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哀愁カニバリズム  作者: 原田昌鳴
10/18

【10】


 昼飯を食し、ホテルのロビーでしばし休憩し、辺りをキョロキョロしながら一度バンガローに戻ると、幸い朝の賑わいはなく、誰もいなかった。自分は心の底から安心をした。

 梶川はビデオをチェックし、時折良いよ良いよとつぶやき、やがてそのテープをプチプチのエアクッションにくるみ梱包し始めた。訊けば、襲撃されテープを奪われることを懸念して、撮れた端から編集者兼自分の後輩・南に送っておくのだという。

「今日は島と人喰い集落の雑観。ウホッ、そしていよいよ明日は本丸攻めちゃうよぉ。もう堂々とやっちゃうからね、ウッホッホ! 堂々とビデオもカメラも撮影しながら行くよ、オーッホッホッ!」

 港近くにある郵便局の窓口に行ってテープを送りがてら、局員に手縄村のことを訊くと、やはり「手縄村」という言葉を出した途端に局員の誰もが会話を止めてこちらを凝視。ゆうパックの手続きをしていたおばはんは、

「手縄? え、手縄村がどうかしました? おたく、なにか調べてらっしゃるの?」

 と狼狽。

 梶川は、

「ちょいと楽しい祭りがあるって聞いたもんでね、オッホッホ。僕、祭りオタクでしてね、行ってみたいなぁ、と思っちゃってね」

 と微妙にはぐらかす。

 すると、奥の方で話を聞いていた局長らしき小太りのおっちゃんがやって来て、こんなことを言う。

「あんたら、あんまり調べんほうがよかとよ。あんたらのために言うが」

 局長らしきおっちゃんは額に脂汗をかき、梶川の様子を伺った。

「なんで? そんなこと言われちゃますます気になっちゃうよ。なんかあんの? オッホッホ」

「いや、なんも知らんよ、わしは。あの村はここらの村ともいっさい交流がないばってん……」

「なにも知らないったって、じゃあなんでそんなこと言うのよ? オホッ、人喰っちゃうの? オッホッホ、人間を炙って喰っちゃうの? オーッホッホッ!」

「知らん知らん!」

 その後も梶川は局長のごときにいろいろ問いつめたが、局長は結局肝心なところはなにも言わず、最後にはぷいっとそっぽを向いてしまい、やがて「店閉めじゃ、店閉めじゃ」と我々を追い出し、強引にシャッターを閉めようとする。我々は健全に郵便局を利用しようとしているのになんて失礼な奴だ、と拳を握ろうとしてふと時計を見ると、午後五時ちょうどであり、この局からすると閉店時間であり、正当な店閉めなのだった。まだ陽は高いのだが、気がつけばいつのまにかこんな時間になっていた。

 昨夜から食事は専らカップラーメンであり、ろくに栄養も取っていない。これじゃ仕事にならん。それでも梶川は今宵もカップラーメンで良くはないか、と吝嗇ぶりは相変わらず。しかし自分が少々駄々をこねて梶川を説得した結果、我々は郵便局からトゥクトゥクで数分の、その名も『ざくろ食堂』という、こちらの食欲を失せさせているとしか思えない名前の食堂に入ったのである。

 なんということはない。入ってみるとただの食堂である。テーブル席が三つ、カウンター席が七席、そのカウンターの隅に油汚れの激しいレジスター、常連客のキープと思われる芋焼酎の一升瓶がカウンター上部の棚に並べてあり、壁に貼ってあるメニューはすべて手書きですでに黄ばみが目立つ。このように、尋常な食堂なのである。

 味さえ良けりゃそれでいい、ということで自分と梶川は入り口に一番近いテーブル席に向かい合い、おまかせ定食を注文。体格のいい骨太のおばちゃんが一人でせっせと準備を始め、しばし後、でかい黒鯛が丸々一匹煮付けになって運ばれて来た。ご飯、漬け物、みそ汁、酢の物など嬉しい定食に違いないのだが、東京を出発してからまともに飯を喰らっていないせいか、なかなか胃袋に入らず苦労する。梶川といえば、皿まで食ってしまいそうな勢いであっという間に定食を喰らい、ペースの遅い自分を見て、

