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哀愁カニバリズム  作者: 原田昌鳴
4/18

【4】


 テンションの高い梶川とは違い、港までの一時間の道のりをなんだか気恥ずかしく過ごしたのは、今回の取材の詳細を知らないからだ、と自分は気づいた。はっきりとした目的を知っていれば体中から自然と勢いがみなぎるはずである。

 そこで、発狂の余韻を残したままM島行きのフェリーにトゥクトゥクの積載手続きをしていた梶川のところに行くと、受付のおばちゃんとなにやら揉めていた。どうやらこのトゥクトゥクという乗り物がなんなのかわからないので、商船会社がすんなり積載許可を出してくれないということらしい。待合ロビーに置かれたM島航路のチラシを見てみると、我々が乗る八一八トンのフェリー、ニューM島丸の紹介欄に『汽船・旅客船兼自動車航送船』とその使途が書かれていた。トゥクトゥク航送船とはどこにも書かれていなかった。揉めるわけである。

 数分後、告訴やら名誉毀損やら器物破損等の言葉を並べ立ててようやくおばちゃんを丸め込んだ梶川に、今回の取材の詳細を意気揚々と訊ねてみた。すると、

「シッ、ここからはその話を大声でするのはタブーよ、イッヒッヒ。まあご飯食べよ、ご飯、オッホッホ」

 と言ってはぐらかす。確かに腹は減っていたので、それに同意して辺りを見回したが、港には食堂らしきものもなければ売店のようなものも見あたらなかった。

「どこで食うのよ、おっちゃん」

「あるある、あるよ、むすびが」

「むすび?」

「そう、良い塩使ってんだから。オッホッホ」

 港のはじっこ。紺碧の海に足を投げ出すようにして座った中年前の自分と初老の梶川。大型リュックの中から梶川が出したのは、ラップに包まれた、他の荷物に圧迫されて変形したおむすびである。海苔すら巻かれておらず、ただ白米を丸めたに過ぎない。しかもでかい。自分が食う気をなくしたのは、見た目の味気なさよりも、それが梶川のぬめぬめの手によって握られたことが一目瞭然だったからである。

「おっちゃん、これ、いつ握ったのよ?」

「東京から鹿児島に行くフェリーん中。甲板でぐつぐつ炊飯してさ、天然の塩使って。さすがに天然の塩だからね、海苔すらいらないの。下手に海苔なんかくっつけちゃうと逆効果なのよ、イーッヒッヒ!」

「天然の塩ってそれ、まさか海水かい?」

「そうよ、これこれ」

 梶川はむすびの型を丸め直しながらそう言い、どんよりと揺れる目の前の海を指差すのである。

「これこれって、おっちゃんどうやって取ったのよ、すくったのかい?」

「君はもっと頭を使わないと。あんな面白い本書くんだからわかるでしょ。これよ、このタオルを一晩甲板の欄干に掛けておいたら、朝になったら自然と海水含んでるわけよ。それを絞って握るわけ。わかる?」

 その白いタオルは、現在梶川の首に巻かれていて、梶川は先ほどからそれで顔や首、背中のぬめぬめを拭いている。渡されたむすびの生温かさと、ぬめぬめ、タオルが含んだ海の塩と汗とが頭の中で溶け合って、吐き気がした。

「おおっと」

 手元が滑ったように装ってさり気なくむすびを海に落っことすと、ぼちょっ、という寂しい音を立て、白いむすびはあっけなく碧い海に呑み込まれていった。

「ああ、もったいないじゃない! せっかく握ったのにさあ」

「おっちゃんがまん丸に握るからいけないんだよ。あ~あ~、海に帰っちゃったな」

「しょうがないなぁ」

 梶川は頼んでもいないのに己の分を二つに割って、片方を自分に手渡した。もはや自分はむすびを持つだけで寒気がする。米粒と皮膚との接地面をなるべく少なくするために掌をぴんと広げ、食えないまま凝固していると、梶川は周囲に誰もいないことを確認し、テンションの高い口調から一転、顔を寄せ、ぼそぼそと低い声で語り始めた。

