第3話 目覚ましビンタ
「柊矢……」
無意識に、そう呼んでいた。
呼んでもあいつが戻ってくることはない。あの時――近くにいても届かなかった言葉がこんな遠くから届くはずも無かった。
今日は恋人達の賑わうクリスマス。しかも、珍しく雪の降るホワイトクリスマス。いいや、恋人がいない人でも楽しんでいるはずのクリスマスだ。けど……私には何も出来ない。何もない。何もやる気が起きない。
友人に誘われたクリスマスパーティーも断った。今行っても笑いのネタには出来ないと自分で分かっているから。友人達にもきっと気を遣わせてしまうだろう。だから、これで良かった。
自分にそう言い聞かせ、頭に降って湧いてくる柊矢との思い出をどうにか振り払う。しかし、それでも消えない。
湧いては弾け、現れては砕け――それはまさにシャボン玉のようだった。
お互いに意識し始めた二年の冬。三年でのクラス替えで一喜一憂したあの時も大切な思い出だ。文化祭に体育祭。その全ての思い出が私を構成していると言っても過言では無い。それに極めつけは夏祭り。いつもみたいに、笑顔で過ごした最期の思い出。そして、私が私ではなくなった、最初の時。
ドロドロとした沼に沈んでいくような白昼夢を見ているのだと錯覚した。あまりに鮮明に思い浮かぶものだから。
そんな、深い深い感傷に浸っている時だった。
「理奈~」
母の一声が一気に現実へと連れ戻した。
「お友達来たわよ~」
「はーい……って――えっ?」
友達…? 誰だろう。恋人がいない友人で……しかも暇な人…。みゆりは……ないな。あいつは彼氏持ちだ。……くそう。忌々しい。男共め、見てくれに騙されおって。奴の本性を知ったとき震え縮こまり上がればいいわ!!
そんな事を心の中で大きく叫び、襲来者を待つ。やがて、足音が近づきドアノブが捻られる音がした。
「ちょっと。今あんた失礼なこと考えてたでしょ」
「え、みゆり?」
ドアを開けて開口一番、そんなことを言った人物は誰であろうそのみゆりだった。
「あ、あんたデートは? 今日がなんの日か分かってるの?」
「そりゃ~聖なる一日クリスマスでしょ~? 恋人のいないあんたでも「キリスト様万歳~!」って大声で叫べば立派なクリスマスよ。それに? 私の力にかかればクリスマスなんて複製出来るし?」
「複製ってあんた……」
無茶苦茶なことを言い出した友人に思わずどん引き。この言い草から、クリスマスの予定をキャンセルしてこっちに来たのだろう。
まさに、破天荒。いや、礼儀しらずと言うべきなのか。驚きのあまり上手い言葉が見当たらない。
何やってんの。あんた予定あるでしょ? 今すぐ行ってやんなさいよ。
やっとの思いで口にしようとしたその言葉は遮られた。もはや、食い気味に放られたみゆりの一言によって。
「どーーーせ理奈は家に寂しく一人で黄昏れてるんだろうな~と思っただけだよ」
言葉の裏に隠されているもの――それはきっと、お節介という名の心配。
やっぱり……敵わないなぁ。全部、わかっちゃうんだね……。
「勿論全部わかるよ~?」
「テレパシー使うのやめてよ。……本当に心が読めるわけじゃないよね?」
そういって、お互いに笑い合った。今までの悩みなど全て忘れて。
ここ最近で一番幸せな時間が、そこにはあった。
しかし、そんな時間はすぐに崩壊した。
バッチーンッ!!
私が、その笑顔のまま強烈なビンタを食らったのだ。それも、ここ近年希に聞く程いい音の。
ビンタを放った人物は勿論みゆり。そのみゆりはというと、とっても良い笑顔でビンタを放っていた。それはもう清々しい程に。
お互いに笑い合いながら、一方的に私が殴られる暴力沙汰という謎の状況が完成。当然のようにその場は妙な静寂に包まれた。