第1話 天使の住まう町、柳田
私の住んでいるここ、柳田町は九州の南部に位置する小さな街だ。本当に、何も無い小さな街。町長によれば天使の住まう町、だとか言われているらしい。正直客呼びにすらなっていないそんな宣伝、やめてしまえば良いと思うのだけど……
人口は1万人も満たず、小学校、中学校、ましてや高校までも選べることはなく、各一校舎ずつ存在するのみ。
柳田小学校、柳田中学校、柳田高校となんの捻りもない名前の学校で、何の変哲も無い、どこにでもあるような学園生活を送ってきた。
そして気づけば17歳。高校三年生。社会に出る一歩手前の学年だ。
うちの学校からは少ないけど受験をする人。そして多数派の就活する人。皆が皆自分のことを考え始め、各々の将来を意識する。そんな時期だ。
とは言ってももう木の葉も落ちきった12月。私のようにのんびりとしている人間なんて逆に珍しい。私の希望は一応進学。勉強しなくても行けるような専門学校に進路が決定していて、何をしたいわけでもなく、目標にするものも無く、ただただ無気力な生活を送っている。
私、水森理奈はそんな人間だ。……いや、少し前までは――
――少なくとも、半年ほど前まではそんなことは無かった。
所属していたバスケ部でもインターハイ出場、そして同時に引退を賭けた、手に汗握る熱戦を繰り広げた。まぁ……自分で手に汗握る、とか言うのはどうかとは思うが……。結果は惜しくも1点差で負け。涙を呑む結果となった。
でも、充実してたんだ。あの頃の私は。
それが……あの出来事をきっかけに――
「り~~なっ!!」
「うわぁっ!?」
教室で黄昏る私に後ろから飛びつくように抱きついて、徐に胸に手を伸ばしてきたのは私の友人、佐野みゆり。私を見れば抱きついてくる変態だ。腰辺りまで伸びるロングヘアーに、頭のてっぺんからぴょんと伸びたアホ毛がチャームポイントで、腹が立つことになんとも可愛い。
「おほ~?? また成長してますな~? このこのぉ!!」
「ちょ、やめてよっ! くすぐったいからっ! ちょっやめっキャハハッ」
「うりうり~」
「ちょっほんっっほんっとにやめてっ! やめっ! やめろコラァッ!!」
「きゃ~! 理奈がキレた~!」
本当に調子の良い奴だ……あれで運動も出来て頭もキレるもんだから世の中分かったもんじゃない。神は二物を与えちゃうんです…。……ダメだ。無性に腹が立ってきた。
「あんたね……いつもいつも飽きないわけ?」
「飽きる? 何に?」
「だから~、その、私のむ…胸揉んだりとか」
「プププ~! 胸って言うくらいで恥ずかしがってる理奈もか・わ・い・い!!」
込み上がってくる怒りをなんとか鎮める。
いつもいつも相手にしたらみゆり(あっち)のペースになるんだから。落ち着け私。私は理奈。周りよりもちょこっとだけ大人な女。
そう自分に言い聞かせ、大人の対応を見せつけようとした。
「あんたねぇ……」
「ん?」
――少しは大人になりなさい。
その言葉は喉元で引っかかり、表に出て行くことはなかった。
きっとこれが、私の知らないところで彼女なりに考えた結果だと思うと……言葉が出てこなかったから。
「……んーん。やっぱりなんでもない」
「……そか。元気出た?」
「お陰様でね」
「ならよかった」
やっぱり本当に大人なのはみゆりの方なんだろうな……。
私はそんな尊敬の念が入り交じった眼差しを親友へ向ける。親友はその視線ににっこりと快活な笑顔で返した。
きっと、全て見透かされているのだろう。
「でもさ、あんまり気にすること無いと思うよ~?」
「……なんで?」
「ん~? 天気予報よりも当たる私の勘。そこらのアメダスより精度いいよ?」
「もういっその事地面に埋まってアメダスになっちまいなよ」
「何それひっど~い。もう泣いちゃうもん。私の号泣はライオンも同情して餌差し出してくれるくらいの号泣だからね。覚悟しなよ?」
「多分それは同情じゃなくて恐怖……」
「おっと口を閉じようか。お姉さん、勘の良いガキは嫌いだよ」
みゆりはそんな理不尽を吐きながら「まっ、理奈なら大丈夫!」と根拠のない断定をした。彼女の中では納得がいっているようだ。その証拠にうんうんと何度も頷いている。
「理奈はさ、色々考えすぎだよ。振り返るな! お前の未来は未来にある!」
「まぁ、未来が未来になかったらどこにあるんだって話になるからね」
「もぉ~可愛げがないぞぉ~?」
「はいはい、知ってますよ~。ほら、今日も塾があるんでしょ。遅刻するよ?」
「あ、今私のこと追い出そうとしてるでしょ。五月蠅いからって追い出すつもりでしょ!」
「え、そうだけど」
「みゆりちゃん大ショック……もう天使様に言いつけてやるんだもーん。罰が当たってもしーらない」
「天使って天罰とかそういう系だっけ……?」
みゆりは大袈裟に手をおでこに当て、「あぁ~…」と呻き声を出しながら崩れるようにして地面にへたりと座り込んだ。……私の顔をチラチラと窺うようなことが無ければ面白いだけで済むのだが。
私がジト目でその様子を見つめていると、これ以上私からの反応が無いと分かったのか、すっくと立ち上がった。そして「じゃ、頑張らない程度に頑張んなよ」と言い残し、教室を出て行った。
訪れる静寂。先程までとは打って変わった空気に、私は安堵とも切なさとも言えない溜め息を零した。
そうして、再び私の悪い癖である黄昏が始まったのだった。
――――あぁ、可愛くないから振られたのかな。