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哀愁カニバリズム  作者: 原田昌鳴
5/18

【5】


 じつは梶川、カメラやビデオが詰め込まれた重い荷物とトゥクトゥクの運転のしすぎで腰が痛いらしい。梶川の腰を考慮して船内では小綺麗な椅子の並ぶ二等船室ではなく、フラットな床の、まるで柔道場のようなだだっ広い三等船室の一角を陣取ることになってしまった。見渡すと労働者らしき作業服の男や、梶川と同じく腰の痛そうな老人たちばかりで旅行者らしい者は誰一人いない。しかも彼らの顔にはどこか南国特有の、肌に染みこんだような黒さと彫りの深さがあって、彼らがM島の島民、または縁の深い人間であることがその佇まいから知れるのである。

 さっき船員から威嚇を受けた自分には、それらの人間すべてがなにかを隠しているように見えてしまうのであるが、事実、彼らは先ほどから自分たちのことを目尻にかけ、しきりに気にしているのがわかる。こんな島民だらけの三等船室に島民らしくない旅行者がいることが目立つのか、それともすでに島の秘密を暴こうとしている取材班であることが知れているのか。とにかく彼らは我々と常に一定の距離を保っていた。

 船に揺られること三時間。

 窓外にM島の島影が見えてくると、計ったかのように雲行きが怪しくなってきて、瞬く間に外は豪雨に変わった。岩肌がむき出しになったM島の島影は鬱蒼とした霧に覆われており、いかにも不気味であり、我々を受け入れないと眉をひそめているようであり、生け贄集落民の権現らしく思えてきたりするのだった。

 フェリーがどんぶらこ、どんぶらこ、と自分の動揺を代弁するように港に接岸。先に降りておいて、と梶川が言うので自分は遠慮無く下船し、さびれたようなターミナルの中でしばし休憩。外の豪雨を眺めていると、先端が上に大きく開いたフェリーから至極目障りなものが滑り出した。

 そう、梶川のトゥクトゥクである。

 自分は「しまった」と思った。梶川、こんなに派手な三輪車でこの島を疾走し、そのまま潜入取材をするつもりなのであろうか。これじゃまるで潜入にならぬではないか。というか、すでにフェリーから下船した乗客たちは、この異様な、日本的情緒のまるでない派手な三輪車に注目しており、中には携帯電話のカメラで撮影する者までいるのであるが、どうしたことか、彼らの顔には笑顔がまるでない。これは紛れもなく警戒心の現れに他ならぬ。しかも梶川、この三輪車に乗ると人格が変わるらしく、すでにうひょーっと発狂を始めてしまっていた。潜入取材のしょっぱなにもの凄い印象を島民に焼き付けてしまったのである。

 島特有の潮風に乗って豪雨が横から降り荒んでおり、トゥクトゥクの幌などまるで意味が無く、その幌すら吹っ飛んでしまいそうだ。無神経な梶川はこの豪雨の中トゥクトゥクの後ろに自分を乗せ、市街地を目指して走り出した。梶川はカッパを着ているから良いが、自分などターミナルでもらった青いゴミ袋を切り抜き、頭一個出してかぶり、非常に情けない姿なのである。暴風雨で裾がパタパタとはためくのである。

 走っていて気づいたのであるが、この島にはまるで平地というものがないようで、先ほどの港を出てからたったの十分走っただけなのに、海は遙か下方に見え、ガードレールの下は断崖絶壁。このような様相からして異様な島である。

 その後、三十分も豪雨に打たれやっとこの島一番の市街地に着いたが、そこも淋しいもので、小さなガソリンスタンド、暇そうな交番、二階建ての役所、小学校兼中学校、商品がガラガラの商店、民宿が数軒。あとは民家がひっそりと並ぶばかりで、郵便局すら民家を兼ねている始末。天気のせいもあろうが、人気もまるでなく、梶川のトゥクトゥクすらモノクロームに見えてくる。

 とりあえずはゆっくりしたい、結局朝からなにも食っていないので空腹が甚だしく、風呂にも入りたい、ということで梶川を促すと「わかってるわかってる、宿行こ、宿、ウッホッホ」。

 今夜から三泊する宿はその市街地の外れにあったのであるが、なんと嬉しいことか、そこは淋しい町に似合わぬなかなか豪華な外観のホテルで、外にはテニスコートがあったりグランドゴルフの芝コースがあったり、ロビーには誰のか知らんが芸能人のサインが飾ってあったりと、もしや梶川の吝嗇は、すべてこの豪華なホテルに泊まるための節約に過ぎなかったのではないか、なんだ、やっぱり有名ライターは違うじゃねえか、と自分は温かい気分に浸された。