「食えないなら最初から頼まないでよ」

 とイライラすることを言う。

「こんなにたくさん出てくるなんて思わねえじゃん」

「ああ、もったいない、もったいない、僕が食べちゃうよ」

 梶川が自分の黒鯛にぬめぬめの箸をつけたちょうどその時、ざくろ食堂におかしな客が登場した。

 それは抹茶色のジャージを着た、サルのように茶髪で短髪の、恐ろしく面長な若い女なのであるが、こいつのおかしなところはなんだか知らんが海に浮いている小さなブイのような、蛍光イエローの丸いプラスティックを長い紐の先につけ、両手に持ったそれをヌンチャクのように縦にぐるんぐるん回し、ケタケタケタと引きつったように笑いながら食堂に入って来たところである。ざくろ食堂の常連なのか、おばちゃんはカウンターからパチパチ拍手をして笑みを浮かべている。まったくおかしなサルである。

 サルの回すブイのようなものが時々自分に当たりそうになるので黒鯛を守るようにして身をかがめていると、梶川もおばちゃんと同様に立ち上がりパチパチと拍手を始める始末。

 しかしこのサル、拍手を送ってくれた梶川の方へはニコッと笑顔を向けたのに対し、身をかがめて迷惑そうにしていた自分には明らかに不機嫌そうな顔を向け、舌打ちをしやがった。

「やえこさん、酒もらうよ」

 そう言ってカウンターの椅子に立ち焼酎の一升瓶をとると、それをコップに注いでストレートでぐびぐび飲み始めたサル。梶川は鞄からビデオカメラを取り出してのっそのっそとサルに近づいていく。

「オッホッホ、君、なにそれ、なにして遊んでんの?」

「え? これ? これはね、ポイっていうの。最高。ガンガンキマっちゃってる時はファイヤーポイなんてのもするんだけど。え? こうね、丸めたタオルにガソリンぶっかけて、そんで火を点けてぐるぐるやんの」

「熱くないの?」

「大丈夫よ、なにしろキマっちゃってんだもん」

 何がキマるのか知らぬが、サルは上機嫌でそう言ったかと思うと話の最後に自分を一瞥、キッと睨んで焼酎に口をつける。自分の中ではサルも梶川も同類なのであるが、サルの中では自分と梶川の印象が極端に別れているらしい。ケッ、勝手にしやがれ、と自分はやえこという名のおばちゃんにビールを注文し、なにやら盛り上がる二人を無視し、一人孤立した状態でちびちびとビールを飲み始めた。

 すると自分に気を遣ってくれたのか、おばちゃんが梶川に自分との関係を訊く。

「僕ら旅人でね、オホッ、沖縄で出会ってそのまま一緒に旅してんのよ、オッホッホ」

 と、目的を知られてはならぬ梶川はそう嘘を繕い適当にかわすのであるが、まったく無神経そのもののサルは自分に聞こえるような大声で「楽しいの? あんな暗そうな人と一緒に旅して」と抜かす。怒りに震えて立ち上がろうとしたが、どうやらやえこという名のおばちゃんはもの凄く良い人らしく、サルの声を上塗りするかのごとく大声で、「仕事はなにやってるの?」と梶川に訊き、サルの話を掻き消してくれるのである。

「僕はほら、ライターっての? 要するに物書きやってるのよ、オホッ。そんで彼も作家よ」

「ええっ? おじさますごーいっ!」

 サルは梶川の手を握ってそんな風に言うが、またしてもその後きちんと自分を睨む。その目を見てさすがに怒りが頂点に達した自分はとうとうビールを一気飲み、勢いよく立ち上がったのであるが、そこでもまたおばちゃんがうまいタイミングで自分に話を振った。

