第5話 新生柊矢
「柊矢~」
「なんだよ」
「柊矢~」
「いや、なんだよ」
「しゅうy」
「てめえ表に出ろ」
「おいおい、待ってくれよ。俺ら親友だろ?」
「親友を盾に使うな。むしろ親友だからこそボコボコにしていいみたいな風潮あるだろうが」
「ちょちょちょ! ごめんて! 謝るから! 謝りますからその右手に握られた物騒なトンカチを仕舞って下さい!! ってかどっから持ってきたし!」
「鞄の中」
「四次元ポケットかよ……なにえもんなんだよそれ……」
今日はクリスマスだ。と言っても俺は受験生だからそんなものを堪能している暇はない。やるべき事は山積みだ。英単語に文法、数3に物理に化学。山積みといってもそんじょそこらの山では無い、富士山レベルの山……。
だが、勉強していると気が楽だ。何もかもを忘れて没頭できる。何も考えずにペンを動かし、ただ問題を解くだけで達成感に浸れる。そうして、何かをやり遂げた気になれる。
そう――何も考えずに……
「まーたその顔かよ」
「あん?」
寿光が唐突にそんなことを言い始めた。
いつものふざけた態度は無く、代わりにあるのは真剣な眼差し。
「そりゃあどういう意味だよ、寿光」
「柊矢さぁ……最近、明らかに変だよ。溜め息も多くなったし笑わなくなった。何より……心を閉ざしてる、そんな感じがする」
「勉強のしすぎでストレス溜まってんだよ」
そう、冗談めかして参考書に視線を戻す。
自分でも分かっている。これは逃げだ。
寿光から逃げるように視線を外す。心臓は心を悟られないようにバクバクと鼓動を打つ。まるで、大きな音を立てて自分の本心を誤魔化そうとするように。
「なぁ」
「……おう」
「俺にはなんも言ってくんねえのかよ」
「……何のことか分かんねえって言ってるじゃねえか」
「……お前はそれでいいのかよ」
痛いほどの静寂が訪れた。
時間の経過と共に、その言葉が俺の中にある感情の堤防に少しだけひびを入れる。そのひびから這い出てこようとするのは――どす黒い感情。
よく言えば人間らしい、悪く言えば浅ましく穢れた感情。
自覚があるが故に反発してしまう。自分の感情をコントロール出来なくなる。
あっと思ったときにはもう遅かった。口に出していた。
「お前には関係ない」
――――しまった。
そう思った。
恐る恐る、寿光の顔を見る。寿光はとても驚いていた。だが、一瞬にして膠着した表情を破顔させると「なんだよ、わかってんじゃん」と白い歯を光らせた。
「……すまない」
「いいんだよ、長い付き合いじゃねえか。お前の考えてることくらいお見通しだっての」
「……そう、か」
寿光の言葉はきっと嘘ではないのだろう。あいつは俺の考えることが分かっている。今さっきの言葉だってそうだ。自分でも自覚しないようにしていた俺の感情を――。
「なぁ寿光」
気がつけば、寿光の名前を呼んでいた。まるで、元々そうなることが決まっていたかのように。仕掛けられていたように。
「うん?」
「俺ってさ……間違ってるのかな」
「さぁ? 俺にはわかんねえよ。そんなのは女神様にでも聞いておけ。……けど、柊矢なら分かってんじゃねえのか」
「……だな」
どうしたら良いのかわからず理奈と別れたあの夏祭りの日。
俺にとっては、そこが限界だった。大学受験を志したあの日から理奈のことばかり気にしてはいけないと、自分の夢が途絶えてしまうと、そう考えていた。
だから、理奈と別れてしまえば受験勉強に集中できると、そう思っていた。
今思えばなんてバカバカしい考えなんだ。過去に戻れるのならあの時の自分を殴って言ってやりたい。それは取り返しの付かない事態を招く。一番後悔するのはお前なんだぞ、と。
結果だけ言えば別れた翌日から勉強に集中できるなんて、そんなことはなかった。翌日も、またその翌日も……夜の帳が降り、そして来て欲しくない重々しい朝が来るたびに理奈のことを思い出しては――涙を流していた。
俺が間違えた――そのことを認めたくなくて。
失ってしまった――そのことを認めたくなくて。
大切な人を傷つけてしまった――そのことを認めたくなくて。
それでも、朝は同じようにやってきた。全ては自業自得だと、俺を責めるかのように。いや、きっとそれですら受け入れていたんだろう。そうやって自分が苦しむことで少しでも罪悪感を打ち消して、謝っている気になっていたんだろう。
これではただ、独りよがりに自己満足して、自己完結しているだけではないか。
何が夢のためだ。
あぁ――俺は間違ったんだ。
そう、自分で認めた瞬間、俺の中で何かが爆発した。バキバキッと何かが崩れる音がした。
そこから莫大な感情が流れ込んでくる。電流が走るように、ビリビリと。
自分でもわからない。そこから溢れてくる感情がどんな感情なのか。
怒り、悲しみ、虚無、失望――――いや、どれでもない。
この感情の名前はわからない。どんな感情に似てるのか、それすらもわからない。ただ、ぽっかりと空けられた心の穴を塞ごうと、途方も無い程のエネルギーを持った感情がそこに流れ込んでいた。
だからこそ、これだけは分かった。
これは、俺が今まで溜めていた理奈へぶつけるはずだった感情なのだと。
「なぁ、寿光」
「おう」
「俺、まだやり直せるかな」
「……お前のやりたいようにやれよ。俺はそれを全力で手伝うだけだからさ」
「……そっか。そうだな。……――寿光、相談がある」
答えは前から決まっていたはずなのに、だいぶ遅れてしまった言葉を寿光へ投げた。力強く、想いが一滴たりとも零れてしまわぬよう。
俺のはっきりとした声音を、寿光はドヤ顔で受け止めていた。
「おう、待ちくたびれたよその言葉」
予定調和という言葉がある。「既に決められていたかのように物事が進む様子」という意味だ。今の寿光の言葉は予定調和そのものだった。俺がどんな思いで過ごしていたのか、こいつには分かっていたんだろう。
……ちゃっかりしてて抜け目のない――お節介な親友だよ、お前は。
寿光が肩に手を回してくる。
今回くらいは振り払わずに俺も寿光の肩に手を回すことにしたのだった。