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哀愁カニバリズム  作者: 原田昌鳴
18/18

【18】


「はぁ? なに言ってるんすかぁ?」

「だからぁ、梶川とサルと富子、あいつらみんな生け贄になっちゃったんだって」

「生け贄って?」

「おまえが担当編集者だろうが! 例のM島の人を喰う村のことだよ」

「ああ、はいはい、ありましたね、そんなの。他の企画に忙しくてすっかり忘れちゃってたな。そういえば梶川さんからテープ送られてきてましたよ」

「おまえそのテープ見たか?」

「いいえ」

「あの中にな、犯人が映ってるんだよ。『なに撮っとると』って言うおっさんが映ってる。そいつが一味のボスだ。すぐ警察に電話しろ」

「はいはい、そうっすか、わかりましたよ。で、板倉先輩は今なにやってるんすか?」

「自分か? 自分は今船の中だ。脱出に成功した」

「呑気に船に乗っちゃったりして。脱出だなんて大げさっすよ、先輩」

「バカ、本当に梶川もサルも富子も拉致されたんだよ! 富子なんて丸焼けになっちゃったんだぞ。逃げなきゃ自分も丸焼けになるところだったんだよ!」

「関節鳴らして犯人を脅せば良かったじゃないっすか」

「おまえ、嘘だと思ってるだろ? いいか、マジで富子は死んだんだよ。おそらく梶川もサルももう死んでると思うぞ」

「はぁ、そら残念ですね。ていうか、さっきからなんなんすか? 富子とかサルとか」

「連れだよ」

「連れって、板倉先輩は桃太郎っすか? 何を連れて行ってるんすか。ダッハッハ! まあとにかく先輩だけでも逃げて下さいよ」

「だから今こうして逃げてるんだよ。手縄村から脱出しても、車が来るたびにちっちゃくなって側溝の中に隠れたんだぞ。しかも港のコンテナの裏に隠れて一夜を明かして、朝六時半のフェリーに飛び乗ったんだバカ野郎。でもそこで船員に怪しい目で見られたから、とっさに台湾人のフリをしてなんとかごまかしたんだ。貴様にはこの苦労がわからないだろう」

「板倉桃太郎のM島大脱出! ダッハッハ、良いじゃないっすか、企画出しますよ、ダッハッハ!」

 南がこんな調子であり、だんだんと警察だとか犯人だとか熱を込めて訴えることが徒労に感じられた自分は、己の身が無事であったことだけを感謝しつつ、フェリーの三等席でごろりと横になった。

 梶川? 知るかそんな野郎。こんな危ない目に遭わせやがって。なにが「大丈夫だよ、オッホッホ」だ。大丈夫じゃねえじゃねぇか。ケッ、サルもサルだよ。「うぎゃぁ、抱いて~!」とか抜かしてるから巻き添えを喰らうんだよ、哀れな女め。しかし富子には同情する。富子はきっと梶川が「でかいホテルの姉ちゃんが……」などとあのじいさんに言ったから拉致されてしまったんだろう。可哀想に。ミスきびなごの最後は丸焼きか。はあ……。しかし梶川はぬめぬめだからよく燃えただろうなぁ。でも脂が多すぎて不味いだろうなぁ。

 プファーンと警笛が鳴り、港の町並みがゆっくりと近づいてくるのが眺められた。無数の電線、黒い瓦屋根。そして、低い塀。漁協貯氷庫や旅館の屋根看板から、自分は文明的な優しさを感じずにはいられない。あの日梶川のむすびを落っことした岸壁には、今日は小さな女の子が二人腰掛けて、近づいてくるフェリーに手を振っている。きっと少女たちは、自分の生還を喜んでくれているのであろう。自分も大きく手を振った。

 数日ぶりの九州本島上陸。タラップから降りると、ずっしりと体が地面にめり込むような錯覚に見舞われた。ああ、心身ともに疲れきっている。ウッホッホ……。

 最寄り駅へと向かうバスに乗り込むと、久しぶりに近代ニッポンの素晴らしさを自分は感じた。まず、信号がある。びゅんびゅん走っている車はきちんと車線にならって走っている。バスの乗客もきちんと運賃を払って下車している。中には「ありがとうございました」と礼を告げる乗客までいるのである。心細かった自分の気分は次第に昂揚し始めた。

「法治国家万歳!」

 自分があまりにも当たり前のことを叫ぶので、乗客はみな訝しげであったが、自分にはこの当たり前のことこそが素晴らしいことだと思わずにはいられない。

 拳を握り、力強く揺らし、法治国家万歳! 共喰いは悪だ! 貪欲は人間の敵だ! と自分は終始この調子で、やがてバスを下車し、駅のみどりの窓口で切符を購入、電車のつり革につかまり、鹿児島中央駅で下車、即刻駅前のバスターミナルで福岡行きのバスを予約。

 バスの出発まではまだまだ時間があったので、よおし、今度は路面電車に乗ってやろうではないか。国の宝、鹿児島の象徴、桜島を拝みに行こうではないかという気になった。自分は路面電車に飛び乗った。天文館、レトロな香りが漂うデパートを過ぎ、鹿児島市役所を通過すると、礼を告げてひょいと下車。自分はもう走り出さずにはいられない。

 そして、ほらっ、眼前に桜島。紺碧の錦江湾に浮かぶ桜島。てっぺんには綿菓子のような噴煙。山は生きているのか? 確かに生きている。その証拠に、もの凄い霊気が押し寄せてくるのだ。

 自分は大声で叫んだ。

「桜島万歳! 桜島万歳!」

 自分は何度も叫んだ。

 が、桜島を前にして自由を実感し、興奮に震える自分の肩を、力無くポンポンと叩く者が現れた。顔が浅黒く、身なりの小汚い乞食である。

「煙草、煙草くれ」

 おうおう、煙草ぐらいくれてやるよ。法治国家の同志ではないか。遠慮はいらないぜ。と、しわくちゃになった煙草の箱をジーンズから取り出すと、それと一緒に数枚の紙切れが落ちた。『梶川漫歩様』と書かれた領収書の束である。

 領収書の束を手にとって、自分は寒々とこう呟いた。

「必要ねぇじゃん……」

 乞食の吹かした煙草の煙が、桜島に青白く覆い掛かかる。乞食はぽつりと言った。

「良いのかぁ、仲間を放っといて……」

 背筋がひゃっとする。

「お、おっさん、誰?」

「あの姉ちゃんはもうダメだろうがなぁ、二人はまだ死んじゃあいねぇと思うぞ」

「あんた誰だよ」

「ありゃあもう神のための祭りじゃなか。人間のための祭りじゃ」

 そう言うと乞食は、すうっと海を渡り桜島の方へと消えていった。自分は一瞬「神様?」などと馬鹿馬鹿しい考えに至ったが、すぐに正気に戻ると、幻覚を見てしまった己を顧みて、やはり休息が必要であることを実感した。

 が、依然として手には領収書が握られていた。その手が震えていた。桜島へ出航する連絡船が、自分の心を急かすように汽笛を鳴らした。

「くそぉ、梶川とサルの野郎! 面倒ばっかりかけやがって!」

 自分は来た道を戻るべく、桜島に背を向けた。

 桜島は自分の背後に昂然と突っ立っているだけで、いってらっしゃいとも言わなかった。それでも自分は、大いに背中を押されたような気がしたのである。


                《了》

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