最初の敵はぐざふぁん。
昔、東京は「水の都」だった。
徳川家康は葦の茂る湿地帯だった江戸に水路を巡らせ、河岸を作り物流の起点とした。船によって江戸にもたらされたのは、全国各地のあらゆる物。米や野菜などの食料、材木、南蛮渡来の財宝、そして、疫病や魔物も。南蛮渡来の怪しげなものたちが水路に住み着き、人を誘う。川が埋め立てられ暗渠が張り巡らされた今も地下には様々なものが巣くっている。
さて、阿美がハムスターのフクと再会を喜んでいたとき、その様子を見ていた魔物がいた。
ぐざふぁん。
船で長崎に流れ着き、江戸に住み着いている火を使う魔物である。もとは天使だったいうが、地下に住み着いてからは背中は曲がり体毛はすべて抜け落ち、目や耳は大きく裂けて、かつての美しさは微塵もない。
自ら発光する阿美を見て、嫉妬にも似た気持ちをぐざふぁんは感じている。
この地下の暗闇で光を扱えるのはぐざふぁんだけだった。美しい容姿を失ったとき唯一残った能力。小さな小娘がその能力を使うことをぐざふぁんは許さなかった。
「生意気だぞ、女」
見開いた目が炎に代わり、指先にも炎が宿る。手に持っているのは、風を送る道具「ふいご」。
ぐざふぁんはふいごを口元に持ってくると、指先に宿った火を風と共に阿美に向けて送り込む。
「その口調、複雑…」
昔飼っていたハムスターのフクが生意気な相棒となって戻ってきた。小さな相棒はもっとかわいい話し方をするんじゃ、阿美が見ていたテレビアニメでは必ずそうだった。
「助けてハム、とか言わないの?」
「いわないだろ、ふつう」
「いうわけないだハム、じゃないの?」
「何かと勘違いしてないか、小さいからって舐めんなよ」
「そうハム?」
「あれ、ちょっと熱いハム?」
「俺はハムなんて言わないぞ」
「じゃなくて、熱いよ」
阿美がふっと顔を開けると、巨大な赤い炎の塊が見える。周囲の暗闇を巻き込んで、こっちに向かってくる。
「やばい!逃げろ」
「どこにハム?」
「決まってんだろ!」
フクは阿美の髪の毛にかみつくと、水の中に引きこむ。強い力で阿美は水中に引きずり込まれた。
水面を赤い炎が席巻し、阿美の頭上が赤く染まる。
「あれはなんなのハム?」
「いい加減やめろよ」
「じゃ、あれは何?」
「わかんねーよ、おれもここ来んの、はじめてだぞ」
「水の中で息ができるのは分かったけど、ねえ、水もだんだん温かくなってるんだけど」
いつのまにか、阿美とハムのいる水中だけば分離され、大きなウオーターボールのようになっている。
炎がボール全体を覆っている。水の温度が徐々に上がる。
「うわぁ、もう限界じゃない」
「焼け死ぬのと、茹で上がるのと、どっちがいい?」
フクが阿美に聞いてくる。
「茹でられるのはぜったいに嫌!」
阿美が答えた。
次の瞬間、ウオーターボールが弾ける。弾けた水の力で炎が弱まった、その瞬間に、阿美とフクは炎の包囲網を潜り抜ける。
その時、阿美は頭の中で天使の歌を聞いた。
棗を炎で食べたなら、遠い記憶が呼び戻る♪
棗を炎が受け入れたなら、遠い時代が呼び戻る♪
いつのまにか、阿美は棗を手にしている。炎の先に、小さな背中の曲がった小男・ぐざふぁんの姿があった。ぐざふぁんはふいごを使って、火の風邪を阿美に吹きかける。目からは炎が噴き出し、その火は足元を這って阿美に襲い掛かる。
「わかんないけど、こーゆーこと?」
阿美は手にした棗をぐざふぁんに投げつけた。棗は炎の中で焼かれながらぐざふぁんに向かって、まるで意思を持ったように突き進む。
その瞬間、
「あなた様がなぜ!」
ぐざふぁんが叫んだ。
「なぜ、ここに…」
ぐざふぁんが棗を手にしたとき、炎が一瞬にして収まった。炎が消え、再び、暗闇の中で明かりとなるのは阿美の発光する体だけになっている。ほの暗い空間で阿美とぐざふぁんが対峙する。
「わかった、それがあなたの意思なら、私はこの娘と契約する」
ぐざふぁんがそうつぶやいたとき、阿美の肩に乗るハクの顔に小さな文字が浮き上がった。
その瞬間、ぐざふぁんの曲がった背中がすんなりと伸びる。
「阿美、私はあなたの部下となった」
忠誠を誓い、右手を差し出すぐざふぁん。
「意味が、意味がわからなすぎるんだけど」
「忠誠だって。どうするの?ねえ、ハク、どうすればいいの?」
うろたえる阿美にハクは放心した声でつぶやく。
「しかなないだろ、受け入れろよ、しかたないよ、もうこうなったら」
最初の悪魔はぐざふぁん。愛読書「地獄の辞典」からの登場。