「じつはね、これから行くM島のある集落にね、イッヒッヒ、おかしな風習が残ってるのよ。あんまり大きな声じゃ言えないけどさ、イッヒッヒ、そこの集落……」

「なによ」

「人を喰うらしいのよ」

「え?」

「だからぁ、人を食べるの」

「はっ? なに? どういうこと?」

「イッヒッヒ、つまりさ、そこの集落では儀式として、昔から人を喰ってんのよ。生け贄、生け贄、カニバリズム、オーッホッホッホッ!」

 この大男はなにを言っているのだろうか。

「いやいや、意味わかんねえ。生け贄っておっちゃんそりゃあ、殺してるわけかい?」

「僕が調べた限りではそうだね。殺してるね、間違いなく」

「殺すって、え? そら殺人じゃねえの?」

「そういうことよ。だから秘密裏にやるわけよ。年に一回の祭りん時にね。関節を鳴らすだけじゃ罪にならないけど、人を殺して喰っちゃあ犯罪よ。オーッホッホッホッ!」

 梶川は再び昂揚し始め、己の肉を喰らうようにぬめぬめのむすびを頬張った。

「なんでそんなことするの?」

 訝る自分に梶川は口をもぐもぐしながら一笑いし、いかにも楽しげな様子で語り始めた。

 梶川の説明を要約すると、

 五十平方キロメートルの面積に人口千五百人を有するM島の、山間にぽつんと孤立するある集落は、江戸時代に島原から流れてきたキリシタンの集落だったのだが、弾圧から逃れるために自ら孤立を選び信仰を守ってきた集落であって、近親相姦、血縁結婚までしてキリシタンであることを隠してきた、オッホッホ、なるべく外部との接触を避けたい彼らは、自給自足で生活を成り立たせていたのであるが、なにしろ村は山間の急な傾斜の中にあり、しかも島自体の地盤がほとんど岩盤であるために農地に使える土地はわずかしかなく、水もなく、農作物といってもたかが知れていたのだ、オッホッホ、ただでさえそんな状態なのに、台風や飢饉なんかがあると、あらら、もう大変、そこで信仰深い彼らは独自に豊年祈願祭を行うようになり、その祭りの中で、病床にある村人や知恵遅れの子供を生け贄として天に差し出すことにした、「どうか、こいつを差し上げますんで、なにとぞ、なにとぞ天災だけはご勘弁を」と、もうキリスト教なんか関係なくなり、土俗化の一途を辿り、独自の宗教になっちゃった、それが今も残っている、なにしろそれ以来天災らしい天災もないもんだから、生け贄の儀式をやめられなくなっちゃったのだ、今では信仰の自由があるものの、さすがにそんなことやったら殺人だよね、法治国家だもん、イッヒッヒ、そこで口封じのために、連帯責任ってことで、いつからかその生け贄を村人全員で喰うようになった、オーッホッホッホ!

 ということなのである。

「みんな共犯者にしてしまえば誰も外部に漏らす者はいないわけ。自分も喰っちゃってるんだから」

「不気味だね。で、その祭りが今週末にあるわけね」

「おそらくね」

「ところで自分はなにすんの?」

「君はなにもしなくていいよ。フォローしてくれりゃあそれでいいの」

「だからフォローってなによ」

「横にいてくれればいいの。僕はビデオ撮ったり写真撮ったりするから、その横にいてよ。簡単でしょ? それで金がもらえるんだから良い仕事だわ」

「ああ、そう、それでいいの。そりゃ良い仕事に違いねえや」

 自分のこの仕事でのギャラは五万円である。三日間梶川の横にいるだけで五万円。しかも宿代、飯代はすべて梶川持ちなのだ。

 しかしそれならば梶川一人でやるほうが効率的ではないか、と単純な疑問が浮かんだので訊くと、そのような秘密結社であるから、調査、取材などしていると拉致される可能性もある、現に去年、知人の学者がこの島に行ってから帰って来ておらず音信不通のままである、しかしこちらが二人であると機動力が拡散し、向こうも拉致がしにくいわけだ、それだけで君がいることの意味は大きいのである、と梶川は言った。なるほど。

 生け贄、殺人、人肉喰らい、と聞いて多少気味が悪くなったのも事実だったが、まだまだ自分は余裕であった。M島の生け贄集落も昔はそれに近いものもあったかもしれぬが、グローバリズムなどと提唱している昨今において、そんないかがわしいことが存在するはずがない。不作が怖いからといってそこまでするはずがない。しかもここは日本。豊かな豊かな日本。わざわざそんなことしなくてもスーパーがあるじゃない。いくら不作ったって、スーパーに行けば米ぐらいあるよ。タイランドなどからも輸入しているよ、と。

 すると梶川、

「でもさ、本当の動機を考えるとね、僕はこう思うのよ。人間の肉が、じつは旨いんじゃないか、とね。だからやめられないんじゃないかとこう思うわけよ。イッヒッヒ」

 と奇妙なことを言う。

 人の肉が旨い? 確信犯として人間を食べる? そんな思想は悪ではないか、確実に。

 しかし世の中には、このような正義の価値観をも凌駕するものが存在する。そう、「欲望」である。またこれ、人間という生き物は旨い物に目がないのは言うまでもない。とすると、梶川の言うように人の肉を喰いたいがために人殺しをやっちゃうなんてことも充分考えられるんじゃないの? 人の肉が旨いってことを知っちゃった美食家ならば、やっちゃうんじゃないの?

「ホ、ホ、ホントにそんなことやってんの?」

「おそらくね。ただし、疑問点もないではない。病人や知恵遅れがいない時はどうするのか、ってことね。集落っていっても、なにしろ世帯数が少ないんだから」

「そう。そうだよね。やっぱ単なる噂だよ。だいたいさ、そんな山奥の小さな集落に美食家がいるわけねえよ。それに、ホントにそんなことやってるんだったら行くのヤだよ。気味悪ぃったらねぇ」

「意外と臆病者だね。もっと楽観的な人間なのかと思ってたけど、オーホッホッホ」

「チッ」

 大の字で後ろに寝ころぶと、左手からむすびが転がった。その転がった先に、汚い長靴があった。寝転がったまま目を上に向けると、そこには白いあご髭の、肌の奥まで日に焼けたおっさんの顔があった。晴天に細めた目がぎらついている。

「あんたら、船出るぞ」

 船員らしきその男に促されて立ち上がった自分と梶川が、転がったむすびに気を留めることもなく「ああ、そうっすか、へへへ」などとつぶやいていると、我々を急かすように船の警笛が鳴った。

 この船員、いつから我々の後ろにいたのであろうか。もしかすると、我々の話をすべて聞いていたかもしれぬ。気味が悪い。男の目が、知られてはいけないことを隠すあまり威圧的になっているように見える。自分は身の毛のよだつ思いである。

 のそりのそりと歩き始めた我々に、男が「うぉい」と声をかける。ほらきた。

「あんたら、M島になにしに行く、旅行か」

 自分は出来る限りの笑顔を作って見せた。やはり我々を警戒しているに違いなのである。

「はい! 旅行者です!」

「ほうか、急げ、出航するぞ」

 見ると、梶川も満面の笑み。こいつ、人のこと言えねえじゃねえか。貴様も小心者じゃねえか。と、自分は心の中で梶川に軽蔑の微笑を投げかけた。


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