やっと出た悪役は42才のおしゃれな出版社社長
本の街、神保町には書店だけでなく出版社も数多くある。この物語にやっと登場する悪役は、歴史を中心に扱う小さな出版社の社長だ。名前を北野青明という。青明は陰陽師として有名な安倍晴明を意識してつけた名前らしい。とすれば、北野は北野天満宮だろう。社長の本名は誰も知らないし、だれも興味がない。
この出版社は、元寇以降の歴史本を出していて、リアルな描写で人気となっている。社員は契約社員かフリーライター。ここで経験を積んで、独立したり時代劇作家になったり。5年以上在籍する社員がいないのが特徴。
「おーい、ここ、これ、はいはい」
ラルディーニやタリアトーレといったおしゃれなイタリア物のジャケットを着て、ちょい髭を生やし、話す言葉は短い数語だけ。だけど、この出版社には、ここにしかない貴重な資料も多く、とんでもないお宝資料も社長の倉庫には眠っているらしい。
「はーい、いいよ、俺、モー帰る」
今日も社長は短い言葉を重ねて、1時間ほど出版社の椅子を温めて、夜の街に消えていった。
さて、こうした物語に出てくる「命がけの戦いを挑む相手」としては、この社長、少々スケールが小さいような。宇宙を支配するダークサイドとか、地球を征服する秘密結社とか、暗闇を操る魔王とか、そういうところに、いつか、この社長が繋がるかどうかはわからない。
けど、この社長はすでに約800年生きている。いわゆる人魚の肉を食べたのだ。彼が八百比丘尼と同じで1000年の寿命があるというなら、残りの人生は200年程度ということになる。
そして、会社を出た社長は、おしゃれな見かけ通りのおしゃれなバーに入っていく。バーで待っていたのは、むさい恰好の中年男性。
「ねえ、まだ、なんで、みつからないの」
男性の横に座るなり、北野は男に話しかけた。
「もう2年だよ、探し始めて。そんなに見つからないの?」
中年の男は緊張しているのか、12月なのに、しきりに汗を拭いている。
「今年中に探して、じゃないと、命、吸い取るよ」
たぶん探偵なんだろう、その男のいかつい指で持つグラスが小刻みに震えている。
「もういらないんだよ、命。だから、探してね」
北野は、ポンと3万円を男の前に置くと、そのまま外に出た。
「見つからないはず、ないんだけど」
北野はボソッと呟き、目の前に停まった黒い車に乗り込むと、そのまま日比谷方面に走り去る。
北野が車を降りたのは、高級住宅地にある古い洋館の前だった。表札には北野とある。立地から推測するに、軽く10億を超える物件だ。
「こんな家もあるのに…なんで逃げるかなぁ」
北野が家に入ると、室内の電気が付いた。
さて、そのころ、葉山アパートでは、キノコのペット・ドラちゃんを囲んでひと悶着があった。
「ドラゴンって何匹いるの?」
もっともな疑問を阿美が誰ともなく聞いている。
「ねえ、誰か答えて。何匹いるの?」
「今は2頭」
答えたのは、安孫子ちゃんだ。
「ここに一頭、地下水路に1頭…パラレルワールドと時空がゆがんで…かな、たぶん」
「じゃ、その2匹は同じドラゴンなの?」
「論理的には」
安孫子ちゃんが山田に助けを求める。
「で、合ってる?」
「パラレルワールド、信じてなかったけど。あるよな、非現実的なことはすべてあるんだから」
「ちょっと阿美ちゃんに聞きたいんだけど…」
雄一が珍しく真剣な顔をしている。
「ここって、異世界?それとも現実?」
「現実!」
かわりに答えたのは、玲子だ。
「ただ、だんだん現実に異世界が入り込んでる。ちょっとやばいね」
玲子がドラゴンを手に持っていたペンでつつくと、
カシャ、とペンが凍った。
「ごめんなさい、この子、驚くと氷を吐き出して」
キノコが慌ててストーブの上に置かれたやかんを持ってくる。
「そんな特技あるの」
カチコチの凍ったペンを眺める玲子に、
「小さくなったからな、新しい能力が目覚めたらしい」
低く響く声がした。
「誰がしゃべった?」
玲子があたりを見回す。
「俺だ」
小さなドラゴンが頭をもたげている。
「ごめんなさい、いわなくて。この子、話せるの」
キノコが安孫子ちゃんを見る。
「そうなの、日本語なの、驚くよね」
「話してよかったのか、キノコ」
ドラゴンがキノコを見る。うなずくキノコ。
「よし」
ドラゴンが大きな声を出した。
「まず、そこのネズミ」
羽を広げたドラゴンが阿美の胸の高さまで飛び上がり、ポケットの中をのぞき込む。
「俺は食わない。俺は今、旨いものを知っている。だから出てこい」
ハクはポケットに中で考えていた。
ドラゴンの約束なんて信じていいのだろうかと。