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哀愁カニバリズム  作者: 原田昌鳴
3/18

【3】


 翌朝、獣の咆哮のようなもの凄いいびきで目が覚めた。見ると、自分と布団一枚分の余白をあけた隣に妖怪ぬりかべのような巨漢の初老が倒れていた。倒れていたと形容するのは、この身長180センチをゆうに超える大男のぬりかべが、布団も敷かず畳の上にじかに寝ていたからである。南国とはいえ三月の朝はまだまだ寒く、うっかりすると風邪を引きかねないというのに、このぬりかべは半袖の白ティーに下は薄手のジャージという出で立ちである。無神経そのものの初老のまわりに、ボストンバッグと登山用の大型リュックが二つ、初老に添い寝をするように転がっていた。

 ぬりかべをまたいで階下へ降りていき、朝風呂に入って部屋に戻ってみると、肩まで伸びた長い白髪を後ろで束ねたぬりかべが荷物をごそごそやりながら、開いたふすまに目をやって自分を見たので、自分はしょうがなく挨拶をした。

「ちわ」

「チョムリアプスォー」

「はっ?」

「オッホッホッホ」

 わけのわからぬ挨拶をするこの男が、やはり梶川漫歩であった。

「いやいや、君、意外と年齢がいってるんだね、オッホッホ」

「え? ああ、そりゃどうも」

「なんというか、あんな本は若い感性がないと書けないって思ったからね、オッホッホ」

 自分の著書『全身の関節を鳴らす本』のことを言っているのであろうが、まるで人を小馬鹿にしたような笑い声である。握手したままの手が、寝起きだというのにぬめぬめと脂ぎっている。

「特にあの章が良かったよ、あのほらっ『アクロバティックに鳴らす』ってとこ。ちょっとなにかやって見せてくれないかね、オッホッホ」

「こんなところでかい?」

「挨拶がわりに、オッホッホ」

 清潔そうな朝日に照らされてしばし考え込んだが、とりあえずこの握手を解きたいという思いから、自分はしぶしぶ梶川の期待に応えることにした。

 ところで自分の著書『全身の関節を鳴らす本』とは、体の各所の関節を鳴らすための指南本、というか、もっと昇華して「ただ関節を鳴らすだけじゃ物足りないアナタへ」というコンセプトの元に書かれた本であり、『基本通りに鳴らす』や『祝いの席で派手に鳴らす』、『お葬式の席でさりげなく鳴らす』などの各章に分かれており、『主客二元論の観点から見た関節鳴らし』という哲学的考察の章で締めくくられている。梶川はこの中の『アクロバティックに鳴らす』の章がお気に入りだと言い、その中からなにか披露してくれと言っているのである。

 期待の眼差しを向ける梶川を横目に、いよいよ自分は息を整えると、勢いよく体を後ろに投げやりブリッジをし、ケツの穴を閉めて背骨に意識を集中し、そしてフッと息を止めて首に力を入れて上半身をすくめると、小枝を折ったような乾いた音で背骨が鳴った。鳴ったことを確認したところで足で地面を蹴って後転し、沈んだ畳の上に着地した。

「こりゃたまらん、こりゃたまらん! 面白いよ、君! オッホッホ!」

 梶川はぬめった両手をパチパチ叩いてご満悦な様子である。殿の命令で芸事をやらされた家臣というのはこんな気持ちなのではないだろうか、と自分は考えた。なんというか、むかつくのはむかつくのであるが、まんざら嫌な気持ちでもないのである。自分は引きつりながらも微笑んだ。

 挨拶代わりの関節鳴らしもそこそこに、さぁ出発だ、ということで荷物をまとめて梶川とともに宿を出ると、目の前にへんてこりんな乗り物が駐車してある。三輪車に違いない。が、幼児の乗るあの三輪車ではもちろんなく、原付バイクよりも大型で、前方に三つの丸目ライト、運転席にはバイクのスロットルがあり、足下にひとつブレーキと思われるペダルがあり、しかもバッテリーがむき出しに置いてある。後部には開け放しのシート座席があり、無理をすれば三人は座れる。そして運転席から後部座席にかけて幌が施してあるのだが、なによりも目を惹くのは、その車体の派手さである。黒いのは幌だけで、全体は黄色と青のツートンカラーになっており、車体の上部が黄、下部が青、そして後部座席のシートは青地に太い黄色のライン。極めつけは、幌の先に『TAXI』というプレートがあることである。

 そう、これ、タイランドの三輪タクシー『トゥクトゥク』に間違いない。

 さすが東南アジアライター、などと感嘆していると、驚くべき事に梶川、このトゥクトゥクに乗ってM島まで行くよ、オッホッホ、などと言うではないか。

 嫌がる自分を半ば強引に後部座席に押し込め、エンジンを始動した梶川漫歩。ボボボボッという安っぽい排気音を立てて朝の鹿児島市内を快走するトゥクトゥクは、鹿児島市民の注目を一身に浴びた。自分はただただおとなしく無表情で座っていたのであるが、反面梶川は興奮してきたようで、うひょーっ、と発狂し、すれ違う車や行きすぎる路面電車に向かって手を振っていた。こちらに手を振る鹿児島市民は一人としていなかった。

 朝日を背後に後光がかった桜島が、白々しくそれを見ていた。


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