釣り堀
レイは、ディナータイム前に食堂で調理担当のみんなとまかないを食べていた。
ガチョウの燻製とパンとスープ。燻製肉はスモーキーなにおいが食欲を刺激し、パンもレイの開発した、もちもちでやわらかいものである。スープもガチョウの出汁が出てとてもおいしい。
食事の向上にレイは心の中でガッツポーズをする。
談笑しながらなので、レイにもオークがフレンドリーに話しかけてくる。
「レイ様。最近、勇者ってのが調子にのっているらしいですよ」
「勇者ねえ……どうせろくでもないやつだ」
レイは珍しく人を悪く言う。
するとオークはレイに強く同調する。
「そうなんですよー! なんでも三軒先の村で食料や物資を接収したんで、相当怒ってるらしいですよ」
どうやら勇者は強制的に物資を提供させているらしい。
ときには対価が払われることもあるが、おそらく今回は払われていないだろう。
代金が支払われてさえいれば、魔王軍から買い付けるからだ。
魔王軍はかつては以前は売るものがなかった。だが今はレイの生産改革で販売できる食料も現金もある。
ゆえに今は普通に人間の村と交易しているのだ。
「接収なんかしたら魔王城からの帰り道が地獄になるぞ」
強奪されるのがわかっているのなら、次に備えて食料を隠すのは当然だ。
信用も失うので売ってさえくれなくなる。
そこでレイは思いついた。
「近くの村がこちらに食料を売りに来るかもしれない。現金はこちら預かりにできるように販売部に言っておかなきゃな」
隠すとしたら、一番いいのが魔王軍に生産物を売り払って代金を預かってもらうのが安全だろう。
普通なら魔族に金を預けるなんて考えられない。だがレイが四天王になってからというもの代金を預かるくらいの信用を築いていた。なにせレイの命令で魔王軍側は契約遵守。人間の国よりも評判はいい。
「それじゃあしばらくガチョウ料理ですね」
今日のまかないも近くの村で仕入れたものだ。
ガチョウは警戒心が強い。知らない人を見たら大騒ぎする。
人間が住んでいる地域は治安がよろしくないため、村では番犬代わりに飼っているのだ。
『森の中にあるオークやゴブリンの集落の方がよほど治安がいいのに』とレイは思うのだ。
「たぶんアヒルも手に入るぞ。アヒルだったら、うちでも飼えるぞ」
「今度は鳥を飼うんですか。コボルトも仲間に引き入れないといけませんね」
「アリシア様に頼んでおくよ」
「レイ様。よく魔王様が恐ろしくありませんね……」
正体を知っているレイからすれば「どこに怖い成分があるんよ」といった具合だが、第三者から見れば違う様に映るようだ。
「アリシア様は鴨料理がお好きだから大丈夫」
実物を見たらアリシアたちは「こんなかわいいの食べられないよう!」と大泣きするので卵料理がメインになるに違いない。
ペット化は時間の問題である。おそらくペット以外のアヒルも沼で行う予定の栽培実験で害虫駆除に使うことになるだろう。
「……もし、なにかあればおっしゃってくださいね」
余計な気を使わせてしまったようだ。
「ありがとうよ。そうさせてもらうわ」
「あ、そうそう、勇者ですが……ミヒャエルって男らしいですぜ」
レイの目が一瞬鋭くなった。だがすぐに平静を取り戻し、おだやかな表情を作った。
「なんでも聖剣を持っているとか。怖いッスね」
「聖剣ね……。使いこなせるならいいけどな」
「さすがグレート・オーク王! パネエッす!」
レイは食器を持って洗い場に消える。
その間も貼り付いた笑顔を維持していた。
「とうとう来やがったか」
食器を洗いながらレイはつぶやいた。
◇
勇者。魔王を倒す力を持つ人類の希望。
人類の最強の兵器にして、産業に革命を起こした天才技術者。
これまで人類の繁栄を支えてきた存在である。
その発生メカニズムは不明。
貴族平民の差なく百年に数人ほどが世界に生を受ける。
勇者の特性は次代には継承されず、ゆえに一代限りの貴族として召し抱えられることが多い。
剣の王国と言われるメタリア王国では現在一人が確認されている。
と、説明をしたがレイには関係ない。今日もディナータイムまでの暇な時間を清く正しく労働するのだ。
レイは水耕栽培のついでに屋内に作った釣り堀で糸を垂らす。
たまの一人の時間。それは静かな時間。
「ぐうううううううう!」
白い犬がイルカのぬいぐるみを振り回す。
「わん! ぐうううううう!」
さらに振り回す。
「ぐうううう! ぐうううううううううう!」
ばんばん!
とうとうレイの背中を脱いぐるみで叩く。
「……アリシアちゃん。遊んで欲しいの?」
「うん!」
ぽん!
アリシアは少女モードになるとレイをじっと見る。
その目はキラキラと輝いている。
「釣り……やる?」
「うん!」
アリシアはご機嫌で釣り糸を垂れ、鼻歌を歌う。
なぜかレイの膝の上で。
「……アリシアさん。事案で通報されるので降りてくれませんか」
「やだー♪」
アリシアは狼である。
そのせいか基本的に誰かにくっつくのが好きだ。
最近では四六時中レイに寄りそっている。
アリシアはじいっと水面を見ている。
「そんなに気張ってもすぐにはかからんぞー」
それでもアリシアはじいっと見つめる。
すると竿がピクピクと揺れ、浮きが沈む。
「おりゃー!」
アリシアは元気いっぱい竿を引く。魚が水から飛び出した。
レイが放流したブラウントラウトが……釣れるはずだった。
だが水から飛び出したのは大きな口と鋭い牙を持つ魚、キラーフィッシュ。淡水に棲む大型魚類である。
魔物に分類する人間も多いが知能が低いため魔王軍の一員ではないし、実際はただの動物である。
だがキラーフィッシュはとてつもなく凶暴で、人間すら襲う。
さらに巨大な胸びれを伸ばし滑空することができ、飛び上がり上空から船に乗った人を襲うことすらある。
そんなキラーフィッシュが大口を開けアリシア目指して突っ込んでくる。
ぺしん。
レイがキラフィッシュを手で叩き落とす。
「なんでキラーフィッシュなんかがいるんだ?」
「入れてないの?」
「毒があるから入れてない」
キラーフィッシュの身は臭く、しかも毒がある。
骨も多く、ヒレは棘だらけだ。可食部など皆無である。
だから最初から排除してあるはずだ。
大きい釣り堀なので間違って稚魚が混入したという可能性はある。なんにでもミスはつきものだ。
だが……なにかがおかしい。
「一度水を抜いて調査するか」
「お魚さんどうするの?」
「……近くの村に出荷して余った分は食べてしまおう」
「おー!」
アリシアは拳を突き出す。
これで今のところは大丈夫なはず。
だがレイはなにか漠然とした不安を胸に抱いていた。