彷徨う……剣士
マリーはゾンビのように彷徨っていた。
マリーはレイが大好きである。いや明確な恋愛感情を持っている。
年上のお兄さんで小さなころからなついていた。ずっと憧れの人だったのだ。
両親は嫌な顔をしていたが、いつか結婚すると思っていた。
実際、陛下の命令で婚約が決まったときもうれしかった。
なぜか父親は「おのれ……この恨み忘れぬぞ……」と怨嗟の声を漏らしていた。
母親は「マリー……かわいそうに……あんな化け物に嫁ぐことになるなんて」と泣いていた。
意味がわからない。だってかわいいじゃないか。と彼女は思うのだ。
マリーは幸せだったのだ。
だからレイが家を放り出して宮廷料理人になったときも婚約破棄はしなかった。
生活が安定したら結婚する予定だった。
だからずっと迎えに来るのを待っていたのである。
魔王との戦争でいきなり千人将に任命されたときは、騎士として一緒に戦うことにした。
だけどあるとき、レイは取り返しのつかない罪を犯して奴隷に堕とされてしまったのだ。
彼女はあわてた。レイの身柄を取り返そうとあらゆる手を使ったが、レイはするりと手からこぼれ落ちてしまった。
自体が動いたのが数カ月前。レイが死亡したという情報が耳に入った。
レイが死ぬはずがない。絶対に生きている。マリーは確信した。
そして消息を絶った付近に行ったところ……普通に生きていたのだ。
だが、やっと見つけたと思ったら……すでにレイは他人のものになっていた。
マリーには致命的なまでに欠けているもの……「かわいげ」がそこにはあった。
そう、可憐な美少女がレイをマスターと呼んでいたのだ。
うらやましい。一度くらい旦那様と呼んでみたかった。
だがどうしても、どうしても、恥ずかしくてツンケンしてしまうのだ。昔から。
もっと素直でさえあれば……もしかすると今ごろ幸せ家族を築いていたかもしれない。
こんな有様だから盗られてしまうのだ。
「ふふふふ……もう……終わりだ」
マリーは自己完結していた。もう世界は終わってしまったのだ。
ふらふらと歩き、路地を抜け、酒場に入る。
「店主、一人になれる席はあるか?」
「おう姉ちゃん地下にあるぜ」
「すまん。酒を持ってきてくれ」
マリーはカウンターに銀貨を置く。
普通、庶民の行くような酒場では銀貨は使わない。
庶民は銭貨しか使わないのだ。
だが貴族のマリーはそれも知らなかったのだ。
だが店主は「両替面倒くせえな」と思いつつも素直に受け取った。
それほど異様な姿だったのだ。
マリーはフラフラと地下に行く。
土間にテーブルと椅子が置いてある。
マリーが椅子に座ると無愛想な店主が無言で葡萄酒とつまみを置いていく。
「あ、はははは。飲もうか……」
マリーは手酌で葡萄酒を飲む。
貴族としてはあり得ない姿である。
飲んでいるとつまみが足りなくなった。
「注文しに行くか……」
独り言をつぶやいて個室を出る。
だがそこに広がっていたのは長細い通路と石の壁。
天井が薄く光り、通路を照らしていた。
「くッ!」
マリーは夢見る乙女系のポンコツではあるが、優秀な剣士である。
すでに自分がなにかしらのトラップに引っかかったことを理解していた。
マリーは後ろを振り向く。
いきなりモンスターの集団に囲まれているといった状況ではなかった。
よく見ると床にかすかな魔力の痕跡がある。
これは人為的なものだ。ここも安全ではないだろう。
マリーは様子をうかがいながら脱出を図る。
音を立てないようにゆっくり歩き、角から廊下を確認する。
オークがいる。それも複数。装備は剣と槍。魔力を感じるから魔剣・魔槍のたぐいだろう。手強い相手だ。
マリーは腰の剣がないことに気づいた。なんということだろう。酒場に剣は置いてきてしまった。
マリーは絶望した。だが死ぬわけにはいかない。気づかれぬよう注意を払いながら先に進む。
通路の角に進む。
(一番発見されやすい場所だ。気をつけなければ……)
「今日のメシ、なんだろうな? 最近メシが美味くてよう」
「だよなあ……って、どうしてそこにうずくまってるの?」
前を警戒していたら後ろから来たオークに見つかってしまった。
死を覚悟したマリー。だがオークたちの様子は予想と違っていた。
「あー! そうか、新人が入ってくるって言ってたな。なんだ女の子だったのか。ほらほら、まずは食堂に行ってメシ食うぞ」
オークなのにやたらフレンドリーである。
「ほらほらこっち。他のダンジョンとはしきたりが違うだろうけど、慣れちまったらこちらの方が気が楽だからな。安心しろよ」
なんだかこのオークたちからはいい人オーラがあふれ出ている。
やたらと親切だ。それも親切を装った気配はない。
一瞬迷ったがマリーはオークたちについてくことにした。
階段を上がり、辿り着いたのは食堂。
オークやゴブリン、ダークエルフやリザードマンまでもが談笑しながら食事を取っている。
「な、なにこれ……」
「すげえだろ。この食堂はオークキング様の発案よ。金は取られねえから好きなもん頼みな。見たところダンジョン勤務だろ。冒険者にやられたフリして撤退ってのはハードワークだもんな。ちゃんと食え食え。俺が取ってきてやるからそこで座ってな」
マリーを連れて来たオークの片割れはそう言うと席を立つ。
マリーはそれを見て手に汗を握った。
つまり、このダンジョンは冒険者を最初から相手にしていない。
このダンジョンのオークたちは高度に組織化されている。
仲間意識も強く、民度も高い。
冒険者程度では勝てる可能性はない。
一体なにが起きているのだろうか?
「あ、あの。冒険者から撤退したらどうするんですか?」
「おう姉ちゃん。そこまで聞いてなかったのか。お前さんらが撤退すると、奥に見た目は派手だけどなまくらの剣が入った宝箱があるんだわ。それを取って気をよくした勇者たちが周辺の村で散財するんよ。周辺の村や街の物資は俺たちが卸しているから大もうけっていうことだ」
悪辣すぎる。だが、同時に誰も死なない計画だ。
だがこの話を聞いて、マリーの中でとある人物の顔が浮かぶ。大好きな元婚約者……レイである。
マリーはなんだか嫌な予感がした。
レイならこの程度のことは成してしまうに違いない。
そのときだった、ドーン、ドーンと音がする。
音の方を見るとゴーレムが歩いている。
ただのゴーレムではない。古代文明の遺産クラスの兵器だ。
ゴーレムと一瞬目が合った。ゴーレムは小首を傾げる。
そのままゴーレムはマリーのところにやって来る。
「ガガガガ……マリー? どうしてここにいるの?」
女の子の声。それはレイと一緒にいた少女のもの。
「……ま、まさか!」
予感は確信に変わった。




