなかったように地上へと着いた。
「工藤、ほら。足下気をつけろよ」
そう言って、徳郎はナニゲに手を差し伸べてくれた。
それは、物語のお姫様に手を貸す騎士のようで、私は心密かに泣けた。
***
その晩。
私は自分の部屋に戻ると、編みかけだった黒いマフラーを取り出した。
そのガータ編みだけのごくシンプルな黒いマフラーは、クリスマスに徳郎に告るつもりで編んでいたもの。
元々、可能性なんてなかったんだ。
可愛い娘ちゃん大好きのあいつには、美都みたいな美少女がよく似合う。それをあいつもわかっているんだろう。
でも。
私のこと、女の子扱いしてくれた。
あの時。
差し伸べてくれた手の温もりを、私は一生忘れない。
私は、編みかけのマフラーから編み棒を抜くと、勢いよく糸を引っ張った。
しゅる……
しゅる……
マフラーは、たちまち、一本の糸となっていく。
みるみる目の前に「黒い塊」が出来てゆく。
……しゅる
そして、完全にマフラーが一筋の糸となった。
それは、ひとすじにあいつを想った私の心のようだった。