慌ただしく戦いは始まった。
明日はクリスマスイブという日、つまり12月23日は、葉山アパートに住む人たちにとって特別な一日になった。
玲子はその日、お見合い相手とデートの約束をしていた。相手はおじさんだが会社を経営しているイケメン。お見合いを繰り返すうちに本来の目的を見失いつつある玲子は、とりあえず、金持ち・イケメン・高身長というキーワードで相手を選ぶことにしたらしい。
塚田さんは久しぶりに子どもと会うと言っていた。新橋の博品館で待ち合わせ。サンタさんのクリスマスプレゼントの下見をするんだそうだ。おじいちゃんとおばあちゃん、塚田さんと息子で、そのあとは予約した美味しいランチを食べると言っていた。
山田もゼミの女の子とデート。上野で美術展を見るという。なぜ24日じゃないのかが気になるが、山田が言うには「24日はアパートのクリスマス会があるから」。阿美たちは「その女子、24日は山田以外の本命がいるんじゃ…」とウワサしている。
さて、阿美とキノコ、安孫子ちゃんは、雄一とその仲間2人と、東京ドームシティの遊園地に行くことになった。ディズニーリゾートという案もあったが、なぜかキノコが嫌がった。嫌な思い出が13才にしてあるらしい。で、シロとドラちゃんは葉山アパートでお留守番をすることに。
玲子はお見合い相手の北野と銀座の和食屋さんにいた。個室で足元は掘りごたつになっている。
「肉、苦手なんだ。食べて」
山田はワインを飲んでいる。中居が運んできた和牛のしゃぶしゃぶを玲子に勧めている。
「苦手ならなんで頼むんですか?」
「匂いが好きなんだ」
「美味しいから、いいですが…」
玲子はもくもくと食べ続ける。
「長く生きてると匂いに敏感になる…そうだ、君から、最初の妻と同じ匂いがする」
「うれしくないですね、そういわれても」
「和風出汁の香りとスダチとモモと…」
玲子は首をかしげる。
「あ、そんな匂いの人、いますね、確かに」
玲子はどこかで甘くすがすがしい香りを嗅いだ記憶があることを思い出す。
「ああ、たぶん、君の近くに、いる」
山田がワインを飲み干す。
「北野さん」
玲子が箸をおいた。
「変です」
北野が破顔一笑となり、手のひらを差し出した。
「ほら、両手に穴が開いてるだろ。この穴にまつわる話を聞きたい?」
北野の言葉に玲子は首を横に振った。
「いいえ、いいです。私たち、あまり相性が良いとは言えないみたい」
玲子は、カバンを持つと、
「今日はごちそうさまでいいですか?」
と立ち上がる。
北野は笑顔でうなずいた。
慌てて銀座通りを歩く玲子がいる。
「やばいやばい。匂いって、塚田さんだよね。やばいやばい」
後ろを振り返りながら、速足で歩く玲子。
「塚田さん、ごめん、逃げ切れるかなぁ、あんなのから」
そのころ、塚田さんは子どもと近くの公園にいた。
園内を走り回る子供を見ていた塚田さんに悪寒が走る。
「まさかね」
記憶がよみがえる。
塚田さんが結婚した相手は、ふつうの人間ではなかった。結婚して2年経っても3年経っても、少しも容姿が変わらない。若い理由を問いただしたがはぐらかされてばかり。結婚して10年経ったときに、赤ちゃんができた。その時の相手の反応が異常だった。
「浮気したのか」
塚田さんは浮気などしていない。だから、別れようと思った。こんな人と別れて…。
ところが相手の態度が一変する。子どもの成長が早すぎるのだ。普通と違う子どもを夫は愛した。
今、目の前を走るわが子はまだ2歳。しかし、すでに15才歳前後にしか見えない。言葉もすぐに習得した。知能も15才前後の他の子には負けてないはずだ。
「魚の血が混じってるんだ」
と夫は言った。
玲子と塚田さんが、銀座近くで同じ男を回想していたとき、阿美たちは長い長い乗車列に並んでいた。
「混みすぎ」
キノコがぼそっとつぶやく。
その不機嫌な顔に雄一の友人の顔が曇っていく。
「今日は遊園地は無理だよ、混みすぎだよ。また別に日にしようよ」
というわけで、阿美たちは盛り上がりのない時間を過ごしている。この雰囲気は、遊園地内にある人口水路の流れが止まり、水がふつふつと動き出したことで大きく変わる。
「あれ、ここって人口だよね、地下とはつながってないよね?」
「近くに水路の出口はあるけど…」
阿美と雄一が小声で話した、その時間に、地面ががたがた揺れだした。
「地震!」
あちこちから悲鳴が上がる。
雄一の友達が首をかしげている。
「地震…ってさあ…揺れからが違うよ」
ちょっとした蘊蓄蘊蓄が始まったとき、キノコが悲鳴を上げた。
「大変、ドラちゃんが…!」
後楽園の空に、小さなドラゴンがぐるぐると旋回しているのが見えた。