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哀愁カニバリズム  作者: 原田昌鳴
1/18

【1】


 新宿のとある中華料理店で働いていた自分が、厨房で料理長の劉さんと口論になり、劉さん以下数人を中華鍋でぶん殴ったあげくに職を失したのがちょうど三十歳の誕生日であった。

 失職以降、毎日を家でゴロゴロ、時々ハローワークに出向いては失業保険を頂戴するために必要な失業認定というものを受け再びゴロゴロ、数日してから近所のスーパーに設置してあるATMに行って記帳をし、失業保険の入金を確認、安心してまたゴロゴロ、というような腑抜け同然の生活をしていた自分に、どういう訳か仕事の話が舞い込んできた。

 数年前自分は、大学時代の後輩・南の勤める自費系三流出版社から『全身の関節を鳴らす本』という著書を出版したことがあったのだが、売れ行きは最悪、初版の三百部すら完売に至らなかったため当然増刷はされず、それ以降南や出版社から連絡がなかったのであるが、数日前のこと、虚を突いたように南からメールがあり「あるライター先生がロケ取材のアシスタントを探しておられ、貴殿、暇人なのであれば是非取材に同行していただけないか」と言うのである。

 まず驚いたのは、南が自分を暇人であると見抜いていたことであった。

 そこで「なぜ暇なのを知っているのか?」という返信を送ったところ、「数日前の平日昼下がり、中野のコンビニにおいて、だらっとした服装の貴殿が仕事情報誌を数冊手に取っているところを拝見した」と返信してきたのである。失礼な奴である。「なぜ声を掛けなかったのだ」と送信。「知り合いだと周囲に知られたくなかった」と、南は。

 驚くことはまだあって「このオファーは他ならぬライター先生が貴殿を指名した」ということである。

 自分は南の携帯に電話をかけ、通話代金がかかるのでそっちから掛け直すように指示をした。

「そのライター先生とは誰だ?」

「梶川漫歩先生っす」

「まんぽ? あの東南アジアの風俗やらドラッグやらを書いているライターの?」

「その通りっす」

「なぜそんな著名なライターが、おまえのところの零細三流出版社などで仕事をするんだよ」

 この問いに南は高らかに笑った。

「ダッハッハ、僕、あの出版社を辞めて、なんと二流の出版社に移ったんすよ」

「辞めた?」

「ええ、辞めてやりました。ここだけの話、あの出版社は完全に詐欺でしたからね。素人から金をふんだくるだけの詐欺出版社。著者はみんな出版に必要な経費にプラス百万円ぐらい上乗せ請求されてんすよ。板倉先輩の本だって、著者負担を減らすために印刷屋に頭を下げに行った、みたいなこと言いましたけど、全部嘘っすから。全国の書店に営業をかけるなんて文句も全部嘘っす。ダッハッハ」

「き、貴様は自分の著書をあんなに褒めていたじゃないか。あれはなんだったんだ。自分はおまえの情熱に負けたから契約をしたんだぞ」

「それがあの詐欺出版社のやり方っすから。褒めちぎると素人はその気になるんすよ。ダッハッハ。でも先輩、褒めちぎるのも大変なんすよ。だいたい『全身の関節を鳴らす本』だなんて売れるわけないじゃないっすか。ダッハッハ」

「貴様……」

「いやいや、僕のせいじゃないっすからね。僕は会社の犬っすから。訴えるんならあの詐欺会社を訴えて下さいね」

 思わぬ事実を知らされて反射的に電話を切った。自分は騙されていたのである。

 しばしの放心状態の後、内側からふつふつと憤怒の感情が湧き出て全身が震えた。そこで三流詐欺出版社に電話をかけたが「現在使われておりません」という女性の無機質な声が繰り返されるばかりであった。

 直後、携帯が鳴り震え、出ると南であった。南は先輩を小馬鹿にするかのごとく続けた。

「あ、板倉先輩、まさか動揺したんすか?」

「馬鹿なことを言うな」

「で、梶川先生のアシスタントやってくれるんすか? くれないんすか?」

「さっきの話を聞いておまえの言うことは信用できなくなった。そもそもどういう経緯で自分に声が掛かったのだ」

「それがですね、今度うちでオカルト雑誌を出すことになったんで梶川先生にダメ元でお願いしたら、すんなりOKしてくれまして。二流だけにうち、ギャラは良いですから……」

「金に目がくらんだんだな、漫歩は」

「失礼な! 金に目がくらんだ漫歩だなんて……。先輩よりもよっぽど立派な先生っすよ」

「で、梶川がどうしたって?」

「なんでかわからないんすけど、梶川先生が板倉先輩の例の本をすごく褒めてらして。ええ、先生に前に一冊献本したんすよ。そしたら是非先輩をアシスタントに迎えたいっておっしゃって」

「なんで献本したんだ」

「打ち合わせに行った時に、ついでに自分の過去の仕事を見てもらおうと思って、売れ残って返本された先輩の本をなんとなくお渡ししたんです。そしたらなぜか先生が大絶賛なさいまして」

「余計な言葉が耳に障ったが、まあよかろう。しかしあれだな、漫歩は良いセンスしてるんだな。吝嗇野郎でも見る目はあるんだな。なあ、詐欺編集者! ハッハッハ」

 有名ライターが自分を褒めているという事実に先ほどまでの怒りを忘れ、少しばかり得意な気分になり、自分は揚々とこの仕事を引き受けた。

 取材は三月中旬の三日間だった。東南アジアライターとして有名な梶川漫歩の取材だけに海外かと思ったら、なんと日本であった。南が説明するには、梶川漫歩はここ数年日本の風俗やら宗教やら民俗学やらに精を出しているらしく、今回は、鹿児島の南に位置するM島という島に息づく密教を取材するのだそうだ。

 どうせなら海外に行きたかったが、旅行気分が味わえるならそれでも良かろうと自分は考えた。

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