 水滴をボタボタこぼしながらも、カッパの梶川とゴミ袋の自分は勝者の面持ちで颯爽とフロントに向かった。

 が、なぜかフロントの姉ちゃんは、

「梶川さん? ええっと、本日のお泊まりで予約なさってるんですか? えええ、ちちち、ちょっと待ってくださいよお」

 などと言い、慌てた様子で宿泊名簿らしきノートをめくりめくりしているが、一向に落ち着かず、仕舞いには、

「か・じ・か・わ、さん? ですよね。か・じ・か・わ・ま・ん・ぽ? まんぽぉ? ええっ、なにそれぇ? 本当に予約なさってます? 本当ですか?」

 と、訝るように梶川の姿を目で舐める。梶川はこのような場合にもあの不快な笑いをやめず、

「オッホッホ、予約したよ、一週間ぐらい前に電話で。オッホッホ」

 と上機嫌である。

 フロントの姉ちゃんは宿泊名簿、梶川、ゴミ袋の自分、そして表に停めてある派手な三輪車の順で何度も目を巡らす。埒があかん。しかし自分にはこの姉ちゃんの気持ちがわからないでもない。我々、このホテルに泊まるような客に見えないに違いない。怪しいに違いない。梶川もそれに気づいたのか、最後の手段とでも言いたげに鞄をごそごそやり、自らの著書である文庫本『漫歩のウホウホ漫遊記 ~東南アジア編~』を取り出し大きく掲げた。この梶川の著書は題名に「漫歩」と梶川自身の名前が冠してある。これは名前だけで本が売れるというような、言ってみれば限られた人間しか許されない題名なのである。つまり梶川がこの著書を掲げたのは、自分は著名なライターである、ということを、この島の姉ちゃんに誇示し、なんだったらついでに尊敬してほしいと思っている証拠であるはずだった。けれども、ああ、けれども姉ちゃんは目をぱちくりさせただけで特にそれに反応することはなかった。

 梶川にはそれが悔しかったようで、ついには駄々をこねるガキのような口調で姉ちゃんに詰めより始めたのだった。

「なんなのよ、なんなのよ、ちゃんと予約したのに、どうなってんのよ、僕、怒っちゃうよ、ちゃんと三泊予約したんだもん、本当だもん、三泊九千円だって言ったじゃん、どうなってんのよ、このホテル、怒っちゃうよ!」

 姉ちゃんが反応したのは、もちろん「三泊九千円」という箇所である。このホテルが一泊三千円であるとは、ゴミ袋をかぶった自分ですら悪い冗談だと思うのである。

「お客様、まさか、バンガローじゃあ……」

「そうよ、バンガローに決まってんじゃん」

 姉ちゃんは安堵から目を丸くした。自分は驚愕し眼球が飛び出そうであった。バンガローとはどういうことであろうか……。

「なあんだぁ、バンガローのお客様ですかぁ、どうりで名簿にないわけよ!」

「そうよ、バンガローよ。僕ちゃんと言わなかった?」

「おっしゃりませんでしたよぉ。もぉ~」

 姉ちゃん、中指で梶川の肩を小突く。ウォッホッホ、と梶川も機嫌を直す。自分、固まる。

 姉ちゃんに訊くと、どうもこのホテルはバンガローを完備したキャンプ場も経営しているらしく、自分たちが泊まるのはそこ、そしてそのキャンプ場はこの市街地から再び来た道を二十分ほど戻った崖の麓にあり、コインシャワー完備、コインエアコン完備、ガスコンロは自由に使え、三戸ほどあるバンガローの宿泊客は三日ともお客様たちだけなので快適ですが、夜はちょっと怖いかも、と抜かし、笑顔で「近くには食堂も商店もないですから」と加える。

 この姉ちゃんに罪がないことはわかっている。が、こう笑顔を向けられるとなんだかむかつくのである。しかしこの姉ちゃんよりもむかつくのは、そう、吝嗇野郎、梶川漫歩である。

 笑顔の梶川と引きつった顔の自分を乗せたトゥクトゥクは、再び豪雨の中を走り始めた。パタパタパタパタと青いゴミ袋の裾ははためいて、自分の心を焦らせた。


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