「あんたはどんなの書いてるの?」

 作家ではなく無職だ、という意識のある自分は、そう訊かれるとなんと言っていいかわからずその場に立ちつくしてしまったのであるが、梶川が自分に代わって「『全身の関節を鳴らす本』っていう名著を出したのよ。ウッホッホッ!」と説明。と同時に、やはりサルは舌打ち。生意気この上ない。とうとう自分の怒りも爆発。「テメェぶっ殺すぞ!」の「テ」まで言った瞬間、梶川に「関節を鳴らして見せてあげたら?」と言われたので、自分は殺意をひとまず置いておいて、しょうがねえな、といった表情を装い、テーブルを隅に移動させスペースを作り、ほいっと倒立、両腕を軽く屈伸させ、勢いをつけて両足を左右に大きく開脚させ、その弾みで股関節を鳴らして見せた。梶川並びにやえこという名のおばちゃん大喝采。サル不機嫌。自分はサルを見返してやった優越感から顔がニヤけた。

 自分に一本取られたサルは、自分を視界に入れないようにして梶川のぬめった手をぐいぐい引っ張り、

「ねえ、おじさまはどんなの書いてるの?」

 と気持ちの悪い声を出した。梶川はロン毛の生え際を掻きながらビデオを置くと、昨日ホテルのロビーでやったように鞄からごそごそと自分の著書を取り出し、天に大きく掲げた。すると五反田富子と同様におばちゃんは目をパチクリさせたのに対し、サルはもう大興奮。その著書を手に取り何度もジャンプ。

「うぎゃ~、わたしこの本知ってる! わたしおじさまの事知ってる! うぎゃ~、こんなところで会えるなんて嬉しい! うぎゃ~、抱いて~!」

 ジャンプを止めないサル。一回転すればまさに猿回しである。

 サルは梶川を前にして完全に有頂天になり、もはや気が狂ってしまったようで、ポイとやらをぐるんぐるん回し始め、涙を浮かべながら発狂をやめず、意味がわからぬが「うぎゃ~、わたしぃ、おじさまと出会う日を待っていたの~!」とロマンスを思わせる言葉を絶叫している。

 ああ、これはもうダメだわ、と呆れ果てていた自分に、ふと、良いアイデアが浮かんだ。

「おっちゃん、こいつ、祭りに連れてってやれば?」

 自分はサルと手を繋ぎ小刻みにジャンプしている梶川の所に歩み寄り、このような素晴らしいプランを提案した。

「こいつってなんなのよ、失礼ね、あんた」

「黙れサル」

 つかみ合いに発展しそうな自分とサルの真ん中で、梶川は珍しく頭を使っているようで黙ってしまう。

「うーん、ウホッ、君、僕らと一緒に来る?」

 自分の企てた素晴らしいプランを梶川も呑み込んだらしい。サル、さぞ喜ぶことだろうと思ったら「ええっ? でもあたし、仕事あるしぃ、どうしようかなぁ。どんな祭り?」と判然としない態度をとった。

 そこで自分が、

「祭りってんだから楽しいに決まってんだろ。おまえ頭使えよ」

 と言うと、

「おまえとか軽々しく言わないでくれますぅ? あんたなんかにおまえって言われる筋合いなんかないんですけどぉ」

「くそぉ、サル……」

「さっきから失礼な奴ねえ……ちゃんと佑月って名前があんのよ!」

「で、来るのか? 来ねぇのか?」

「この人がいるんならイヤだ」

 こう言って自分を指差したサル。しかし自分はそう言われることがすごく都合が良い。なぜなら、サルが取材に来れば自分はもう用無しになり、さっさと東京に戻ることが出来るからである。素晴らしいプランとは、つまりこういう事だったのである。自分は死んで、しかも喰われてまで仕事を全うする気などない。『仕事に命をかける』などという言葉は、この状況においてはまるで説得力がない。誰だって本当に命をかけるとなると話は別なのである。

 自分はサルの主張を受け入れ梶川に先に帰る旨を伝えたが、梶川、また黙り込んでしまい、しばらく経って、やはり君がいないと困る、ということを言い出した。なぜ困るのか、サルがいるではないか、と言うと、とりあえずバンガローに帰ってこの子を交えて予定を考えよう、と言う。

 サルを促してトゥクトゥクに乗り込み、梶川はエンジンを始動。梶川、自分、サルを乗せた派手なトゥクトゥクは、夕陽が海面に眩しく映える港町から一路バンガローへと向かったのである。


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